調査情報部 中野 貴史
【要約】 EUの生乳生産は、2015年3月の生乳クオータ制度による計画生産の廃止を前に、拡大基調にあった。しかし、2014年8月7日にロシアがEUなどからの乳製品を含む農畜産物の輸入禁止措置をとったこと、さらに2013年後半から急激に粉乳の輸入を拡大していた中国が、一転して粉乳輸入を急減させたことが重なって、欧州の乳製品市況は一気に緩み、価格は下落している。 1 はじめにEUの酪農情勢については、本誌2014年8月号で「乳製品の国際需給がひっ迫傾向にある中、2015年3月の生乳クオータ制度廃止を前に高い生産者乳価も推進力となって、輸出拡大のためにEUの生乳生産は拡大基調にある」と紹介した。しかし、その直後の8月7日、ロシア政府はウクライナ問題を契機に、EUほか米国や豪州などからの乳製品を含む農畜産物の輸入禁止措置を講じ、ロシアを主要輸出先としていた欧州の酪農界は大きな衝撃を受けた。加えて、粉乳の輸入を拡大していた中国は、2014年に入り輸入量を減少させており、これら事態が重なりあって欧州のみならず、乳製品の需給は世界規模で一気に緩み、国際相場は下落基調にある。 世界の乳製品需給は底が浅く、このように一部の国や地域の変化により、需給状況は大きく変化し、2014年9月にEUで開催された酪農関係の各種会議でも、ロシアと中国をめぐるこの2つの話題が主要テーマに取り上げられるなど、酪農関係者の注目を大きく集めている。 本稿では、これらの会議で議論された内容を基に、その後の需給情報を加味して、現在のEUの乳製品の輸出に影響を及ぼす国際情勢について報告する。 なお、本稿中の為替レートは、1ユーロ=149円(11月末日TTS相場:148.70円)を使用した。 2 EUの酪農を取り巻く状況まず、EUの生乳生産動向と乳製品の輸出を概観する。 EUは、2008年に、生乳生産の抑制を目的とした生乳クオータ制度を2015年3月をもって廃止することを決定した。生乳生産が自由化される2015年4月以降を視野に、その間の移行措置として、クオータ枠を毎年1%近く引き上げてきた。また、同様に、クオータ枠を超過して生産された生乳に課される課徴金の単価も削減してきた。こうした中、生乳出荷量は、酪農家の離農や天候不順等の影響も受けて必ずしも右肩上がりで推移しておらず、常にクオータ枠を下回っている状況にある。直近の実績を見ると、2013/14年度(4月〜翌3月)は天候に恵まれ放牧環境が良好であったことなどから、生乳出荷量は前年度比2.9%増の1億4404万トンとなったが、クオータ枠を4.6%下回る結果となった。クオータ制度実施の最終年度となる2014/15年度は、フランスやドイツなどの主要酪農国で生乳の増産体制が整備されつつあることや、前年度に引き続き天候に恵まれていること、また、EUの生産者平均乳価が比較的高い水準で維持されていることから、生乳出荷量は過去最高(前年度比1.6%増)が見込まれている。しかしながら、このような状況下でも、引き続きクオータ枠には達しないとみられている(図1)。 2013年のEUの乳製品輸出状況を金額ベースで見ると、主要品目であるチーズの最大の輸出先はロシア(輸出額全体の26%)で、米国(同19%)、スイス(同8%)、日本(同6%)、カナダ(同3%)と続く。ロシアやスイスはEUに近いという地理的優位性もあり、高いシェアを誇っている(図2、3)。 また、世界の乳製品貿易量の3割以上を輸入する中国は、EUにとって、粉乳類の最大の輸出市場となっている(図4)。
しかし現在、EUの乳製品輸出を取り巻く環境は、ロシアによるEU産乳製品の輸入禁止措置、また、2013年後半から急速に乳製品輸入を伸ばした中国向け輸出に減速感が生じるなど、大きく変化している。EUにとってロシアは最大の乳製品輸出先である。同国向け輸出の中心であるチーズやバターの輸出の動きを見ると、いずれも2014年8月以降の輸出量は激減している(図5、6)。
