話 題  畜産の情報 2015年7月号

新たな「酪農及び肉用牛生産の
近代化に関する基本方針」の
策定に寄せて

東京大学国際高等研究所 サステイナビリティ学連携研究機構 機構長
(食料・農業・農村政策審議会委員及び畜産部会部会長)武内 和彦


はじめに

 わが国は今、急速に人口減少と高齢化が進む時代を迎えています。このため、今後、食料需要が減少し、牛乳や食肉を含め、国内の食品市場が縮小していく可能性が高まっています。

 一方、農村では、高齢者のリタイアによる農地の荒廃や、担い手の不足などによる生産基盤の脆弱化などが進行しています。このような状況を克服し、経営の規模拡大を図るなど、農業の将来に向けた展望を描くことが大きな課題となっています。

 また、世界に目を転じると、依然として人口増が続き、新興国などでの経済成長により所得水準が向上し、今後とも世界の食料や飼料などの需要の増大が続くと見込まれています。また、気候変動の進行により、異常気象が多発するようになり、食料供給への負の影響が懸念されるなか、食料安全保障の重要性が高まっています。そのため、食料の多くを海外に依存する現在の日本の状況には問題があると言わざるをえません。

 このような状況のもとで、食料・農業・農村政策審議会企画部会では、わが国農政全体の指針である「食料・農業・農村基本計画」の見直しを行い、国内農業生産による潜在的な供給能力を示す「食料自給力」指標などが提案されました。また、基本計画の見直しとあわせて畜産部会で新たな「酪農及び肉用牛生産の近代化に関する基本方針」(以下「酪肉近」という。)が審議され、本年3月末に決定されました。

 本稿では、畜産部会長として審議に携わった立場から、新しい酪肉近の意義について述べたいと思います。

畜産部会での審議経過

 畜産部会では、生産者、消費者、流通関係者など、現場の関係者が委員として参画し、現場目線での活発な議論が展開されました。酪農・肉用牛の生産者、乳業・食肉の加工・流通業者、飼料メーカーなどを代表する委員には、自らの問題意識、これまでの経験、これからの課題をプレゼンテーションしていただきました。

 審議の場では、わが国や世界で大きく状況が変化する中で、畜産の将来に対する強い危機意識を共有しつつ、議論が進められました。平成25年2月に開始された畜産部会での議論は計14回に及び、率直な意見交換を通じて、専門でない委員や消費者代表の委員にも畜産の現場の現状と問題点がよく伝わり、委員全員が積極的に議論に参加したことにより、これまでにない、新たな酪肉近を策定できたと考えています。

 現状分析やこれまでの施策などの検証を終え、新たな酪肉近のとりまとめを開始する前に、北海道と九州の畜産地帯において現地視察を行いました。現地の農家の取り組みを実際に見ることで、会議資料では伝わらなかった現場の問題点、生産基盤の弱体化の様子や、一方で熱心に取り組んでいる生産者の強い覚悟や新たな試みの様子を肌で感じ、酪農や肉用牛生産の基盤を将来世代に確実に継承することの重要性を再認識しました。

新たな酪肉近の重点課題

 そうした審議を経て策定された新たな酪肉近では、重要な課題とその解決策が具体的に示されました。

 第一に、「酪農・肉用牛の持続的な発展のための人・牛・飼料の基盤強化」です。施策を推進するためには、まず関係者が、実態を客観的に把握し、課題について認識を共有することが重要です。このため、「人・牛・飼料」という生産基盤の要素ごとに、「背景・課題」という項目を設けて論点を整理しました。

 また、酪農や肉用牛生産については、国や畜産農家だけでなく、地域の生産者団体、地方公共団体など、多様な関係者が関与しています。関係者が一体となった取り組みが重要であることから、新たな酪肉近では、課題を踏まえての「対応・取り組み」について、関係者の役割をできるかぎり明確にしました。

 第二に、「地域の知恵の結集の重要性」です。経済社会の急速な変化や畜産経営の高度化により、多様な関係者が地域で認識を共有して解決に取り組み、創意を生かして持続的に工夫することがますます重要になっています。畜産部会での議論においても、酪農や肉用牛生産の再興には、畜産農家だけの取り組みでは限界があるとの認識が得られました。

 そうしたなか、各地において、地域ぐるみの自主的な取り組みが芽生え始めており、このような取り組みに対して、「畜産クラスター」の施策を通じた政府の支援も本格的に展開されつつあります。こうしたことから、新たな酪肉近では、この仕組みを活用して、地域の関係者が知恵を結集し、取り組みを進めることの重要性を強調しています。

 新たな酪肉近と同時に見直された食料・農業・農村基本計画においても、このような畜産部会の審議結果が反映され、「人・牛・飼料」の視点での取り組みの推進や、「畜産クラスター」の活用といった畜産に関する施策が強調されています。今後、両者が一体となって、畜産分野を含むわが国の農業全体の振興に貢献することが期待されます。

基本方針の実行に向けて

 新たな酪肉近で示した対応・取り組みについては、その具体的な実施方針や進め方などの認識を地域の畜産関係者が共有し、推進していくことが何よりも重要です。畜産部会においても、委員から基本方針をいかに実行に移していくかが重要で、そのためにモニタリングを続けていくことが不可欠だとの指摘がありました。今後、畜産関係者が一丸となって、新たな酪肉近に示された施策や取り組みを、早急かつ継続的に実施することを通じて、酪農および肉用牛の振興が図られていくことを願ってやみません。

(プロフィール)
武内 和彦(たけうち かずひこ)

 1974年東京大学理学部地理学科卒業、1976年同大学院農学系研究科修士課程修了。東京都立大学助手、東京大学農学部助教授、同アジア生物資源環境研究センター教授を経て、1997年より同大学院農学生命科学研究科教授。2005年東京大学サステイナビリティ学連携研究機構副機構長。2008年より国際連合大学副学長。2012年より東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長。2013年より国際連合大学上級副学長。食料・農業・農村政策審議会畜産部会長、Sustainability Science誌(Springer)編集長などを兼任。農学博士。

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