持続可能な地域づくり |
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一般財団法人CSOネットワーク 事務局長・理事 黒田かをり |
身土不二:人間の身体は住んでいる風土や環境と密接に関係していて、その土地の自然 に適応した旬の作物を育て、食べることで健康に生きられるという考え方 (環境gooより) 農の持つ底力平成23年3月11日の東日本大震災とその後の東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、大手食品会社の社会貢献事業で、他の第一次産業と同様に深刻な被害を受けた酪農の再生事業に携わった。教育プログラムなどを通じて、地域の有機農業と連携した循環型・持続可能な地域づくりの提案のため、同年6月末に福島県二本松市東和地域(旧東和町)を訪れた。放射能汚染の実態がわからず、先が見えない、非常に不安定な状況の中で、この地区では比較的早い時期から、日本有機農業学会の会員である大学、研究者と農家が協力し、企業や市民団体などの支援を得て、農産物や土壌の放射能測定が始まっていた。その年の夏には、災害・復興プログラムがスタートし、見えない放射性セシウムを「見える化」すると共に、放射性物質の低減対策や営農対策、地域コミュニティの心のケアなどが行われてきた。福島県は有数の有機農業推進県である。東和地区では、有機農業による地域資源の活用と循環型のふるさとづくりをしようと、2005年に農家と商店街が「NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」を設立した。道の駅を運営しながら、里山再生、特産品の加工、産地直送、新規就農の受け入れ、営農支援、健康支援事業などを進めている。他にも有機農家、牧場、食品加工業者の出資により堆肥センターを建設し、牛糞を中心にもみ殻、かつお節、昆布、そばがら、カット野菜くず、飴玉などを原料にした堆肥を作るなど、まさに住民、農民、商店街などが連携、協力をしながら資源循環型の地域づくりを進めてきている。心が折れそうになりながらも放射能汚染と向き合い、それを乗り越えようとする力こそ、長きにわたり育まれてきた地域の力だと思う。
市民農園との出会い昨年から、東京都練馬区内にある農園に通い、手ほどきを受けながら野菜を育てている。そこに来ている人たちに尋ねると、野菜作りのきっかけは「安全なものを食べたい、子どもに食べさせたいと思ったから」「お料理が好きだから」「将来の食糧危機に備えて」などさまざまだ。畑に通って数カ月もすると「旬の野菜を食べることの意味」や「食や農業について」など会話の内容も少しずつ変わってくる。私の友人、知人の中にも、週末、畑に行く人が増えている。最近、人との会話の中で「野菜作りを始めたんです」とひとこと言うと、「私は時々、夫の実家(農家)を手伝っている」とか「週末は静岡で野菜を作っている」、「自宅の庭を3年かけてミミズで土作りをした」など会話が弾むことが多い。平日、都市部にいても土に触れている人は意外と多いんだな、と思う。職業も大手企業の部長からNPO職員、人権活動家、主婦といろいろだ。この話になるとそれまで難しい顔をしていた人も生き生きとした表情になるから不思議だ。 農林水産省のホームページによると、市民農園を開設している農園は年々増加していて、平成24年3月現在で3,968農園(10年度末は2,119農園)、そのうち3,153農園は、都市的地域にあるそうだ(「農林水産省:市民農園をめぐる状況」より)。 しかし、ただ都会の中で「農的なくらし」を味わうだけでよいのだろうか。1〜2時間も足を伸ばせば、日本特有の中山間地域が広がり、美しい里山がある。風のやわらかな匂いを感じることができる。鳥のさえずりや虫の声も聞こえる。都市部の人はもっと農山村に足を伸ばした方がよいと私は思う。昨年は、東和地区に田植えと稲刈り・はせがけに、また夏には、トマトやなす、とうもろこしの収穫に行かせてもらった。ゆったりと時が流れる中で、自然を五感で享受することは都会の人間にとっては夢の世界である。他方で、農山村の抱える課題、そのコインの裏側にある都市部の問題も見えてくる。この双方の課題解決には、農山村と都市部に住む人たちが共に取り組んでいかなければならないと思う。
都市と農村の共生へ 放射性物質の深刻な被害にさらされている福島の状況は相変わらず厳しい。その中で、都市部との連携で有機農業を中心とした地域再生への取り組みが着実に進んでいる。耕すことで放射性物質を米や作物に移行させない農の営みの実証調査や、バイオマス、水力、太陽光などを使った小規模な地域循環型の再生可能エネルギーへの転換など、地域に住む人々が知恵や経験を持ち寄り、県外のNPOや企業、研究者とネットワークを組みながら進めている。
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