調査・報告 専門調査  畜産の情報 2016年12月号


田中畜産の放牧敬産牛の哲学
〜黒毛和牛但馬牛の繁殖経営と放牧敬産牛肉の販売〜

九州大学大学院農学研究院 農学部附属農場 高原農業実験実習場 准教授 後藤 貴文



【要約】

 近年、繁殖農家戸数の減少により、子牛の販売価格が高騰して、肥育農家の経営を圧迫している。しばらくは、国内に繁殖農家を増やして、子牛の生産基盤を取り戻し、その価格も落ち着きを取り戻す必要がある。また、どのような時代でも繁殖牛(母牛)を持っている農家を増やしておくことは、わが国の畜産業を支える基盤となる。一方、牛肉もこれまでの霜降り一辺倒のマーケットではなく、国内でも赤身肉や熟成肉など、マーケットの多様性が生まれている。今回は、主要和牛である但馬牛に誇りを持つ繁殖農家の田中畜産を紹介したい。田中畜産では、一定数の子牛を出産した繁殖牛を、放牧で仕上げ、“放牧敬産牛肉”として、インターネットによりダイレクトマーケットを展開している。これからの若い世代の繁殖農家の6次化において参考になる事例だと思われる。田中畜産のこれまでの取り組みと今後の課題などを調査し、新しい家族経営の繁殖農家の取り組みについて検討する。

1 はじめに

黒毛和牛は、国内にいた在来牛に1900年代初頭に海外からの品種を導入し、その後外国種との交配をやめ、同種内の育種改良が加えられた。黒毛和牛は、1937年に確立された。実は、まだ歴史の浅い品種である。日本が本格的に働き手としての役畜牛から肉用牛へと改良が本格的に進められたのは、50数年前からである。この50年の間に黒毛和牛は、脂肪交雑の能力を飛躍的に向上させた。1991年のガット・ウルグアイ・ラウンド農業合意後、海外から流入する牛肉とのすみ分けのため、霜降りの度合いは、常識を超えるものとなった。そのためには、給与飼料に占める穀物の割合が著しく高くなった。一方、同じく輸入穀物飼料の価格も右上がりに高騰しており、生産する牛肉の霜降りの度合いが上がるほどに、畜産農家の経営は厳しさを増している。そのような中、消費者の間では、霜降り肉ではなく、健康志向と相まって赤身肉嗜好が徐々に高まっている。また、その中で、マーケットはまだ小さいが、業界の中で繁殖牛の肉が人気を呼んでいる。近年では、子牛を4〜5産した母牛、いわゆる黒毛和牛の経産牛の肉は、その味の濃さ(コク)から美味とされ、いわゆる“牛肉通”の間で好まれている。

畜産農家、特に肥育農家の経営は厳しいが、そのような状況でも、農家を志す人材はいるものである。今回は、兵庫県にて但馬牛の繁殖農家を営みながら、繁殖牛の肉を“放牧敬産牛肉”と呼び販売する農家、田中畜産を紹介したい。放牧敬産牛は、但馬牛であり、出産を経験した繁殖牛である。通常、出産を経験した繁殖牛を“経産牛(けいさんぎゅう)”と呼ぶ。出産を経験した雌牛ということだが、田中畜産を率いる田中一馬氏は、その「経産牛」を「敬産牛(けいさんぎゅう)」と称した。これは、出産により5〜8頭余りの元気な子牛を生産してくれた母牛への強い感謝の念が込められている。また、と畜直前まで放牧場で野草を食べ、走り回っている。田中畜産の田中氏は、但馬牛の伝統を守りつつ、独自の哲学を持つ一種“侍”、“武士”のような“気骨と気概”を持った農家である(写真1)。一方で、幼い子供を含めた家族5人で、支え合いながら生き生きと暮らしている。その姿は、すばらしいと感じた。こういう農家になりたいと思ってしまう。

