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 畜産の情報 2014年2月号

豪州におけるかんがい酪農と水資源政策・水利権取引

調査情報部 根本 悠

【要約】

 豪州の生乳生産は、近年の干ばつの影響により伸び悩んでいる。そうした中、ビクトリア州北部では、降雨のみに依存しないかんがい用水を用いた酪農が行われ、唯一2年連続で生乳生産が増加している。一方で、かんがいを用いた酪農も、長年懸案であったマレー・ダーリング川流域計画の合意による水資源政策の転換により、水使用量の削減と、それに伴う水利権取引の活発化という変化の波にさらされている。そのため、水使用量減少に伴う生乳生産の減少や、変化に対応して規模を拡大する酪農家と、対応できずに規模を縮小する酪農家への二極化が予想される。

1.はじめに

 「豪州は乾いた大陸である」―豪州の自然・気象条件を表す際、よく使われるフレーズである。その言葉どおり、内陸部に広大な乾燥地帯が広がり、河川はしばしば涸れ、高温乾燥による山火事も頻繁に発生する。

 そして、この「乾いた大陸」は、日本の主要な乳製品輸入先である。特にチーズは、日本の輸入量の約4割を占める最大の輸入先であり、日本の乳製品需給を考える上で、豪州の酪農産業の動向を把握することは重要な意味を持っている。

 今、豪州の酪農産業は、重要な局面に立たされている。2000年代以降の度重なる干ばつにより、生乳生産は減少傾向にある。2012/13年度(7月〜翌6月)も、乾燥気候の影響から大半の地域で前年度を下回る生乳生産となり、豪州特有の雨水に依存した放牧酪農の脆弱性を浮かび上がらせる格好となった。

 そうした中、唯一生乳生産が増加した地域がある。それはかんがい用水を用いた酪農(以下「かんがい酪農」という。)が行われているビクトリア州北部である(図1)。そのため、降雨量の増減の影響を受けるとはいえ、多少なりとも水使用量の調整が可能なかんがい酪農の存在感が高まっている。しかしながら現在、かんがい酪農においても、水資源政策の転換や水利権取引の活発化といった変化の波にさらされている。

 本稿では、冒頭で、豪州全体の酪農産業に関する動向を把握した後、重要性が増しているかんがい酪農の動向について、密接に関連する水資源政策や水取引制度との関係性から考察し、今後の豪州の酪農産業動向を見通す一つの材料としたい。

 なお、本稿中の為替レートとして、1豪ドル=95円(2013年12月末TTS)を利用した。

注:豪州の州などの表記については、図1のとおり。
図1 豪州の酪農生産地域
資料:DA資料をもとに機構作成

2.豪州の酪農の概要

(1)酪農産業の特徴

 豪州の酪農産業の最大の特徴は、広大な牧草地を利用した放牧酪農にある。牛は1日中牧草地で草を食み、搾乳時のみミルキングパーラー(搾乳室)に入り、再び牧草地に戻るという生産体系である。すなわち「牧草あっての生育」という生産体系であるため、生乳生産に明確な季節変動があり、牧草の生育が良好な春から夏(南半球であるため9〜12月頃)にかけて、集中的に生乳を生産している(図2)。
図2 豪州の月別生乳生産量の推移
資料:DA
  注:2012/13年度(7月〜翌6月)

 通常、放牧酪農は飼料コストの低減に加え、飼料給与などの労働時間が削減できることで、生産コストを安く抑えることが可能となる。しかし、ひとたび干ばつが発生すれば状況は一変する。牧草が育たなければ、牛は十分な飼料を得ることができなくなり、生乳生産は減少する。すると、酪農家は生産を回復させるために干ばつ下で高騰している牧草などの飼料を購入せざるを得ず、これが生産コストの上昇をもたらし、収益を圧迫する。

 つまり、豪州の酪農経営において、気象条件は決定的に重要な意味を持っている。

豪州の牧草地
豪州の牧草地(干ばつ時)

