調査・報告 専門調査 畜産の情報 2014年6月号
岡山大学大学院 環境生命科学研究科 教授 横溝 功
【要約】粗収益の減少と生産コストの上昇の間に挟まれ、厳しい環境に苦しんでいる畜産経営体が多い中で、優れた経営管理技術を保持し、付加価値の創造に積極的に取り組んでいる岡山県の有限会社 哲多和牛牧場の事例から、畜産経営成功のメカニズムを明らかにするとともに、本牧場の取り組みを通じて、経営の持続性と地域への貢献に対する教訓について紹介する。 はじめにわが国の肉用牛経営を取り巻く環境は、年々厳しくなっている。さらに、TPP交渉や日豪EPAの交渉では、現行の牛肉関税の大幅な削減が求められている。図1は、近年の肉用牛肥育経営の交易条件(製品価格と原材料価格との比率を指す)を図示したものである。ここで用いた交易条件は、図1に注記したように、枝肉価格(アウトプットの価格)を配合飼料価格(主要なインプットの価格)で割ったものである。当然のことながら、交易条件は、高ければ高いほど肉用牛経営には有利になる。
このような厳しい条件下で、肉用牛肥育経営安定特別対策事業(新マルキン)が、肉用牛肥育経営のセーフティネットになっていることは周知の通りである。新マルキンは、四半期ごとの肥育牛1頭当たり平均粗収益が平均生産費を下回った場合に、その差額分の8割が補填されるものである。これにより、肉用牛経営は、収益性が悪化した場合にあっても、一定程度経営の安定を図ることが可能となるが、残りの2割は自助努力が求められる。それ故、各々の肉用牛経営は、創意工夫をこらして粗収益を上げ、生産費を下げることが、経営の維持存続に不可欠となっている。 本稿では、岡山県新見市の旧哲多町に立地し、(公社)中央畜産会が主催する平成24年度全国優良畜産経営管理技術発表会において、最優秀賞(農林水産大臣賞)を受賞した有限会社 哲多和牛牧場(以下、本牧場と略す)を対象に、粗収益の向上と生産費の削減に果敢に取り組む本牧場の経営努力の本質に少しでも迫り、そこから教訓を得たいと考える。 1. 有限会社 哲多和牛牧場の設立と特徴 新見市の旧哲多町は、千屋牛で有名な和牛の産地でもある。本牧場は、当地で平成13年9月に有限会社としてスタートした。立ち上げの際、職員が経営に参画する仕組みを導入し、300万円の資本金のうち、正職員19人が190万円を出資し、岡山JA畜産(株)(以下「JA畜産」という)が残りの110万円を出資した。なお、1口の出資金額は5万円であるので、正職員は1人当たり2口を出資し、JA畜産は22口の出資となった。
第1に、農地法の制約で、株式会社が農地を所有することができなかったことにある。すなわち、直営の株式会社形態では、農業生産法人になれなかったのである。 第2に、租税特別措置(肉用牛売却所得の課税の特例)の適用を受けるためには、農業生産法人になる必要があったためである。 第1の理由にあるように、本牧場は、後述するように放牧用の草地として農地を所有している。また、正職員が本牧場に出資をして構成員になるところに、本牧場のユニークさがある。正職員が自ら出資をすることで、経営に参画しているという意識が醸成されることになる。そのことによって、本牧場の経営成績を上げようというインセンティブを高めることになる。 なお、本牧場は3つの牧場から構成されている(表2)。本牧場の和牛の飼養頭数は、繁殖雌牛260頭、育成牛(繁殖雌牛の後継牛)13頭、子牛182頭、肥育牛795頭で、合計1250頭である(平成25年10月31日時点:写真1)。平成25年度には450頭の肥育牛を出荷予定である。
