調査・報告  畜産の情報 2014年12月号

沖縄県における酪農の新規就農事例

那覇事務所 青木 敬太、伴 加奈子


【要約】

 沖縄県糸満市で新たに酪農を始めた横井直彦氏は、一般的に酪農に不向きとされる暑熱環境下においても、厳しい条件に合わせた乳牛の飼養管理を行っている。

 ささいな牛の変化も見逃さない日々の飼養管理が大切であるとの考えの下、搾乳牛の飼養管理に専念し、それ以外の仕事はなるべく手間をかけないことを心がける横井氏の取り組みは、新規就農者にとって参考になりうるものと思われる。

1 はじめに

 担い手の確保は、弱体化が懸念される畜産・酪農の生産基盤および経営体質の維持・強化を図るうえで重要な課題である。こうした中、沖縄県では一般的に冷涼な地域で行われているというイメージがある酪農で新規就農の動きがあった。本稿では、糸満市で新規就農した横井直彦氏の事例を調査し、沖縄の酪農に目を向けることとなったきっかけや暑熱対策などの特徴的な取り組みを紹介したい。

2 沖縄県の酪農の概況

 糸満市の位置する沖縄本島は、亜熱帯海洋性気候に属し、年平均気温が22〜23度で、年較差が小さく四季の変化に乏しい気候である。また、夏季になると30度を越える日も多く、加えて湿度も80%以上になるため、熱帯並みのかなり蒸し暑い日が続く。降水量は年間2000ミリ前後と多いが、年によっては降雨量が少なく、干ばつに悩まされることもある地域である。

 沖縄県の乳用牛の飼養戸数は減少傾向にあり、平成26年は76戸(前年比5.0%減)で、全国に占めるシェアは0.4%である。また、乳用牛の飼養頭数はここ数年横ばい傾向にあり、26年は4610頭(前年比0.9減)で、全国に占めるシェアは0.3%である。

図1 沖縄県糸満市の位置

3 新規就農の経緯

 今回取材した横井直彦氏は、神奈川県出身で、現在40歳。家族構成は妻、子供2人(8才(娘)・5才(息子))。24年4月より新規就農し、現在3年目である。就農前は、全国酪農業協同組合連合会に勤務していたが、沖縄での酪農経営を志し、24年3月に同連合会を退職後、翌4月には、高齢により廃業する酪農家から牛舎と乳牛を購入し、沖縄での酪農経営の一歩を踏み出した。

(1)沖縄で酪農を始めようと思ったきっかけ

 そもそも酪農を始めようと思ったのは、前職での経験を強みに、どこまでできるか挑戦してみたいという思いからで、特に沖縄を選んだのにはいくつか理由がある。

 一つ目は、前職で3年間、沖縄県酪農業協同組合に所属し、巡回指導をしており、近隣地域の酪農家の顔をよく知っていたことである。酪農経営について情報交換ができるという安心感もあり、そのことが横井氏の新規就農を後押しした。現在も、酪農青年部や糸満支部の集まりでの情報交換が経営に役立っている。

 二つ目は、近年、沖縄県内の生乳生産量は減少傾向にあり、恒常的に生乳需給はひっ迫していることである。このため、乳価は他地域よりも高く設定され、経営計画が立てやすいと判断した。

 三つ目は、沖縄の気候は他の地域のように、夏場急激に暑くなることもなく、昼夜の気温差が少ない分、暑熱対策は必要であるものの、本土よりもかえって牛のストレスが少ないように見えることである。一般的に酪農に不向きとされる気候についても、乳牛にとってそれほどネックにならないのではと考えた。

(2)就農当初の苦労

 前職で15年ほど営農指導をしており、飼料や繁殖の知識もある横井氏だが、就農後は、指導員の立場と実際の作業の違いについて戸惑うことの連続であったという。例えば、搾乳の見学はしていたが、酪農家を24時間見てきたわけではない。むしろ、勝手がわからずに出来ないことのほうが多いぐらいであった。

 マニュアルどおりにいかないことも多い。今では慣れたものだが、最初の牛の出産では、牛の状況を獣医に逐一電話で伝えて指示を仰ぎ、なんとか乗り切った思い出がある。

 「前職では指導員の立場として自分の信じることを指導してきたつもり。指導してきたことは自分の農場で実践していきたい。」と自らを律する。

写真1 調査中に行われた牛の出産

(3)家族の協力

 不慣れな土地での就農は、不安に思うことも多いだろう。妻の美鈴さんは、鹿児島の出身で、実家も農家ではない。沖縄に来て初めて酪農に関わることになり、知らない土地でうまくやれるか不安もあったようである。また、就農当初は下の子供が2歳で、一番手のかかるころであった。子供から目を離せず、牛の世話もしなければならず、酪農と子育ての両立には苦労があったようである。