(2)生産動向

 豪州の酪農家戸数は、長期的に減少傾向で推移している。一方、乳牛飼養頭数は、2000/01年度まで増加してきたが、その後の度重なる干ばつにより減少し、近年は横ばいで推移している(図3)。また、生乳生産量は、飼養頭数と同様に2000/01年度以降減少し、近年では横ばいで推移しているものの、1頭当たり乳量については緩やかな増加基調が継続している。豪州は放牧主体であるが、放牧環境の悪化などから大半の酪農家は何かしらの補助飼料(濃厚飼料など)を給与しており、1頭当たり乳量の増加につながっているものとみられる(図4)。
図3 豪州の酪農家戸数および乳牛飼養頭数の推移
資料:ABARES、DA
図4 豪州の生乳生産量および1頭当たり乳量の推移
資料:ABARES、DA

(3)輸出動向

 豪州の生乳生産量は世界で11番目にしか過ぎない。しかし、生産された生乳の約4割は輸出に仕向けられるため、輸出量では世界第4位の主要輸出国である。品目別の輸出額を見ると、全体の約3割はチーズであり、脱脂粉乳、全粉乳と続いている(図5)。

 輸出先国別に見ると、輸出量の多い順に中国、日本、シンガポールとなっており、アジアが主な輸出先である(図6)。日本は豪州のチーズ輸出の約6割を占めており、長らく最大の輸出先であったが、経済成長に伴う中国の乳製品、特に粉乳需要の高まりから、2012/13年度は、中国が最大の輸出先となっている。
図5 豪州の品目別牛乳・乳製品輸出額
(2012/13年度)
資料:DA
図6 豪州の輸出先別牛乳・乳製品輸出量
(2012/13年度)
資料:DA

(4)生産者乳価の動向

 豪州の生産者乳価は、2007/08年度に干ばつの影響により高騰したが、これを除けば近年緩やかに上昇している。豪州は放牧酪農が主体であるため、生産コストが安く、乳価も低く抑えられることが、国際市場における強みの一つである。しかし、近年は、補助飼料の投入に伴う生産コストの増加や、国際的な乳製品需要の高まりを受けて、上昇傾向にある。2012/13年度は低下したものの、2013/14年度の支払乳価(見込み)は上昇しており、酪農家の増産意欲の向上が期待されている。
図7 生産者乳価の推移
資料:DA、ABARES
注 1:年度は7月〜翌6月
注 2:2013/14年度はABARESによる見込み

3.豪州のかんがい酪農

 豪州の生乳生産の主要地域はVIC州であり、豪州全体の生乳生産の約3分の2のシェアを占めている。このうち、VIC州北部は主要なかんがい地域となっている。次に、この地域を中心としたかんがい酪農について見ていきたい。

(1)かんがい酪農地域の概要

 豪州のかんがい酪農は、VIC州北部とその周辺で行われている(前掲図1)。この地域は、豪州の主要河川であるマレー川とマランビジー川の流域に当たり、酪農のほかにもコメや園芸作物(主にブドウやオレンジ)が、かんがい農業によって生産されている。

 VIC州北部周辺は、豪州最大の乳業メーカーであるマレーゴールバン酪農協同組合をはじめ、8つの乳業メーカーが12の工場を有する主要乳製品製造地域である。そして、生産された生乳の多くがチーズ、粉乳などの乳製品となって世界各国に輸出されている。

 豪州のかんがいは、地下水ではなく地表水を用いたものが主流である。主要河川から区画分けした牧草地に隣接するように用水路を引き、取水口を開けると水が流入するというものである。また、より大規模な農場においては、センターピボット方式のスプリンクラーかんがいも行われている。
豪州の牧草地かんがい用水
センターピボットスプリンクラーかんがい

