調査・報告 学術調査  畜産の情報 2017年8月号


ビックデータを用いた国産畜産物の需要拡大方策に関する実証的・実験的研究

明治大学 農学部 専任講師 中嶋 晋作



【要約】

 本研究では、国産畜産物の需要拡大方策の一つとして、牛肉輸出に着目して、香港における牛肉の消費者評価について検討した。Webアンケート調査による選択実験の結果、日本産和牛は豪州産、米国産Wagyuと比較して、差別化戦略に成功しているものの、意図したほどそのプレミアムが高くないこと、また、サシの入り具合という垂直属性を追求した差別化戦略に黄色信号がともっていることも検証できた。以上の課題を踏まえた上で、今後の畜産物の輸出戦略について、ブルー・オーシャン戦略、すなわち「文化の開発・輸出」戦略を提案した。

1 はじめに

大学の講義で、必ず触れるトピックがある。比較優位の原理である。この原理は自由貿易に関する基本命題で、それぞれの国が比較優位をもつ産業の生産に特化して相互に交換を行えば、いずれの国も利益を得ることができるというものである。この原理を教科書的に当てはめれば、「日本は工業に比較優位を持つから、特化した工業製品を輸出し、農産物を輸入すれば良い」ということになる。ただ、話はそれほど単純ではない。実態として、食をめぐる産業内貿易、水平的国際分業が進展しているからである。日本と他のアジア諸国との間の農業競争力の格差が徐々に縮小していることを背景に、各国が比較優位を持つ農産物が相互に行き交う、食のネットワーク形成が現実味を帯びている。

このような状況を受け、政府は農産物輸出を「攻めの農林水産業」の中心に位置付けている。「攻めの農林水産業」という威勢の良い言葉の是非はともかく、1990年代の中頃以降、食料消費支出が減少傾向に転じ、今後も少子高齢化の影響で国内の食市場が縮小することが確実視される中で、海外のマーケットに打って出る戦略は必ずしも間違っていない。

ただし、農産物輸出は「言うはやすし、行うは難し」。2016年の農林水産物・食品の輸出額は7500億円を超えたものの、対前年比伸び率は0.7%にとどまっている。また、輸出額の大半が加工食品であり、生鮮農産物の輸出額はりんご、牛肉、ながいもなどの特定の品目に限定されているという指摘もある。

以上の点を考慮して、本研究では、香港で行った牛肉に関する消費者調査を題材に、マーケティングの視点から日本の畜産物輸出の可能性について考えてみたい。キーワードは、「新しい市場をつくる」(三宅、2012)である。

2 和牛/Wagyuとは

わが国において和牛と表示できる牛肉は、景品表示法により、黒毛和種、褐毛和種、日本短各種、無角和種の4品種とこれら品種間の交雑(交配)種とされている。さらに、「和牛等特色ある食肉の表示に関するガイドライン」では、上記4品種の牛は、登録制度などにより証明が可能であり、かつ、日本国内で出生し、国内で飼養された牛であることが必要とされている。一方、伊藤・西村(2015)、小林・渡邊(2015)によると、豪州Wagyu協会の定義では、豪州でWagyuとして血統登録が可能な牛を「和牛遺伝子の交配割合が50%以上のもの」と定義し、具体的なカテゴリーを(1)「フルブラッド Wagyu」(2)「ピュアブレッドWagyu・F4」(3)「クロスブレッド Wagyu・F3」(4)「クロスブレッド Wagyu・F2」(5)「クロスブレッド Wagyu・F1」に分類している。大呂(2013)の指摘の通り、Wagyuとされる牛肉は、そのほとんどがアンガス種など在来種との和牛交雑(交配)種である。そこで、本研究では、大呂(2013)に従って、Wagyuという語を「海外で生産される和牛交雑(交配)種」と定義する。

3 分析モデル

(1)調査の手法と設定

以下では、牛肉を対象に、どのような牛肉をどの程度の価格で販売すれば、消費者は購入するかを明らかにするため、選択実験を適用する。選択実験は、属性の水準が異なる複数の商品のなかから最も望ましいものを一つ選択してもらい、属性別の価値評価額を統計的に推定する手法である。

分析の対象地域は、香港である。香港はわが国の最大の農林水産物・食品の輸出先であり、アジア市場における中国本土と東南アジア諸国とのハブ流通の拠点として注目されている。わが国にとって有望な輸出先は、他の国々にとっても魅力的である。香港において、日本産和牛は外国産Wagyu(海外で生産された和牛交雑(交配)種)と激しい競争状態にある(注1

(注1) ただし、大呂(2015)が指摘しているように、豪州産Wagyuは日本産和牛と競合する一方、Wagyuが広まることで、Wagyuのマーケットが世界的に拡大するメリットもある。

表1に、牛肉の属性とその水準を示す。牛肉の属性は、「産地」「脂肪交雑(サシ)」「購入場所」「価格」とした。

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「産地」は、「日本産和牛」「日本産和牛(ラベルあり)」「豪州産Wagyu」「米国産Wagyu」「豪州産アンガス牛」「米国産アンガス牛」の6水準とした。日本産以外は、日本産和牛と競合する産地を想定して、豪州産と米国産に限定した。また、「和牛統一マーク」(注2)の効果を検証するため、「日本産和牛(ラベルあり)」を水準として設けた。「脂肪交雑(サシ)」は、ビーフ・マーブリング・スタンダード(B.M.S)を参考に、「ほとんどない」「標準」「かなり多い」の3水準とした。「購入場所」は、「高級デパート」「街市(がいし:road market)(注3)」「輸入品専門食料品店」の3水準とした。「価格」(注4)はそれぞれの牛肉の実売価格とかけ離れることがないように、産地ごとに設定した。具体的には、サーロイン100グラムについて、「日本産和牛」「豪州産Wagyu」「米国産Wagyu」は「60HK$」「90HK$」「120HK$」「150HK$」「180HK$」「210HK$」の6水準、「日本産和牛(ラベルあり)」は「70HK$」「100HK$」「130HK$」「160HK$」「190HK$」「220HK$」の6水準、「豪州産アンガス牛」「米国産アンガス牛」は「20HK$」「40HK$」「60HK$」「80HK$」「100HK$」「120HK$」の6水準とした。