 就農当初のことを美鈴さんに伺ったところ、「最初は見よう見まねで、なんとかやっていた。子育てもあり大変だったが、就農前に3年間沖縄で暮らしていたので、また同じ土地に戻ってこられてうれしい。子供もまた同じ幼稚園に入ることもできて喜んでいた。」

 就農してからは、「共同作業が増え、けんかすることも多くなったが、家族で一緒にいる時間が多くなり、主人の望んでいた大型犬も飼うことができるようになるなど、自由なことが増えストレスがなくなった。何よりも子供も牛の背中に乗って喜んでいるし、子供の友達も遊びに来たりする。家族にとっては、良い環境になった。」と、とても充実した様子で明るく語った。

 実際、家族の協力がなければ酪農経営は難しく、妻の同意を得られず、就農できないという話も耳にする。労働力1名では飼育できる頭数に限界があり、生活できるだけの収入を得ることができない。横井氏も、妻の手助けは不可欠であると強調していた。

4 横井氏の経営概要

 現在の飼養頭数は、搾乳牛36頭、育成牛14頭。1頭当たり平均乳量は約28キログラム/日で、年間約300トンの生乳を出荷している。

 酪農経営を始めて、まだ3年目に入ったところであり、乳牛の回転が軌道に乗るのはこれからであるが、横井氏は後継牛として年2割(年間6、7頭)は保留し、完全自家育成牛とする計画である。

 これは、育成後継牛の相場に左右され経営が圧迫されることがないよう、なるべく新しく乳牛を購入しないようにするためであり、乳価や乳量によっては経営が厳しい事態も想定されるので、自家保留しないものには和牛を種付けしてF1(交雑種)として出荷し、収益を上げたいとのことである。最近はF1子牛の価格が高いこともあり、横井氏の経営方針は堅実であるといえよう。

 牧場での作業は基本的には主に美鈴さんと2人で行っている。搾乳は朝の5時半から7時まで横井氏のみで行い、夕方は16時から17時まで、夫婦2人で行っている。

 体力的にもきつい夏には酪農ヘルパーを月3回、その他の季節は月2回を頼むようにしており、家族に負担がかからないよう配慮している。最近では、パートで従業員も雇用できるようになり、週5日で朝と夕方の手伝いをしてもらっている。

 就農にかかった初期費用は主に牧場施設と乳牛、さらに追加で購入した乳牛15頭の購入資金で約1600万円。青年等就農資金を利用して借り入れた。牛舎を引き継いだので、この程度の費用で済んだ。

 ふん尿は液肥として処理し、9割を和牛農家の牧草地へ、1割を野菜農家へ無償配布している。周辺には畜産農家が少ないため、周辺農家からは「もっと入れてほしい」という声もあるほどで、ふん尿処理に関しては恵まれた環境である。

写真2 牛舎外観
写真3 牛舎内の様子

5 特徴的な取り組み

(1)搾乳牛の飼養管理に専念

 牛になるべく無理をさせず、長命連産を目標とする飼養管理を行っていきたいとの希望があり、そのためには、ささいな牛の変化も見逃さない日々の飼養管理が大切であると考えている。

 横井氏は採食量、乳質の変化に常に気を配っている。飼料は1日6回に分けて与えている。細かく分けて給与することで、採食量を維持し、乳量と乳質の向上を図っている。毎食の給与量を把握し、飼槽内の飼料の掃き寄せを小まめにしている。

 また、酪農組合の乳質チェックのほか、牛群検定による月1回の繁殖状況、乳量、乳質などのデータを確認している。今後は乳量の多い牛が産まれるような交配も研究していきたいという。

 このように、なるべく搾乳牛に目を向けていたいという思いから横井氏は、農場での作業は搾乳牛の飼養管理に専念することを心がけ、それ以外の仕事にはなるべく手間をかけないよう、以下のような取り組みを行っている。

・飼料は全て購入

 現在、横井氏は牧草を生産しておらず、全て購入している。過去、飼料価格高騰時に自給して賄おうとした県内の酪農家は、結果的に乳量が落ちてしまったという。良質な自給粗飼料は短期間では作れないし、トラクターなどの初期投資も必要となる。そのため、現在は牧草の生産は考えていない。牧草は前職の仲間から情報も得ながら購入しており、良質な粗飼料をたっぷりと与え、高品質な生乳生産を行っていきたいとのことである。