2. 家畜飼養での工夫と革新(1) 部門別管理の導入本牧場の代表取締役は、平成23年6月以降JA畜産代表取締役の荒嶋弥寿夫氏が兼務している。荒嶋氏は、全国農業協同組合連合会岡山県本部(JA全農おかやま)の元部長で、前身の岡山県経済農業協同組合連合会の時代には、採卵鶏部門を担当していたこともあり、極めて計数管理に優れている。また、中小家畜経営の角度から和牛の業界を見るという強みを活かして、和牛の業界の固定観念を打ち破るような工夫と革新を遂行している。荒嶋氏の下に場長が1人、繁殖・哺育部門と肥育・育成部門にそれぞれ場長代理が置かれている。場長は荒嶋氏とともにトップマネジメントの役割を、場長代理はミドルマネジメントの役割を果たしている。 本牧場の肥育もと牛は、自家産と外部導入の割合が6対4となっているが、荒嶋氏は、本牧場の部門別の経営成績を明らかにするために、平成24年4月から部門別管理を導入した。その結果、繁殖と育成部門が赤字になっていることが判明した。それまでは、繁殖と育成部門を持つことで、経営に大きく貢献していたと思われていただけに、本牧場関係者にとってこれは大きな衝撃であった。 (2) 繁殖と育成部門の改善 そこで、繁殖と育成部門の改善に取り組むことになる。具体的には、第1に、育成牛舎で、疾病が発生していたので、飼養密度を半減させている。この背景には、アニマルウェルフェアがある。 第2に、妊娠牛の健康管理・栄養のコントロールを徹底することで、死産を減らしている。 第3に、哺育のカーフハッチでは、場長のアイディアで、籾殻を厚く敷くようにしている(写真2)。籾殻は、近隣のJAのカントリーエレベーターから無償で調達し、自車で取りに行っている。籾殻は乾燥しており、湿ることはなく、(1)保温の効果があり、さらには、(2)臭気を減らす効果があるとのことであった。また、籾殻という地域資源の有効活用にもなっている。 第4に、夏期の猛暑の対策として、寒冷紗、遮光塗料、換気扇をカーフハッチや育成牛舎だけではなく肥育牛舎にも施している(写真3)。 これらの取り組みの結果、本牧場で生産される子牛(肥育もと牛)は、大きいもので300キログラムを超えるなど、改善に取り組む前に比べて体重が平均20キログラム程度増加するなど、繁殖と育成部門の改善が進み赤字幅は縮小に向かった。勿論、繁殖肥育一貫のメリットを活かして、増し飼いは一切行っていない。
本牧場はもともと繁殖成績がよく、受胎率は90%を超えていた。これは、本牧場における放牧の効果が大きい。本牧場は36ヘクタールの農地を所有し、放牧(5〜10月)のための草地として利用している。放牧によって、繁殖雌牛の足腰が強くなり、分娩が順調になり、そのことが、繁殖成績の向上につながっているのである。 しかし、繁殖雌牛の最高齢が12歳と、全体的に高齢化の傾向にある。これは、放牧の波及効果でもある。健康であるが故に、多産が可能になっている。しかし、高齢牛が出産する子牛は、一般に言われているように小さく、哺育育成に多くの時間を要することになる。 そこで、繁殖雌牛260頭に対して、1年間で30頭の更新を計画的に行っている。本牧場では自家産の雌子牛を後継牛にしているが、その工夫として、産肉能力の低い繁殖雌牛を借腹として受精卵移植を実施している。さらには、平成26年1月には、笠岡市と吉備中央町の酪農家と契約し、乳牛の借腹を活用して受精卵移植を実施している。 また、個人経営のように行き届いた分娩管理に近づけるために、分娩監視のIT機器を導入し、正職員によるサポートを実施している。しかし、機器に頼り過ぎることがないよう、荒嶋氏や場長は目視の重要性を職員に伝えている。 (4) 資本の回転より付加価値の追求 荒嶋氏はまた、肥育牛の飼養密度についても、近年は1牛房(24u)当たり飼養頭数を4頭から3頭に減らしている(写真4)。その背景には、育成牛と同じくアニマルウェルフェアがある。