調査情報部 根本 悠
【要約】ニュージーランド(NZ)の酪農乳業は、輸出仕向け95%、最大手乳業メーカー、フォンテラの集乳シェア約9割という特徴的な産業構造を有している。そのため、NZの乳価は、乳製品国際需給の影響を受け大きく変動するとともに、フォンテラの乳価には、高度な透明性と妥当性が求められている。一方、他の乳業メーカーは、フォンテラとの競合を強く意識して乳価を設定している。フォンテラは、最近、将来的に拡大する牛乳・乳製品需要を見据え、生乳取引に関する新たな動きを見せている。変化する市場環境への柔軟な対応こそ、NZの酪農乳業の鍵であるといえる。 1 はじめに2013/14年度(7月〜翌6月、生乳生産は6月〜翌5月)はニュージーランド(NZ)の酪農家にとって理想的な1年であった。良好な気象条件から生乳生産量は過去最高を記録し、新興国からの需要増加が重なり乳製品輸出も好調に推移した。その結果、乳価は乳固形分1キログラム当たり8.47NZドル(745円)と過去最高を記録した。 しかし、2014/15年度は一転して、NZの酪農家は深刻な状況に直面している。主要輸出国の生乳生産の増加と中国の需要緩和が重なり、乳価は同4.7NZドル(414円)程度と、前年度の半分近くまで落ち込んでいる。こうした動向は、乳価が乳製品の国際需給に大きく左右されるという、NZの酪農乳業の避けがたい産業構造と、それを前提とした生乳取引の仕組みが密接に関わっている。 本稿では、はじめにNZの酪農乳業の概要を確認した上で、NZの生乳取引の仕組みを詳述し、さらに、最近の乳価の推移や生乳取引に関する新たな動きを紹介していきたい。 なお、本稿中特に断りのない限り、NZの年度は7月〜翌6月であり、為替レートは、1NZドル=88円(2015年1月末日TTS相場88.06円)を使用した。 2 酪農乳業の概要(1)酪農の概要 NZにおいて酪農は、国を代表する農業部門であり、豊富な牧草資源に基づく放牧を主体として全国的に発展してきた。特に2000年代以降は、中国を中心とした新興国の需要拡大とそれに伴う乳価の上昇、肉牛・羊経営からの転換、新たな酪農地帯の開拓が重なり、酪農生産の拡大が続いている。 NZ最大の酪農地帯は、生乳生産量全体の23%を占める北島のワイカト地方である(図1)。ワイカト地方は、十分な降雨量と広大な牧草地に恵まれた伝統的な酪農地帯である。一方、同じく19%を占める第2の酪農地帯である南島のカンタベリー地方は、近年、酪農生産の拡大が著しい新興地帯である。カンタベリー地方は、もともと降雨量が少なく酪農には不向きとされてきたが、かんがい施設の整備により、2000年代以降は安定的な水資源が確保されたことから、大規模経営体を中心に酪農が急拡大している。
日本と比較すると、酪農家戸数は日本より少ないものの、経産牛飼養頭数、1戸当たり飼養頭数はともに日本の5倍以上となっている。また、生乳生産量は日本の3倍近くなっており、酪農という産業が日本よりはるかに盛んであることが、数値からも見て取れる。なお、1頭当たり乳量については、NZは放牧が中心であるため、日本の半分程度となっている(表1)。
NZの生乳生産量は、日本の3倍弱に相当するのに比して、人口は440万人と極端に少ないため、生乳の約95%は、乳製品となり海外へ輸出されている。輸出額シェアから見てみると、全体の6割近くは粉乳(全粉乳、脱脂粉乳)に仕向けられている。これは、付加価値を付けたチーズなどよりも、安価な生乳を利用し、原料乳製品である粉乳を生産することで最も国際競争力が発揮できるとともに、近年では中国からの育児用粉ミルク需要の拡大が背景にある(図2)。 このように、飲用向けを主体とする日本とは、用途別の仕向け割合が大きく異なる。
(2)乳業の概要 NZの主な乳業メーカーの概要は、表2のとおりである。NZの乳業界の最大の特徴は、最大手の酪農協系乳業メーカー、フォンテラが、NZ全体の集乳量の9割近くという圧倒的な市場シェアを有していることであり、フォンテラは、NZでは国を代表する企業として認識されている。フォンテラに次ぐ乳業メーカーは、フォンテラ同様北島と南島に集乳地域を有するオープンカントリーデーリー(OCD)であり、さらに、ウエストランド、シンレイ、タツアなどが主な乳業メーカーと位置づけられている。