(2)生産動向

 かんがい酪農地域であるVIC州北部の生乳生産量は、豪州全体の約4分の1を占め、VIC州東部・西部とともに主要な生産地域である(図8)。
図8 豪州の州・地域別生乳生産量(2012/13年度)
資料:DA
  注:2012/13年度(7月〜翌6月)
 2000年代の干ばつ以前は、VIC州北部は最大の生乳生産地域であったが、当時の干ばつは、VIC州北部への影響が大きく、VIC州の他の地域が横ばいで推移する中、北部のみ減少傾向となった。こうしたことから、水資源政策の転換や、かんがい設備の増設効率化が進み、2012/13年度は、乾燥気候に伴い他の地域で生乳生産が減少する中、かんがい設備を通じた有効な水利用から、唯一2年連続で前年を上回る生産量となった。その結果、かんがいによる効率的な水利用により、生産維持・拡大の可能性を秘めているVIC州北部への注目が高まっている(図9)。
図9 VIC州地域別生乳生産量の推移
資料:DA
  注:年度は7月〜翌6月
 また、近年のVIC州北部の生乳生産とかんがい農業への水配分量の推移を見ると、使用できる水の量が生乳生産に大きく影響している。このため、VIC州北部の酪農関係者の間では、今後の水資源政策の動向について関心が高まっている(図10)。
図10 VIC州北部における生乳生産とかんがい用水への水配分量の推移
資料:NWC(豪州国家水委員会)

4.水資源政策の転換とかんがい酪農への影響

 豪州の生乳生産の動向は、水資源に左右されるが、近年大きく転換している豪州の水資源政策と、それがかんがい酪農に及ぼす影響について見ていきたい。

(1)豪州の水資源政策転換の背景

 近年の豪州の水資源政策の転換の背景は、2000年代以降深刻化する干ばつにある。

 乾いた大陸である豪州は、歴史的にも幾度も深刻な干ばつに見舞われてきた(表1)。大規模な干ばつは10〜20年に一度発生し、数年かつ広範囲にその影響が表れている。特に、2000年代以降の干ばつは、豪州の農業主要生産地域であるマレー・ダーリング川流域(以下「MD川流域」という。)に深刻な影響を及ぼし、豪州の農業生産全般に深刻な打撃を与えた(図11)。また、90年代以降、日本と同様に豪州でも環境保護意識が高まり、かんがい農業における過剰取水や、それに伴う塩害などが、これまで以上に問題となってきた。
表1 豪州の干ばつの推移
資料:ABS、ABARESをもとに機構作成
図11 豪州の農業生産量の推移
資料:ABARES
注 1:牛肉は子牛肉を含む
注 2:枝肉重量ベース
注:マレー・ダーリング川流域(MD川流域)は、豪州で最も長い3つの河川、
  ダーリング川、マレー川、マランビジー川の流域(図12)。4州1特別地域(QLD州、
  NSW州、VIC州、SA州、ACT)にまたがる。豪州の農業生産額の約4割を占める
  主要農業地域である。
図12 マレー・ダーリング川流域(MD川流域)
資料:BOM(豪州気象庁)資料をもとに機構作成

(2)「07年連邦水法」の制定

 以上の背景から、豪州の水資源政策は2000年代以降、大きく転換している。その根幹が、「2007年連邦水法」の制定である。

 連邦国家である豪州では、外交、貿易などの国全体に関わる事項を除き、各州政府に大幅な自治権が付されており、水資源政策についても、各州政府の権限事項となっている。しかし、2000年代の干ばつを契機に、水資源の管理は国家的な命題であるとの認識から、連邦政府は、部分的ながらも水資源政策に連邦政府が関与することを可能とした、「07年連邦水法」を制定した。

 同法律では、かんがい設備の近代化、農業を含む産業と自然環境の調和の取れた水資源の利用、水使用量の上限設定、環境用水の連邦政府による買戻しなどが規定されており、これらの目的を達成するため、「マレー・ダーリング川流域計画(MD川流域計画)」が策定された(表2)。MD川流域計画とそれに付随する取り決めは、連邦政府と各州との長年に及ぶ議論の末、2013年9月、ようやく合意に至った。以下、概要を説明したい。
表2 豪州の水資源政策の推移
資料:VIC州一次産業省、DA資料をもとに機構作成