快適な環境で肥育牛を飼養することで、健康な肥育牛を生産することができ、事故率を減らし、枝肉を大きくすることが可能になる。 一方、1牛房に4頭飼養する場合は、肥育牛の飼養頭数が多くなり、出荷頭数も多くなる。しかし、事故率のロスが大きくなり、現状の交易条件の下では、出荷肥育牛1頭当たりの経常利益ではマイナスになり、「薄利多売」の状態になってしまうことを荒嶋氏は看破したのである。 そこで荒嶋氏は、経常利益をプラスにするために、肥育牛の飼養頭数を減らすという大英断を下したのである。現在の目標の枝肉重量を、去勢牛が30カ月齢で550キログラム、雌牛が32カ月齢で500キログラム、A5の目標割合を50%と設定している。これらの目標は、本牧場にとって極めてリアリティのあるものである。以上のように、本牧場では、飼養頭数を減らし、肥育牛1頭当たりの付加価値を高めることを目指したのである。
本牧場では、飼料を自家配合しているが、荒嶋氏は、高騰するトウモロコシの代替原料を求め、福島県の先進事例を調査したところ、神奈川県農業技術センター畜産技術所(以下、神奈川県畜産技術所と略す)が、豆腐殻を用いて高い肥育成績を上げているという情報を入手した。荒嶋氏はすぐに神奈川県畜産技術所を訪問し、実際に豆腐殻を用いて、上物率47.1%を達成していることを知り、豆腐殻を探求することを決定した。神奈川県畜産技術所における給与飼料のレシピは、豆腐殻、大麦、トウモロコシ、ビートパルプ、フスマ、配合飼料とのことであった。 その後、幸いなことに、広島県庄原市(旧東城町)で豆腐などを製造している食品会社が、豆腐殻の処理に困っているという情報を入手した荒嶋氏は、本食品会社に働きかけ、平成24年10月以降1日当たり5トンの豆腐殻(月〜土までの週6日間、30トン/週)を調達できることになった。 本食品会社は他県に立地するが、(1)本牧場のある旧哲多町と本食品会社のある旧東城町は隣接しており、輸送コストが安価であること、また、(2)本食品会社が中国地方の中山間に立地し、1日5トンもの豆腐殻を処理するだけの大規模な肥育経営が近隣にないことから、無料で調達している。こうした「追い風」とも言える豆腐殻の利用で、配合飼料430トン、年間2000万円程度のコスト節減につながった。 併せて本牧場では発酵飼料を給与している。これはビール粕や大麦、トウモロコシなどをアルコール発酵させたもので、飼料を牛の胃の中に近い状態にした製品である。発酵飼料を投与することによって給与飼料の消化率向上につなげている。これに軟質多孔性古代海洋腐食質(貝化石)とバガスなどの製品も添加している。貝化石は、カルシウムを多く含み、牛の骨格形成につなげている。また、バガスなどは、牛の腹づくりに貢献している。以上の原料を用いて自家配合している(表3、写真5)。
荒嶋氏は、先進事例の情報を入手すると、必ず現場に訪れて、その効果について自分の目で確かめている。そして、その情報を本牧場に持ち帰り、必ず場内会議で検討して、試行錯誤しながら、本牧場により合致した飼料給与体系を常日頃から構築しているのである。 3.経営の展開(1) 経営の成果と産地の維持表4は、本牧場の平成21年度から24年度までの損益計算書を比較したものである。これをみると、平成22年度の営業利益、経常利益、税引前当期純利益が大きくマイナスになっていることが分かる。これは、肥育牛の飼養頭数を減少させ、期首の棚卸高に対して、期末の棚卸高が4000万円以上減少していることが大きい。すなわち、その額だけ売上原価が大きくなったことによる。