044a

2 放牧敬産牛

田中氏の飼養する放牧敬産牛は、いわゆる放牧牛のように、生まれてから放牧場の野草や国内飼料のみで育てているわけではない。繁殖牛として、一般の国産牛と同様に輸入穀物飼料を給与され、牛舎で飼養される期間もある。夏季は、借地している草地で放牧しているが、分娩前や冬季は、牛舎に戻され飼養される。一貫しているのが出荷する6〜8カ月前から放牧で肥育の仕上げを行うということである(写真2)。一般的に繁殖牛の過肥は受胎率の低下につながることから、繁殖牛としては幾分栄養を制限した飼養で、粗飼料を中心に飼養され、役目を終わり、肉牛として出荷する場合に、穀物飼料を用いて、短期間の高栄養肥育をして出荷するような方式がとられることが多い。しかしながら、田中氏は、その肥育の仕上げを放牧で行っている。田中氏は、放牧敬産牛について、枝肉重量が小さいことをデメリットとして挙げている。一方、肉質においては、放牧敬産牛肉には、年齢を経た経産牛(田中氏のいうところの敬産牛)特有の牛肉の味の濃さ(コク)があり、赤身を主体とした、いわゆるタンパク質豊富な牛肉であり、青草を摂取した放牧牛肉の持つ香り(グラス臭ではなく、一種の甘い香り)のする脂身を持っており、さらに但馬牛の持つ特有の牛肉の風味があると評する(写真3)。

044b

045a

3 田中畜産のこれまでの道

田中畜産を経営する田中一馬氏は、1978年生まれの今年38歳。兵庫県三田市出身。ウシとは縁のない育ちであったが、大学は北海道の酪農学園大学に進学した。大学では、家畜のふん尿処理が専門で環境について学んだ。大学院に進学したが、畜産農家への憧れから、休学し、但馬牛農家に2年間、住み込み研修をした。資金もなく、間借りをしながらの研修であったそうだ。その後、5頭のウシと1カ月当たり約15万円の兵庫県からの助成、さらに資金を借り入れて、2002年より但馬牛繁殖農家を始めた。田中氏は、先人の努力により作り上げられ、700年以上の歴史を持つとされる但馬牛、そして黒毛和牛の近代の先祖とも言える品種として、しかも但馬地方の風土で飼養していることに誇りを持つ。

田中氏と会話していて、一般のいわゆる“牛飼い”の常識をそのまま受け入れるのではなく、自らの学校で修めた知識と現場での経験、そしてウシをしっかりと見て、自ら感じるままを飼養に生かす、独特の哲学があるように感じた。具体的には、酪農学園大学で学んだ基礎畜産学の知識、そして自ら試行錯誤を繰り返しながら、周囲の和牛経験者の情報を取り入れ、独自の理論を見いだしている。しかしながら、今の状態になるまでには、生活が苦しい時期があった。一時期、増頭したが、うまくいかず倒産しそうになった。

生活を支えるために、コンビニエンスストアでアルバイトもした。そんなとき近隣の畜産農家さんから、「農家としての誇りを忘れるな」と言われたという。その後、田中氏は、ウシの削蹄師の技術を習得し、畜産農家をサポートする削蹄師の収入で家計を支えた。高知県、福井県および三重県を中心に和牛の繁殖牛や肥育牛を削蹄し、当時年間約300万円の収入を得ていた。それを生活費として、子牛の売り上げは、繁殖経営に投資した。その後、2008年にインターネットによる放牧敬産牛の販売も始めた。子牛販売額は、現在約3200万円である(現在の削蹄および精肉の売り上げは、公表していない)。

4 繁殖農家と放牧敬産牛肉の生産農家としての田中畜産

田中畜産は、基盤として但馬地域で繁殖農家として営んでいる(図)。但馬地方は、山間地域であり、昔から農業や林業が盛んに行われており、但馬牛は700年以上前から農家において、重要な働き手として飼養されてきた。農家には「まや」と呼ばれる牛の部屋があり、田んぼで鋤を引いたり、荷物を運んだり、子牛を生み農家の仕事や経営を支えてきた。2016年2月現在、田中畜産では、繁殖雌牛を48頭飼養している。このような歴史を持つ但馬地方で、田中氏は、繁殖牛の牛肉を“敬産牛肉”として放牧肥育で仕上げて販売している。田中氏には、田中畜産の取り組みを理解してくれるお客様、特にリピーターを大事にしたいという強い思いがある。お客様とは、手紙やソーシャルメディア、特にFacebook、あるいはブログでつながっている。放牧敬産牛肉は、かつては、10産した母牛を出荷していたが、最近は、8産(約10歳)した母牛を牛肉にする。今後は、年間5頭のペースで出荷したいと計画している。最近、繁殖牛の牛肉だけでなく、但馬牛の理想肥育(穀物多給型肥育)にも挑戦し、見事A−5にしてみせた。枝肉市場にて、約160万円で取引された。これは、体調を崩して子牛市場に出荷できなかった子牛を、田中氏が理想肥育したものだ。田中氏は、神戸牛を一度生産してみたいという強い思いも持っていた。神戸牛は、但馬牛の中でもBMS Noが6以上の上物の牛肉しか認証されない。現在も1頭、尿石症で、子牛市場に出荷できなかった子牛を治療して、治癒後に理想肥育を行っている。今後も、子牛市場に出荷できない子牛で理想肥育にも挑戦したいということだった。