(3)MD川流域計画の概要

 MD川流域計画のポイントとなるのは、「持続可能な水使用量制限」の設定である(表3)。これは、農業をはじめとするあらゆる産業、自然環境、市民の日常生活において、いずれも持続可能な範囲内で、MD川流域の水使用量を制限するというものである。産業活動における「持続可能」とは、これまでより効率的な水使用方法を行い、同じ量・質の産出を目指すということを意味している。
表3 MD川流域計画の概要
資料:VIC州一次産業省、DA資料をもとに機構作成
 計画の主な内容は、MD川流域における2009年の水使用量1万3623ギガリットル(GL)に対し、2019年までにその約2割に相当する2750GLを削減し、1万873GLにするというものである。さらに、2024年までに新たに450GL減少させるという計画も含まれている(図13)。その実現に向けた方法として、かんがい設備の近代化、蒸発を防ぐための地表水から地下水への転換、環境用水の低減、連邦政府による水利権の買戻し、などが盛り込まれている。連邦政府による水利権の買戻しとは、河川の水を使用するに当たり水利権が売買されているが、連邦政府が、かんがい農業者などから、水利権を買い取ることで、水使用量の削減を図る、というものである。言い換えれば、水利権市場において、連邦政府が重要な「市場参加者」になるということである。
図13 MD川流域計画における削減必要水量
資料:VIC州一次産業省、DA資料をもとに機構作成

(4)かんがい酪農への影響

 水資源政策の転換は、かんがい酪農にどのような影響を及ぼすのであろうか。まず考えられることは、水使用可能量の上限設定に伴う生乳生産の減少である。

 デーリー・オーストラリア(DA)によると、かんがい酪農地域であるVIC州北部とその周辺では、2000年代以降の干ばつにより、使用可能な水量が大幅に減少したことで、生乳生産は減少し、水取引価格の上昇による生産費の増加を招いている。そうした中、MD川流域計画が策定されたことで、VIC州北部周辺における農業の水使用可能量は、同計画策定前から約3割減少すると見込まれている。

 こうした水使用量の削減がかんがい酪農に与える影響について、豪州のコンサルタント会社RMCG(以下「RMCG社」という。)が、今後(2013/14年度以降)の見通しを示している。それによると、VIC州北部の主要生産地区において、現行(2012/13年度)と同程度の水使用可能量の場合、2000年代の干ばつ前に比べ、酪農家戸数は18.3パーセント、生乳生産量は17.8パーセントそれぞれ減少するとしている。さらに、MD川流域計画に基づく水使用制限が実際に適用された場合には、酪農家戸数は26.8パーセント、生乳生産量は26.1パーセントそれぞれ減少するとしており、大きな影響が予測されている(表4)。もちろん、こうした予測は、気象状況の変化などによって大きく変動するため、あくまで一つの試算であるが、水という生産投入財の絶対的な減少による、生乳生産の減少が深く懸念されていることは事実である。
表4 かんがい主要地域の今後の酪農家戸数および年間生乳生産の見通し
資料:RMCG
  注:対象はゴルバン・マレーかんがい地区(VIC州北部の主要生乳生産地区)

(5)水資源確保のための対策

 連邦政府・州政府は、MD川流域計画の実現に向けた対策を講じている。豪州では、2000年の酪農乳業制度改革以降、酪農家の経営を直接支援する制度は基本的に撤廃されたが、水資源政策の及ぼす影響を考慮して、蒸発量減少のためのかんがい設備のパイプライン化、過剰取水抑制のための水使用量測定精度向上など、かんがい設備の近代化に対する支援プログラムを実施している。主なものとして、連邦政府による「農場におけるかんがい効率化プログラム」がある。これは、かんがい設備の改修により水使用量を節約した酪農家が、節約した水使用量の半分に相当する水利権を連邦政府に売り渡すことを条件に、かんがい設備改修に係る費用を政府が補助するというものである。