3 EUの乳製品輸出に影響を及ぼす国際情勢の大きな変化(1)ロシアの禁輸措置 ロシアは、人口1億4千万人の市場を有するが、国内の生乳生産量は約3千万トンと米国の約3割、EUの2割程度にとどまる。この結果、自国の乳製品需要を国内生産で賄うことは難しく、主要乳製品の自給率を見ると、バター:66%、チーズ:51%、脱脂粉乳:36%、全脂粉乳:66%、ホエイ:33%(2013年:EUのコンサルタント会社「GIRA」報告)となっている。これら不足分は、輸入に頼っており、EUはロシアの乳製品輸入全体の68.9%を担っている(2013年、金額ベース)。 このような状況下でロシア政府は2014年8月7日、EU、米国、豪州およびノルウェーからの乳製品を含む農畜産物の輸入を禁止した。これら禁輸の対象とされた国からの乳製品の輸入は、ロシアの乳製品輸入全体の70.7%に達する(表1)。ロシア政府は禁輸期間を1年と発表しているが、禁輸対象国からの乳製品輸入相当量を自国内、あるいは、禁輸対象国以外からの輸入で賄うのは不可能とみられており、禁輸措置を発表して間もなくの8月20日には、医療上の理由として無乳糖(ラクトースフリー)の乳および乳製品の禁輸が解除されたことから、EUの乳製品輸出業者の中には、1年を待たずして禁輸が解除になるのではと楽観的に考える向きもある。
表1のとおり、EUからロシアに輸出される乳製品のうち7割はチーズが占める。ハードもしくはセミハードタイプのチーズが主で、グレードの高くないものが多いとみられている。2014年10月のチェダー、ゴーダ、エダムのEU工場出荷価格を見ると、ロシアによる禁輸措置が発動される前の7月と比較して平均で13.4%安い100キログラム当たり47ユーロ(7003円)下落している。ロシアに多く輸出されていたグレードの低いチーズの下落率は、さらに大きいとみられている(図7)。禁輸措置が始まった8月時点で価格が急落しなかったのは、チーズ向けの生乳がバターや脱脂粉乳に一部仕向けられたことや、一部輸出業者がロシアに代わる代替市場を確保できたこと、また、禁輸の対象国となっていないロシア隣国のベラルーシを経由して、EU産のチーズがロシアに流れ込んだことが背景にあるとみられている。ただし、現在は、これら一時的な回避行動では輸出を維持することができない状況となっており、今後は、さらなる価格の下落も予想されている。 欧州委員会は2014年9月8日、ロシアの禁輸措置が、EUの酪農市場に大きな打撃を与えると予想されたことを受け、救済策として共通農業政策(CAP)の民間在庫補助制度(PSA)を使い、バター、脱脂粉乳、数種類のチーズに対し市場隔離を実施すると発表した。このうち、チーズについては、2週間後の9月23日には申請数量が予算規模を超過したことから、早々に申請の受け付けを打ち切った。しかし、当時の申請内容を見ると、申請者の約8割が過去にロシア向け輸出実績のない国内の需要減という問題を抱えていたイタリアの業者であるなど、実際にロシア向け輸出を行っていた業者の多くは、その時点ではまだ救済の必要性は小さかったとみられる。とはいえ、2013年にEUからロシアに輸出されたチーズは約25万トンであり、2014年は禁輸措置が発表された8月までに13万トンが輸出されている。EUにとってロシアは最大の乳製品輸出市場であり、また、その取扱量も大きい。このため、1年とされるロシアの禁輸措置が長引けば、生産者乳価のさらなる下落や生乳生産への影響が懸念されている。 また、欧州委員会は2014年11月19日、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の酪農家を対象に、総額2800万ユーロ(41億7200万円)の支援策を発表した。