046a

黒毛和牛でも近年、親の乳量の低さを補うため、あるいは初期成長を加速させるために、人工哺育される。田中氏も、以前に人工哺育していたが、病気がまん延し、やめてしまった。25キログラムで生まれる但馬牛の子牛は、過剰な栄養にデリケートで、弱いようだ。それ以降、自然哺乳に切り替えた。その代わり、母牛の乳量を増やすように飼養を種々工夫している。母牛は、借地している12ヘクタールと8ヘクタールの放牧地にて、例年4月の終わりから11月の終わりまで放牧する。放牧地は、車で30分以上かかる場所にあり、自宅から少し遠いので、頻繁に見に行くことはできない。いわゆる、“ほったらかし”となる。

牧草は生産していない。雨が多く、山が多い但馬地方なので、米作が少なくワラもそれほど穫れない。それゆえ粗飼料を購入する。すなわち牧草生産に関しては、地形的に機械を購入しても牧草や濃厚飼料を生産することができないので、持っていない。牛舎で母牛を飼養するときは、市販の濃厚飼料も給与する(写真4)。母牛の飼養には、以前、イタリアン乾草1頭当たり1日6キログラム、その他の牧草0.5キログラムおよび濃厚飼料を給与していたが、最近は試行錯誤の末、独自に調製した発酵飼料を給与している。それに近隣の産業廃棄物の醤油かすも混ぜて、TMRとして、1日に6キログラム程度給与している。輸入乾草も1キログラム給与する。以前、キノコ産業からの廃棄物の廃菌床を活用しようとしたが、保存性の問題で断念した。エコフィードの使用は、低コストだが、継続的に使用する難しさを感じた。最近、繁殖牛の体格がよくなってきたという。田中氏は、独自に開発した発酵飼料が効いているのではと分析している。それを始めて4年となるが、母牛の乳の出が良くなったそうだ。また、ふんも牡丹餅のようになって、良くなった(写真5)。田中氏はできるだけ、兵庫県内の資源を活用したいと思っている。そして繁殖には、兵庫県のいわゆる但馬牛種雄牛の精液を用いて人工授精する。

047a

047b

5 田中畜産の葛藤と理念

田中氏は言う。「草をやれば、ウシは健康なのか?国産飼料がよいのか?自給飼料がよいのか?」田中氏は何度か、著者が関係している研究会で講演していたことがある。田中氏は、いつも以下のように、聴衆に力強く問う。「僕はウシの状態をみて、飼養する。農家は、自分のウシを見て、飼養を考え、決めるべきではないのか?単に飼い方でよい、悪いが言えるものではない。僕は、ウシの状態を詳細に見て決める。」と。以前は、グラスフェッド牛にこだわっていたが、最近はそういうことを考えるのをやめたと言う。地域の資源で、限られた資源を用いて、環境との共生や食の安全を考慮し、そして採算性を考えて牧場を運営する。このような田中氏の哲学は、あふれる情報にかく乱されがちな現代の肉牛飼養の状況に、新鮮な刺激を与える。まずは、しっかりと経営していくためにウシに答えをもらう。そして飼養と経営スタイルを確立していくということが重要となる。

6 放牧敬産牛肉を購入するお客様との関係

田中畜産では、インターネットを用いて、ダイレクトマーケットを行っている。予約したお客様から発送が遅いとメールが来ても、なかなかすぐに発送できない場合もある。そこで繁殖牛の頭数を増やしたいと思っている。放牧地もさらに増やしたい。田中氏は、独自で新聞を作り、お客様に常に情報を発信する。また最近は、ソーシャルメディア、特にFacebookでお客様と常につながっている。