 RMCG社は、同対策に参加した酪農家に関する調査結果を公表している。それによると、酪農家が節約した水の市場価格は、千キロリットル当たり1,800豪ドル(17万1000円)に相当し、酪農経営における生産性は、9,800豪ドル(93万1000円)分増加したとしている。その他、かんがい設備の近代化に伴う労働コストの節約や、かんがい設備改修を行う地域の関連産業への経済効果も指摘されている(図14)。酪農家にとって、多額の費用と長い期間がかかるかんがい設備の更新を、独力で行うのは困難であり、同対策が一定の効果を見せている。また、経営設備が整えば、経営の拡大、後継者への移譲などの促進も期待されている。
図14 酪農家別かんがい効率化プログラムに伴う経管動向調査(サンプル調査)
資料:RMGC社資料より機構作成
 DAは、MD川流域計画の影響の大きさは認識しているものの、こうした「More Milk with Less Water(より少ない水で、より多くのミルクを)」のための取り組みにより、酪農家は水使用量削減計画の中での生乳生産の維持に努めており、今後の生産性向上は「決して克服できない課題ではない」としている。

5.水利権取引の活発化とかんがい酪農への影響

 以上のとおり、豪州においては、水資源政策の転換に伴う水使用可能量の削減が不可避な状況となっているが、一方で、これは、水利権取引の活発化をもたらすと予想されている。

(1)水利権取引制度の概要

 豪州の水利権取引制度は、前述した連邦水法に関連する事項を除き、基本的には州政府の管轄のもと、各地の水資源管理機関などにより管理されている。

 近年の水利権取引の推移を見ると、取引水量は明らかに増加している(図15)。これは、かつて土地と一体のものとして扱われてきた水利権が、土地と関係なく取引可能となり、売買が促進されたこと、また、2000年代の深刻な干ばつを経て、農業者が経営上のリスクヘッジとして、水利権を買う傾向が高まったこと、さらにMD川流域計画に伴う使用上限設定などが背景にある。このため、連邦水法に規定された連邦政府の買戻しが、水利権取引のかなりの割合を占めており、水利権取引に大きな影響を及ぼしていることがわかる。
図15 MD川流域南部の水利権取引水量の推移
資料:NWC

(2)水利権取取引と生産動向

 水利権取引には大きく分けて2種類ある。永続的な権利(water entitlement、本稿では「長期水利権」と呼称)の取引と、長期水利権の枠の中での短期(1年)的な使用権(water allocation、同「短期水使用権」)の取引である。両取引の動向を見ると、酪農家が時々の水資源の状況に応じてどのように対応しているかが見えてくる。

(1)長期水利権

 長期水利権は、永続的な権利であり、水資源および農業の長期的な需給状況に応じて取引される。酪農家にとって長期水利権の購入は、設備投資やリスクマネジメントの手段という意味合いが強い。そのため、取引頻度自体は少ないが、1回の取引量が大きいため、総取引量は多く、取引価格も高いが、通常、価格変動は比較的小さい。また、かんがい設備の近代化が進んだ場合、余剰となる水利権は売却されることになる。

 長期水利権の取引は、通常7月から9月にかけて増加するが、同時期は豪州の会計年度開始の時期であるという事務的な事情とともに、春以降の生乳生産本格化に備え、牧草に十分な水を給与するため、この時期に購入する農家が多いという農業生産上の要因も影響している(図16、表5)。
図16 長期水利権の取引の推移
資料:Victorian Water Register
表5 かんがいを用いる酪農家の水使用可能量に応じた対応法(一例)
資料:NWC資料、マレー・デーリーからの聞き取りなどをもとに機構作成
 ただし、干ばつの年は、通常の年と異なる取引状況となる。干ばつの発生した2008年は、長期水利権の取引水量が大幅に上昇する一方、短期水使用権の取引水量は少ない。これは、短期水使用権の購入では不十分であるため、長期水利権を買う農家が増加したためとみられる。その一方で、あまりに水取引価格が高く、飼料を購入した方が良いとの判断から、長期水利権を売渡した農家が増加したことも要因にある。VIC州北部の酪農団体であるマレー・デーリーによると、極端な場合、干ばつ年は高騰している長期水利権をすべて売却して酪農を休止し、気象条件の回復後に再開するという酪農家も存在するため、VIC州北部の乳牛を、一時的にVIC州東部・西部の酪農家に預ける、といった制度もあるとのことである。