なお、本稿中では乳業メーカーについて、特段の区別の必要がない限り、フォンテラのような酪農協系の乳業メーカーも含め、単に「乳業メーカー」と称する。 3 生乳取引の仕組み次に、生乳取引の仕組みについて、前半でNZ全体の概要を確認し、後半で乳業メーカーごとの動向を見ていきたい。 (1)生乳取引の概要 (1) 生乳取引の前提条件 NZの生乳需給構造は、日本と大きく異なるため、生乳取引の前提条件も日本と異なる点が多い。 まず、NZは放牧が中心であり、広大な土地を利用した大規模経営が主体であることから、生産コストは低く、乳価の水準は日本より低い。また、日本では飲用向けが主体であるため、生乳1キログラム当たりで取引されているが、NZでは生乳の約95%は加工向けであるため、取引単位は乳固形分1キログラム当たりである。また、用途別乳価という考え方はなく、乳業メーカーごとにすべて単一の乳価が設定されている。 なお、NZでは、酪農家(酪農協)と乳業メーカーの乳価交渉ではなく、年度初めに各乳業メーカーが乳価を決定し、提示する。複数の乳業メーカーが競合する地域では、酪農家はそれらを比較検討し、生乳の供給先を決定するが、乳業メーカーが1社しかない地域では、実質的に酪農家に選択の余地はない。 (2) 乳価の決定要因 日本では、国内の牛乳・乳製品需給動向や生産コストの動向などを総合的に勘案して乳価交渉が行われるが、NZでは、最大の要因は乳製品の国際価格である。これは、輸入飼料に依存しない放牧が主体であり、かつ生乳の約95%を輸出に仕向けるNZにおいて、極めて合理的な決定方法といえる。しかしながら、個々の酪農家や乳業メーカーにとっては、自らがコントロールし得ない要素によって乳価が決定され、受容せざるを得ないことになる。そして、乳製品の国際価格は変動が激しいため、高騰した年には酪農家の収入は大幅に増加するが、一転して下落した場合、酪農家は深刻な経営の危機に立たされる。 (3) 乳価の確定と支払い NZの乳価は、変動の激しい乳製品国際価格に左右されるため、年度内に数回改定される。乳業メーカーは、年度当初に乳製品国際需給の現状および見通しをもとに暫定的な乳価の見込み値を発表する。その後、乳製品国際価格の変動に応じて、乳価を改定し、年度末に最終的な乳価を確定する仕組みである(図3)。 また、年度途中の改定は当該年度全体に適用されるため、乳価引き上げ時は改定直後の支払時に追加払いが行われ、引き下げ時は改定直後の支払時に相殺される。なお、NZでは通常、集乳は1日1回、乳代の支払いは月1回である。 以上のNZの生乳取引の仕組みについて日本との比較の上でまとめると、表3のとおりである。
(2)乳業メーカーごとの生乳取引の動向 NZの生乳取引の大きな特徴は、乳業メーカーの競合環境とそれに伴う各社の乳価決定の仕組みにある。 (1) フォンテラ ア 概要 国内の集乳シェアの約9割を占めるフォンテラの乳価が、他の乳業メーカーの乳価を決定する際の指標となっている。 フォンテラの乳価は、法律などに基づき一定の計算マニュアルにより算出することとされており、基本的には、フォンテラの乳価計算上の収入および費用を計算し、その差引により算出するというものである。そして、その乳価について複数の機関が妥当性を審査した上で、最終的に乳価が決定される。 また、この計算マニュアルは一般に公表されている。これは、フォンテラ設立の際、そのあまりに大きな市場シェアを考慮し、乳業界の競争性を担保するために講じられたものである。さらに、興味深いことに、NZの金融機関の調査部門などは独自にフォンテラの乳価を試算して公表している。 なお、この乳価の計算を統括管理するのは「乳価パネル」という機関である。乳価パネルは、フォンテラの経営役員2名、酪農家出身の役員1名、酪農家の代表2名で構成される。そして、その乳価を最終的に決定するのはフォンテラのボード(最高意思決定機関)である。 イ 乳価計算マニュアル はじめに、フォンテラは、乳価算定上の製品別製造数量と販売単価により、収入を算出する。このとき、生乳はすべて特定の製品(以下「乳価参照製品」という。)に仕向けられたと仮定する。具体的には、全粉乳、脱脂粉乳、バター、AMF(バターオイル)、バターミルクパウダーである。これらは、国際市場において流通量が多く、国際価格の透明性が高く、特に粉乳類は、フォンテラにとってもNZの他の乳業メーカーにとっても主要な製品であるため、指標とする妥当性も高いということが関係している。なお、製品別生乳仕向け量については、過去の製造実績などを参考にして決定される。一方、販売単価については、主にフォンテラが主催する乳製品電子オークション(GDT)の売買価格に基づいて算出される。そのため、NZの酪農家にとってGDTの売買価格は、国際価格の指標の一つにとどまらない重要な意味がある。そして、このようにして得られた乳価算定上の収入から、各種コストを差し引いた残額が乳価(乳代)となる(図4)。 ただし、2013/14年度は、特例的にボードの裁量により乳価の下方修正が行われた。これは、同年度、全粉乳の国際価格が高騰したため、乳価計算上の収入が増加した一方、工場の収容能力の限界などから、見込まれたほど全粉乳が製造できなかったため、実際の収入と大きなかい離が生じたことが背景にある。この結果、計算マニュアルどおりの高い乳価を支払った場合、フォンテラの経営リスクが高まるため、ボードは乳価の下方修正に踏み切っている。