バルト三国は、EU加盟国の中でもロシア向けの乳製品輸出割合が高く、ロシアの禁輸措置の影響を最も受ける地域であり、2014年9月の生産者乳価は前年同月比27%安と、EU平均に比べ下落幅が大きくなっている(図8)。支援策の詳細は明らかにされていないが、このような乳価下落を踏まえた支援内容であると推測される。 2013年にEUからロシアに輸出されたバターと脱脂粉乳は、それぞれ約3万5千トンと約1万2千トンであり、2014年11月末までにPSAに申請された量は、それぞれ2万530トンと1万4335トンである。いずれも価格の下落とともに国際競争力を増し、輸出は上向きに推移しているが、バルト三国など加盟国によっては厳しい状況に置かれた国もあり、乳製品価格は今後も予断を許さない状況である。
禁輸措置後のロシア国内の乳製品事情
ロシアによる今回の禁輸措置は、ウクライナ問題に関する欧米諸国の経済制裁への対抗措置とされているが、一方でロシアは、食料自給率の向上という大きな政策課題があることから、これを機に自国の農業生産を振興しようとする目論見もうかがえる。ロシア国内での報道によれば、禁輸措置以降、酪農生産者は高水準で推移する生産者乳価を享受している。しかしながら、輸入に依存していた乳製品の全てを国産生乳で賄うことは困難であり、既に乳製品不足も報じられるなど、ロシアの乳製品需給はひっ迫傾向にある。EUなどによる経済制裁や最近の原油価格の下落などにより、ロシア経済には暗雲が立ち込めているともされる。EUの乳製品輸出業者によると、禁輸対象となっていない南米のアルゼンチンやブラジルからの輸入増が期待されているものの不足分を補うには至らず、同じく禁輸対象となっていないニュージーランドからの輸入を積極的に増やす気配は現時点ではみられない。
バターとチーズの価格は、需要期を迎える12月に例年上昇する傾向であるため、年末に向けてさらなる上昇が見込まれる。 (2)中国の輸入減速 中国の牛乳・乳製品消費は、経済発展とともに拡大が伝えられており、輸入量もこの数年間で飛躍的に増加している。現在は粉乳類をはじめとして世界最大規模の乳製品輸入国となり、同国の輸入動向が乳製品国際相場を大きく左右する存在となっている(図9)。EUの乳製品輸出業者で構成する欧州乳製品輸出入・販売業者連合(EUCOLAIT)は、中国の乳製品輸入について、経済発展による中間所得層の増加により牛乳・乳製品の消費が、国内の生乳生産の拡大を上回るスピードで増加することから、引き続き増加傾向で推移すると見ている。
EUにとって中国は、粉乳類やホエイ、飲用乳の最大の輸出先である。乳業メーカーは、クオータ制度廃止後を見据え、中国向け乳製品輸出の拡大を念頭に、粉乳工場の新設など、新たな設備投資をEU各地で進めている。 2014年の中国の粉乳類輸入状況を見ると、1月は前年同月を59%上回っているが、その後はほぼ右肩下がりで減少し、直近の10月では同50%減となっている(図10)。これは、2013年の9月以降の1年間で中国の粉乳類輸入量が前年同期比1.65倍と大きく増加したことで、一定の在庫水準に達したと見られることから、輸入需要に一服感が出てきたためとされている。中国の乳製品輸入の減少に伴い、乳製品の国際相場は下降傾向となり、ロシアによる禁輸措置の影響も相まって、EUの生産者乳価に対する大きな下げ材料となっている。
中国の飲用乳市場の状況
中国の飲用乳市場は国産生乳由来が主体であるが、最近では、賞味期限が長いUHT牛乳を中心に外国産製品が参入しており、EUも、2013年の対中輸出量は前年比83.9%増の11万7000トンと最大の飲用乳輸出先になっている。外国産乳製品に対する志向性の高まりがあるとされる中で、EU各国の乳業メーカーは、将来性が期待できる新たな輸出品目として中国向け飲用乳輸出に力を入れ始めている。