(2)短期水使用権

 一方、短期水使用権は、その年の短期的・突発的な水資源・農業の需給状況に応じて、長期水利権の枠の中で取引される。酪農家にとって、かんがいをするために購入するのは長期水利権、時々の状況に応じて利用するのは短期水使用権といったところである。状況に応じた補足的な取引であるため、1回の取引量は少ないが頻繁に取引され、通常、取引総量は長期水利権より多く、取引価格は安い。 短期水使用権の取引は、10月前後にやや増加するとともに年度末の6月に増加している。10月前後は、生乳生産のピークであり、酪農家は状況に応じて、水が不足する場合には、短期水使用権を買い足し、逆に必要以上の水利権を所有している場合には、不要な分を短期的に売渡して、現金収入を得る、という行動を取る。また、6月の増加は、年度終わりの6月に短期水使用権を購入しても、次年度に持越しが可能であることから、7月以降の長期水利権取引活発化の前に購入する動きが多いため、とみられる(図17、表5)。
図17 短期水使用権の取引の推移
資料:Victorian Water Register
 また、干ばつ年であった2008年は、上述のとおり、長期水利権の購入で対応した農家が多いため、短期水使用権の取引価格は高騰しているものの、取引水量は低水準となっている。一方、同様に乾燥した気候であった2012/13年度の短期水使用権の取引水量は、大きく増加している。直近の干ばつの経験、水資源政策の転換などにより、傾向的に水取引が増加する中、干ばつほどの厳しい気象条件ではなかったため、短期水使用権の購入で対応した酪農家が多かったことによるもの、とみられている。

(3)水配分可能率

 以上のとおり、時々の状況に応じて水利権は取引されている。ただし、注意しなければならないことは、水利権が得られたからといって必ずしもそれに応じた水を実際に使用できるわけではない。当然ながら、貯水池(ダムなど)の水量が十分でなければ権利を有していても使うことはできない。そのため、時々の貯水池の状況に応じた配分可能率というものがあり、水が豊富にあれば100パーセントかんがい用水は確保されるが、干ばつ時は50パーセントを下回ることもある。2007/08年度から2008/09年度にかけては、干ばつの影響により、配分可能率は高くても30パーセントを下回っており、極めて水使用可能性が低い状態であったことがわかる(図18)。
図18 短期水使用権の取引価格と水配分可能率の推移
資料:NWC

(3)かんがい酪農への影響

(1)現状

 水利権取引に関する現状について、マレー・デーリーによると、「水はビジネス」と考える酪農家は確実に増加している、としており、これは、上述の図15における取引水量の増加に表れている。「水利権が余れば、短期水使用権を売り出す」、「飼料価格に比べ水利権価格が相対的に高ければ、水利権を売却し補助飼料を購入する」、「深刻な干ばつになれば、経営を一時中断し水利権を売却する」など、様々な対応があり、それはすべて個々の酪農家の判断であるとしている。特に水利権の売却については、酪農家より水が必須である園芸農家や稲作農家が、大事な水利権の売り先になる。

 一方、こうした最近の水取引の活発化についていけない酪農家も存在する。主に従前から酪農経営を続けている高齢経営者にとっては、近年の干ばつと水利権取引の活発化は深刻な悩みの種となっている。

 そのため、VIC州政府やマレー・デーリー、水資源管理機関などは、各酪農家の経営判断のため、水資源に関する制度・政策の動向や、効率的なかんがい設備を持つ酪農家の事例紹介など情報周知に努めている。