ウ 乳価の審査 フォンテラの乳価の決定に際しては、社内外の複数の機関によって審査が行われる(図5)。このうち、特筆されるのが、法律に基づき行われる国の商業委員会による乳価の妥当性についての審査である。商業委員会は、乳業界の競争性の担保およびフォンテラの経営効率化の促進という観点から審査する。つまり、フォンテラの乳価があまりに高ければ、他の乳業メーカーが集乳が困難になることはもちろん、あまりに低ければ、フォンテラ自身の経営効率化への意欲を失わせることにもつながるため、フォンテラの乳価は「高すぎず低すぎない妥当な価格」でなければならいということになる。 こうした審査も既述のフォンテラ設立時における競争性担保のための措置であり、ともすれば「独占企業」として競争性に疑問を持たれかねないフォンテラという巨大乳業メーカーの存在を前提に、他の乳業メーカーとの競争環境をいかに確保するかという視点に基づいている。
(2) 他の乳業メーカー フォンテラ以外の乳業メーカーは、フォンテラと同等かそれ以上の乳価を設定する必要がある。圧倒的な経営規模の格差がある中、フォンテラより低い乳価を設定した場合、多くの酪農家は、フォンテラへと生乳の供給先を変更してしまうからである。しかし実際のところ、他の乳業メーカーの乳価は必ずしもフォンテラを上回っているわけではない(図6)。 まず、タツアは最もフォンテラより高い乳価を設定することで知られている。タツアは、最大の酪農地帯ワイカト地方にて、フォンテラと地理的に競合する一方、カゼインタンパク分解物やホエイタンパク分解物など、他社にはない独特の乳由来の健康関連製品を販売していることから、製品構成上の差別化がなされ、フォンテラより高い乳価を実現している。 次に、シンレイは、フォンテラとほぼ同水準の乳価となっている。シンレイは酪農の拡大が著しいカンタベリー地方において、地理的にフォンテラと競合する上、主力製品についても全粉乳、脱脂粉乳と重なる部分が大きく、必ずしもフォンテラを上回る乳価となっていない。しかし、フォンテラと異なり、酪農家に自社株式の購入を義務付けないため、同じ乳価ならば、シンレイに生乳を供給する酪農家は少なくない。実際に、フォンテラとほぼ変わらない乳価でありながら、シンレイと供給契約を結ぶ酪農家は増加傾向にある。 また、ウエストランドは、基本的にフォンテラとほぼ同水準の乳価であるが、年によっては、フォンテラよりもやや低い乳価となっている。ウエストランドの主な集乳地域は、ウエストコースト地方というカンタベリー地方とは山脈を隔てた西側に位置している。そのため、地理的にはフォンテラと競合関係になく、また、製品についても、フォンテラが全粉乳主体である一方、ウエストランドは脱脂粉乳が主体であるため、同じ粉乳類といえどやや主力製品が異なる。そして何より、ウエストランドとその傘下の酪農家は、フォンテラに加わらなかった最大の酪農協系乳業メーカーという自負が根底にあるため、ときにフォンテラを下回る乳価を設定しつつも、一定の市場シェアを維持している。 なお、その他の乳業メーカーの中には、フォンテラ+○NZドルという形で乳価を設定しているところもある。
4 生乳取引に係る最近の動向ここからは、生乳取引に係る最近の動向として、乳価の推移とフォンテラの生乳取引に関する新たな動きについて見ていく。 (1)乳価の推移 NZの乳価の推移においては、2つの特徴が見られる。 1つ目は、年度ごとの変動が激しいこと、もう1つは、変動を繰り返しながらも長期的には上昇傾向にあるということである。NZの乳価は、変動の激しい乳製品の国際需給に応じて推移するため変動が激しく、また、近年、中国を中心に、東南アジア、中東など新興国からの需要が増加していることから、上昇傾向にある。 しかしながら、2014年2月以降、乳価は、主要乳製品輸出国の生乳生産量の増加に加え、中国において在庫過剰により乳製品需要が緩和したことから、一転して下落局面にある。そのため、フォンテラは2014/15年度(6月〜翌5月)の乳価見込みについて、2014年5月に7NZドル(616円)と発表した後、7月、9月、12月と3度にわたり引き下げを行い、2015年1月現在、4.7NZドル(414円)としている。これは、2013/14年度の最終乳価8.4NZドル(739円)の半分近い水準である(図7)。