(3)ロシア、中国以外の乳製品需要 EUにとってはロシアや中国向け乳製品輸出が減少する中で、両国以外の輸出先を考えると、近年、経済発展と食の多様化を背景に粉乳類輸出が大きく増えているアフリカ諸国や中東諸国は、歴史的なつながりや地理的優位性もあることから、今後の乳製品輸出の有望な市場といえよう(図12)。 また、EU産チーズにかねてから根強い人気がある米国も、景気の回復に伴いEUからのチーズの輸入が増えており、今後もさらなる増加が期待されている(図13)。
4 おわりにこれまで過去のレポートで取り上げてきたように、2015年3月の生乳クオータ制度廃止を念頭に主要酪農国(旧加盟国)では、増産に向けた粉乳生産施設への投資や海外市場進出のための合併・出資といった動きが活発化している。一方で、EUの新加盟国(2005年および2007年加盟の旧東欧諸国)では、景気回復の遅れや財政問題がネックとなって、新たな投資は進んでいない。この結果、フランス、ドイツ、オランダ、英国などの主要酪農国がさらに生産力をつけ、ポーランドやルーマニア、ブルガリアなどの酪農小国の生産力はさらに弱まることとなり、欧州の酪農生産構造は二極化が顕著になると見られている。 長期的には、世界人口の増加と途上国の経済的発展に伴う食の多様化などにより、世界の乳製品需給はひっ迫基調になるとの見方が根強いが、2014年は、ロシアの禁輸措置と中国の乳製品輸入の減少という大きな問題が立ちはだかったことで、世界の乳製品需給のバランスは大きく揺れ動いた。このような中でも、EUの酪農関係者の間では、ロシアの禁輸措置の早期解除の期待は依然として大きく、また中国も、早期に輸入需要が回復するとの楽観論が大勢を占める。ロシア禁輸が予定どおりあるいは予定以上に継続し、中国の輸入需要の回復が遅れれば、世界的な乳製品相場の回復時期も後退するであろう。現在(2014年9月)のEUの生産者平均乳価は、100キログラム当たり36.34ユーロ(5378円)であるが、このままの状態が継続した場合、年末には同30ユーロ(4400円)を割り込むとの予測もある。EUでは、この乳価水準で酪農経営を継続できる生産者は限られるとされている。この状況がさらに長引けば、生乳および乳製品価格の下落と生乳生産費の上昇が同時に発生し、多くの酪農経営が廃業に追い込まれた2009年の酪農危機の再来もあり得る状況となる。 EUの酪農業界は、30年におよぶ生乳クオータ制度の廃止後、いかに順調に安定供給体制に移行するかという議論を長く続け、廃止に向けた対策を講じてきた。しかし、この歴史的な転換点を目前に控え、突如現れた国際情勢の変化に対しては、速やかな対応ができない状況に置かれている。 生乳クオータ制度廃止を前提とした生乳増産は、域外への輸出市場をにらんでのものである。EU産乳製品の輸出増は、EUの乳製品需給が国際乳製品需給の中に組み込まれていくことを意味する。底の浅い国際乳製品需給は、一部の国や地域の情勢の変化により大きく変貌するため、国際乳製品価格の変動性は大きい。EUが国際市場への依存度が高めれば高めるほど、EUの乳価は国際相場の影響を受けやすくなる。 EUの酪農は生乳クオータ制度による計画生産の歴史の幕を閉じ、市場指向性を高める選択をとったところであるが、ロシアと中国という2大輸入国が想定外の動きを見せる中、EUの酪農乳業は今まで以上に機敏な対応が求められている。EUの酪農改革は、まさに波乱の中の船出といえよう。 《参考資料》 畜産の情報 |
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