 また、配合飼料についても購入で賄っている。台風被害を受けやすいため、県内には飼料穀物用の畑が少ない。配合飼料価格は高止まっていて、厳しい経営状況は続いているが、畑に時間を取られると、牛の世話が疎かになり、発情の見逃しや牛の事故も多くなるとして、今後も飼料を自給する計画はない。

・子牛はすべて預託

 横井牧場では子牛の育成は自らは行っていない。牧場の面積が狭いこともあるが、沖縄の酪農ではよく見られるとのことである。

 横井氏が現在保有する14頭の育成牛はすべて預託に出しており、11頭は北部の沖縄県乳用牛育成センターへ預託し、残り3頭は北海道へ預託に出している。来年の春には、就農後、初めて預けた牛が帰ってくるので期待が高まっている。

・液肥は無償で配布

 近隣一帯は島尻マージといって有機質が比較的少ない土壌のため、液肥の受け入れ先は多い。以前のオーナーは、液肥を販売していたが、そうすると、販売先のニーズに合わせなければならず、作業負担が増えるため、自分で取りにきてもらうことを条件に、無償で配布している。

・規模拡大にこだわらず、現状を維持

 飼育数を無理に増やせば、経費もかかり、労力も増えるなど、負担も多くなる。購入した牛舎は築25年で、今後、相応の修繕費がかかると思われ、また、土地も借地であり、後々は購入したいと考えている。

 また、今は何の心配もなく、液肥として配布しているふん尿の処理も、今後、受け入れ先がなくなった場合のことも慎重に考えておく必要がある。あくまで生活できる範囲で経営を維持していくことが最も重要との信念を持っている。

(2)暑熱対策

 沖縄ならではの事情としては、気温の高い期間が長いことが挙げられる。気温の年較差が小さく、夏の暑い日では、30度を超える日も多いことから、暑さによる乳牛の食欲低下による乳量の減少などが懸念されるため、なるべく牛の体温を下げるような配慮が必要となる。

 就農直後は、電気ポンプで水を送り、細霧機で牛の背中に水霧を吹き付けていたが、電気代がかさむため、なるべく電気を使わないような設備が望ましいと考えた。

 そこで、新たに大型の換気扇を約10台設置。中古のため購入費用は1台あたり1万円程度と安価で済んだ。この換気扇の真上に設置したホースから、電気を使わず水圧だけで換気扇の前に水滴が落ちるようにした。大型換気扇でその水滴を牛の後ろから吹きつけ、牛の体温を下げるよう工夫をしている。

写真4 牛の背中に大型換気扇で送風
写真5 換気扇の様子

 このほかにも、屋根にスプリンクラーを設置して、農業用水を散水することで、牛舎内の温度を下げる工夫もしている。

 日々の電気代も積み重なってくると経営を圧迫する要因になるため、経費削減には注意を払っている。また、牛舎も古いため、今後、改修部分も多くなってくることから、なるべく費用をかけないよう心がけている。

6 今後の展望

 横井氏は、今後の展望について、今は日々の作業に注力していきたいとしている。

 規模の拡大などいろいろなことを考えると、牧場の作業に集中できなくなる。牛のささいな変化もくみ取れないし、事故も多くなる。生計を維持できるだけの収入があればそれでいい。今は自由に作業もできているし、日々充実しているとしている。まずは基盤をしっかり固めたい意向であった。

 また、これからの新規就農については、作業が大変そうだとか、経営が成り立つのかとか、暗いイメージを持ってしまいがちだが、自分の思いを実現できる喜びがある。若手の新規就農者が増えて酪農がもっともっと盛り上がったらうれしいと、後に続く後継者の出現に期待している。

写真6 横井夫妻
写真7 趣味で飼っている大型犬

7 おわりに

 横井夫妻からは、肩の力を抜いた自然体という印象を受けた。

 就農当時は本当に忙しかったとのことで、さまざまなご苦労があったと思われるが、それもまったく苦に感じていない様子であった。

 新規就農となるとあれこれ準備が必要で、気負うことも多いと思うが、横井氏の場合は、なるべく初期費用を抑えること、規模を拡大することを考えずに経営基盤を固めることに注力しており、厳しい気候条件に合わせた、きめ細かな飼養管理を行っていた。

 一般的に酪農に不向きとされる気候下においても、このようにさまざまな工夫を重ねながら、経営改善に取り組まれる横井氏のような酪農家が今後、多数活躍することを期待したい。

 最後にお忙しい中、本取材にあたりご協力いただいた関係者の皆様に感謝申し上げます。

資料:糸満市ホームページ
    農林水産省「畜産統計」(26年2月1日現在)


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