ところで、こうした乳価の推移について、NZではどのようにとらえられているのであろうか。まず、酪農乳業はNZの基幹産業であるため、社会全般に乳価の推移について関心は高い。フォンテラが乳価を改定すれば、テレビに専門家が登場し、新聞は大きく紙面を割く。もちろん酪農乳業界においては、それ以上に関心が高いが、興味深いことに、乳価引き下げ時、酪農家や生産者の団体が表立って反対したり、不満を訴えたりといった状況はあまり見られない。もちろん酪農家にとって好ましいことではなく、不満を感じているであろうが、その一方で、乳価は乳製品の国際需給に応じて変動するものという理解がある程度浸透していることがうかがえる。また、多くの乳業メーカーは定期的に酪農家向けの情報誌を発行し、現在の乳価と年間の乳価見込み値について、常に情報提供していることも、不満を和らげる一因となっていると思われる。こうしたことから、NZの酪農関連団体などは、乳業メーカー側に乳価引き下げそのものの是非を問うよりも、下がった乳価に見合うように、濃厚飼料など補助飼料給与の削減、乾乳への早期移行など飼養管理の徹底を酪農家に対して訴えることに重きを置いている。 (2)フォンテラの新たな生乳取引 (1) 子会社を通じた生乳取引 2014年12月、フォンテラは、南島のカンタベリー、オタゴ、サウスランド地方において、「マイミルク」という子会社を通じた集乳の開始を発表した。この新規事業では、従来と異なり、生乳を供給する酪農家に株の購入を義務付けない一方、「マイミルク」に生乳を供給する酪農家は、フォンテラが傘下の酪農家に実施している経営支援、情報提供など一部のサービスは受けられないとしている。 この事業の背景には、生乳生産が増加する南島において、集乳量を維持・拡大したいというフォンテラの思惑がある。南島では、酪農経営の大規模化が進む中、資金力の乏しい酪農家や経営コストに対する意識の高い酪農家を中心に、株式購入という資金負担のない他の乳業メーカーとの契約を選択するケースが増加していると言われている。そのため、フォンテラは、「マイミルク」において株式の購入を不要とすることで、新規酪農家の獲得を目指す一方、サービス部門の対応などについては、通常のフォンテラとの契約条件に差をつけている。これは、株式購入が義務付けられている既存の酪農家の不満を和らげると同時に、「マイミルク」と契約する酪農家に対して、フォンテラ本体との契約への移行を将来的に促す意図があるとみられる。 (2) 固定価格制度 さらに、フォンテラは、2013/14年度に試験的に運用した固定乳価制度を2014/15年度に正式に導入するとしている。同制度は通常、年度内に改定が行われる乳価を一定価格に固定することで、乳価の変動に起因する酪農家の経営リスクを回避するものである。フォンテラは今回、2つの選択肢を提示している。年度初め(5月〜6月)に申請し、年間の生乳供給見込み量の最大75%まで乳価を固定するものと、年度半ば(12月〜翌1月)に申請し、同じく最大35%まで乳価を固定するものである。すなわち、乳価上昇時はより恩恵を受けるが、「逆も然り」の通常の「ハイリスク・ハイリターン」方式に加え、年間通じて乳価を固定する「ローリスク・ローリターン」方式(最大75%固定方式)、さらに、その中間の「最大35%固定方式」も提示することで、酪農家の多様なニーズに応える狙いがあるものとみられる。 5 おわりにNZでは、生乳のほとんどが乳製品となり、海外に輸出されるという構造を持っている。そのため、常に大きく変動する乳製品の国際需給に応じて、乳価を頻繁に見直すことが不可欠となっている。また、フォンテラの乳価決定プロセスにおける透明性の確保も特徴的である。さらに、フォンテラは株式購入を義務としない仕組みを新たに講じるなど、集乳量の維持・拡大を図る他の乳業メーカーの動向を意識した新たな展開を見せ始めている。 NZの酪農・乳業は、生産規模や需給構造、生乳取引形態など、日本とは大きく異なる産業構造を持つが、生産環境や市場環境の変化に対応し、酪農・乳業が一体となって酪農経営の安定、牛乳・乳製品の需要拡大に取り組んでいくことの重要性は日本においてもNZにおいても変わらないものであろう。 |
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