本牧場のビジョンは、3つあるが、収益性の安定は、そのうちの1つである「将来の飛躍に向けて経営基盤を強化します」にまさしく合致したものである。 本牧場の安定的な経営展開は、千屋牛の産地の維持にもつながる。本牧場以外の肥育経営は、JA阿新の肥育センターと1戸の肥育農家である。前者は、肥育牛600頭の飼養規模で、年間350頭の出荷があり、後者は、肥育牛50頭の飼養規模で、年間25頭の出荷がある。それ故、両者で毎年375頭の肥育牛が出荷されており、また同数程度の肥育もと牛を導入することになる。それに対して、本牧場の肥育牛の出荷頭数は、450頭(平成25年度)であるが、繁殖肥育一貫であるので、外部導入は約150頭程度である。よって、これら3戸の経営で、年間500頭強の肥育もと牛を導入していることになる。 他方、JA阿新管内で出荷される和子牛の頭数は、年間550頭弱であり、上記の3戸の肥育経営(ただし、本牧場は繁殖肥育一貫経営)の存在によって、地域内一貫になっていることが分かる。 (2) 直販への挑戦と資金の調達 (注1)BtoB(Business to Business):企業間の商取引のこと 本牧場では、肥育牛舎で敷料としてオガ粉を用いていたが、コスト負担が大きかった。そこで、コストを減らすために、戻し堆肥にして、踏み込み式を採用し、敷料のコストを以下のように低減させている。なお、平成25年度は、400万円までの低減が見込まれている。 平成21年度 1357万円 平成22年度 969万円 平成23年度 1437万円 平成24年度 744万円 本牧場で生産される堆肥は、牛ふん堆肥として販売される以外は、第1牧場に隣接する(有)哲多町堆肥供給センターに原料供給するシステムになっており、堆肥処理で困ることはない。なお、(有)哲多町堆肥供給センターは、牛ふん、鶏ふん、豚ぷんを、6:3:1の割合で混合し、良質の「すずらん堆肥」として販売している。商圏は、JA阿新管内にとどまらず、岡山県の県南にまで広げている。 (4) 人的資源の確保と育成 本牧場の大きな特徴に、獣医師を2人雇用していることがある。これにより速やかな治療を行うことができ、事故数の減少につながっている。1人は、元NOSAIの獣医師で、現在は嘱託での雇用である。もう1人は、全農岡山からの出向という形態であったが、平成25年10月から本牧場の正職員になり、平成26年3月末で定年となり、4月からは再雇用になった。 また、本牧場における人材育成に関して、場長や場長代理だけでなく全職員がセミナーに参加したり、労災防止啓発やコンプライアンスの啓発DVDを見るようにしていることが挙げられる。平成25年度は民間のモチベーションアップのセミナーに10人が参加し、コストは1人当たり3万円とのことであった。 このような研修制度を充実させているところが、本牧場の強みである。本牧場のビジョンの1つの「畜産の「プロ集団」として高い生産目標を達成しつつ、「安全・美味・環境」を事業の基軸におき、自信と誇りをもって生産事業に取り組みます」にまさしく合致したものである。 (5) 新たなビジネスへの取り組み 本牧場では、太陽光発電に取り組み、場内での使用が6万円、売電が94万円と、1年間に100万円の価値を産み出している。さらには、大手ゼネコンに対し所有農地7ヘクタールの土地を貸与している。契約期間は21年間で、賃貸料は1年間に700万円である。大手ゼネコンの賃貸目的は、太陽光発電の敷地としての利用である。 このように、再生可能エネルギーにも踏み込むことによって、安定した収入の基盤を確立しているのである。 おわりに 本牧場の経営努力から得られる教訓を最後にまとめることにする。牛舎という施設を活用し、肥育牛という製品を生産する場合、薄利多売で回転率を上げる戦略には、充分な留意が必要である。特に、1頭当たり肥育牛の収益がマイナスの場合においては、いくら回転率を上げていっても、いたずらに損失が大きくなるだけである。それ故、粗収益を上げ生産費を下げる不断の努力が求められる。 参考文献 |
元のページに戻る