(2)今後の見通し

 現在(2013/14年度前半(7〜12月))の水利権取引の動向を見ると、長期水利権の取引量は少なく、価格も低水準にある(図16)。2012/13年度の乾燥気候から気象条件が回復していることからも、現時点では酪農経営における水資源について、大きなひっ迫感はないものと思われる。また、実際の水使用可能性の指標となる水配分可能率、貯水率も、100パーセントかそれに近い割合となっており、当面はかんがい酪農を行うに当たり深刻な状況とはなっていない(図19、20)。
かんがい用水の水源となるダム
図19 最近の流域別水配分可能率の推移
資料:Goulburn-Murray Water
図20 最近の水源別貯水率の推移
資料:Goulburn-Murray Water
 しかしこれらの状況は、水使用可能量の「長期的減少傾向の中の短期的安定」に過ぎない。実際に短期水使用権の取引価格は、上昇しつつあり、12月に入り貯水率も低下傾向となっている。政策的な水使用の上限がある中、酪農家にとって、水利権取引相場のひっ迫は引き続き大きな懸念事項である。

競合?それとも協同?―コメとブドウとかんがい農業

 VIC州北部とその周辺では酪農のほかにコメやワイン用のブドウもかんがい用水を用いて生産されている。これらも時々の水資源の状況に大きく影響を受けるが、その対応は実に対照的である。

水の売り手:稲作農家

 豪州の稲作は、NSW州南部のかんがい地域を中心に行われている。近年の生産量を見ると、変動が非常に大きいことがわかる。特に深刻な干ばつの影響から、2006/07年度から2008/09年度にかけては、著しい減少となっている。このとき、水の配分可能率は10パーセント程度であり、酪農のように補助飼料による対応がされるわけでもない。稲作農家の決断は簡単、コメの生産をあきらめ、高騰している水利権を園芸農家または酪農家に売り渡すのである。そして、稲作農家自身は小麦や大麦を生産し、水量が回復すれば稲作を再開するのである。事実、2010/11年度以降は、気象条件の改善から、生産を再開した農家が多く、生産量は急激な回復を見せている。

豪州の稲作地帯
図27 豪州のコメ生産量と水配分可能率の推移
資料:ABARES、NWC
  注:年度は7月〜翌6月
水の買い手:ブドウ農家

 豪州のブドウ生産は、SA州東部からNSW州南部のかんがい地域を中心に生産されている。近年の生産量を見ると、コメと比べ変動が小さく、水配分可能率が低下している年も一定の生産量を維持している。ブドウは永年性作物であるため、ブドウ農家は稲作農家のように、「水がないから今年はつくらない」というわけにはいかない。そのため、稲作農家とは逆の判断を行う。すなわち稲作農家または酪農家から水利権を買い足し、生産を維持する。
豪州のブドウ生産地帯
8 豪州のぶどう生産量と水配分可能率の推移
資料:ABARES、NWC
  注:年度は7月〜翌6月
競合?協同?それとも…。

 干ばつ時、稲作農家は主に水の売り手となり、ブドウ農家は主に水の買い手となる。酪農は補助飼料の投入という代替手段がある一方、園芸農家ほど生産継続のひっ迫感はなく、中間的な位置にあると思われる。

 一見すると、かんがいを用いる各農業部門は、限りある水資源を奪い合う「競合」の関係に見える。しかし、生産縮小して水利権販売代を得たいコメ農家(および一部酪農家)と、生産継続のため水利権を買いたいブドウ農家(および一部酪農家)は、干ばつという危機的状況の中、お互いの利益のため「協同」している側面もある。

 とはいうものの、生産を減らすのも高騰する水利権を買うのも好ましいことではない。つまるところ、干ばつ下の「痛み分け」という表現が一番適しているのかもしれない。

6.おわりに

 今後、長期的に水使用可能量の減少は、不可避とみられており、それに伴いかんがい酪農地域の生乳生産が減少する可能性が指摘されている。それと同時に、水使用可能量の減少は、水利権取引の活発化をもたらすと思われ、酪農家は効率的なかんがい設備と戦略的な水利権取引が求められている。その結果、今後かんがい酪農においては、変化に対応して規模を拡大する酪農家と対応できずに規模を縮小する酪農家への二極化が予想される。

 
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