牛肉加工については、あさ市食肉センターで、脱骨して、真空パックされた14のブロック部位を持ち帰り、自宅の加工処理施設で整形し、筋引き、ブロック、カットおよび真空パックをしている。購入者の中には、一度に15万円分の牛肉を購入してくれるお客様もいると言う。基本的に、お客様も牛肉に対して、良い意味でマニアックな嗜好性の方が多い。田中氏は、お客様に丁寧な手紙を返す。お客様を大事にしたい。田中氏は、つながりの濃い、お客様をリピーターとして大事にしたいと常に思っている。そして、それらのお客様が、口コミで宣伝してくれる。しかしながら、お客様との手紙のやり取りの後には、牛肉販売者とお客様という関係を超えた“お客様、それぞれの食に対するシーンに関する生産者とそれを食べる消費者の共感と共生”というような関係性が構築されているようだ。昔の日本には、よく見られたシーンかもしれない。例えば、後に述べる「牛肉アレルギーのお子さんが食べられるようになったこと」、「旦那さんの誕生日にそぼろ弁当を作った話」、「全部位を購入してくれた方から料理のレシピとともに感想をいただいたこと」、「コーヒーが趣味の方が、田中氏がコーヒー好きと知って焙煎して来てくれたこと」、シンプルに「美味しかった」という感想など、牛肉の販売を通した食や生活に関する交流関係が構築されている。このような生産者と消費者の情報キャッチボールの中で、信頼関係が生まれ、食の生産における倫理的な意味や安全性の認識がなされているように見えた。価格は、ダイレクトマーケットなので、きちんと経費を積み上げて利益のとれるものになっている。放牧敬産牛の飼養哲学とこの価格を受け入れてくださったお客様に販売し、手紙やソーシャルメディアにより深くつながる。著者はこのようなダイレクトマーケットが、農家にとって低労力で効率的で、誇りを維持できる有用な農業の6次化だと信じている。

田中氏から興味深いエピソードを聞いた。インターネットによる放牧敬産牛肉の宣伝と販売を2008年から開始した。お客様には、放牧敬産牛肉を10万円単位で購入してくれる方が数名いる。その中のお一人は、ご夫婦で医師をされており、クリニックを経営されている。そのご夫婦の子供は、一般的な飼育方法で生産された霜降り肉を食べると牛肉アレルギー症状を発症するが、放牧敬産牛肉を食しても、牛肉アレルギー症状が出なかったそうだ。この医師はアレルギーが専門であるらしく、専門医師が、牛肉アレルギー症状を発症しないというのだから説得力がある。理由はわかっていない。この原因については、今後研究として調査する必要があると感じた。

7 おわりに

但馬牛繁殖牛の枝肉は、子牛を8産したもので、230キログラム程度。今年、田中畜産では、1頭しか出荷できないそうだ。来年は、5頭を目指している。田中畜産の飼養と加工処理施設の能力面では、現在、年間5頭程度の出荷が限界であると言う。田中氏が、自前の加工処理施設をつくったのは、食肉のカット委託では限界を感じたからである。以前、業者にカット委託した時は、焼肉用、切り落とし、ミンチといった、シンプルな形でしか依頼できなかった。田中氏は、「パーツ毎の特徴を知り、それを一番美味しく食べられる形は何か」を考え、少しの無駄も出さないように、200あるいは100グラム単位で、パックすることで、一人暮らしの方でも使いやすい量で届けたいと考えた。牛肉部位の特徴を活かして、自分のアイデアで、多様なお客様に様々な単位で販売できることも、「おもしろい」と感じている。放牧敬産牛は、放牧場の山からおろすタイミングでと畜する(写真6)。来年は1カ月で、5頭と畜する予定だ。それ以上に増やすのは、今のところは難しい。畜産農家の6次化において、インターネットによる販売は、有効であると感じている。しかしながら、例えば、“但馬牛、放牧、牛肉”というキーワードで、インターネットで検索すると、“ある島の農家”が検出されるが、実際但馬牛でもなく、放牧もやっていなかった。それでもインターネットでの検索順位が低いと消費者は、どれが本物なのか、理解してくれない。インターネットは便利で、お客様とのつながりにおいては、有用だが、一方で信頼性のところで、課題もある。著者は国立大学法人の農学部で教壇に立っているが、卒業生のほとんどは、現場の職業、つまり農家にはならない。農学部で修学した人材を、できるだけ多く農家にしたい。大学で基礎を学び、自分で考え、地域や環境、そして家畜をしっかりと見て、また自らの生産物語をソーシャルメディアでダイレクトマーケットする経営、それらを家族で支え合い、きちんとした利益を得ることのできる自立した“牛飼い”として、田中畜産は非常に魅力的な農家である(写真7)。

049a

050a


				

元のページに戻る