(注2) 「和牛統一マーク」は、2007年3月、豪州産Wagyuが海外進出しはじめた時期と軸を一にして、将来の和牛輸出促進をオールジャパン体制で取り組むことを想定し、ジャパンブランド確立のために公益社団法人中央畜産会が作成した。

(注3) 「街市」とは香港の各地域に必ずある市場で、生鮮食料品(肉、魚、卵、野菜、果物)だけではなく、生活雑貨なども売られている。

(注4) 1HK$(香港ドル)=13.39円(2016年10月現在)

図1に示されるように、質問では、各水準の組み合わせから構成される三つの牛肉が提示される。回答者は、三つの牛肉と「どれも買わない」を含めた、四つの選択肢のうちから一つを選択する。本研究では各属性の全組合せ数324(「産地」6水準×「脂肪交雑(サシ)」3水準×「購入場所」3水準×「価格」6水準)通りから、直交計画に基づき36問の選択肢集合を作成した。全選択肢集合の作成は、Aizaki, Nakatani and Sato(2014)を参照した。回答者への負担を考慮して、36問の選択肢を三つに分け、各回答者に12問の選択を行ってもらった。

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(2)分析モデル

本研究では、牛肉を選択することから得られる効用関数の確定効用を次式に定式化する。

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ただし、ASC(Alternative-Specific-Constant)は選択肢固有定数、Areaは「産地」、Marblingは「脂肪交雑(サシ)」、Placeは「購入場所」、Priceは「価格」、Bjj属性( jArea,Marbling,Place,Price)のパラメータである。

条件付きロジットモデル(Conditional Logit Model)の推定にあたっては、米国Stata社のStata 14を使用する。

4 Web調査の概要とデータ

(1)分析データ

本研究で利用するデータは、2016年10月に実施したWeb方式によるアンケート調査である。調査対象は、株式会社マクロミルが保有する香港の消費者モニターから抽出した265名である。抽出条件は、過去1年以内に日本の牛肉を食べたことがあり、英語を理解することのできる香港在住者である。最終的な抽出条件の合致率は41.4%(265名/640名)(注5)であり、回収期間内に260の有効回答を得ることが困難と予想されたため、過去1年以内に日本の牛肉を食べたことがあるという抽出条件を緩和した。その結果、265名のうち、過去1年以内に日本の牛肉を食べたことがある回答者が250名、過去2年以内に日本の牛肉を食べたことがある回答者が12名、過去3年以内に日本の牛肉を食べたことがある回答者が3名となった。

具体的な調査内容は、牛肉に対する意識や行動、ライフスタイル、牛肉に対する購入経験、および牛肉の選択実験に関する項目である。

(注5) 640名の内訳は、繁體はんたい184名、?体かんたい157名、日本語23名、英語265名、ドイツ語3名、フランス語8名である。

(2)記述統計

以下では、サンプル(香港在住の外国人)265人の属性について述べる。表2にサンプルの属性を示す。対象は香港在住の外国人で20〜50代の男女265サンプルサイズである。性別は男性134人(全体の50.6%)、女性131人(同49.4%)、年齢は20代が68人(全体の25.7 %)、30代が68人(同25.7 %)、40代が80人(同30.2%)、50代が49人(同18.5%)となっており、20代、30代が過半数を占める。世帯員数は最も多いのが3人世帯で96人(全体の36.2%)、次に4人世帯77人(同29.1%)、2人世帯45人(同17.0%)となっており、3〜4人世帯が全体の6割以上を占めている。また、最終学歴は大学卒業が最も多く197人(全体の74.3%)、職業に関しては会社員(フルタイム)が229人(全体の86.4%)と大多数を占める。月収では、最も多いのが4万HK$〜7万HK$の115人(全体の43.4%)、次に2万HK$〜4万HK$の63人(同23.8%)、7万HK$〜10万HK$の48人(同18.1%)であり、香港人の平均年収が約1万8000HK$であることから、富裕層が回答していることがわかる。

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5 分析結果

表3、図2に推定結果を示す。いずれにおいても、条件付きロジットモデルのゆう比検定の結果、定数項を除いた全てのパラメータが0であるという帰無仮説が有意水準1%で棄却された。Pseudo R2は 0.11であり、モデルの当てはまりは良好である。推定された係数がプラスであれば、当該説明変数の値が上がると、その変数が設定されている選択肢の効用が大きくなることを、逆に係数がマイナスであれば、当該説明変数の値が上がるとその変数が設定されている選択肢の効用が小さくなることを意味している。

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推定結果より、「産地」に関する「日本産和牛」「日本産和牛(ラベルあり)」「豪州産Wagyu」、「脂肪交雑(サシ)」に関する「標準」「かなり多い」、「購入場所」に関する「高級デパート」「輸入品専門食料品店」は有意なプラスのパラメータ、その一方で、「産地」に関する「豪州産アンガス牛」や「価格」は有意なマイナスのパラメータである。「産地」が「日本産和牛」「日本産和牛(ラベルあり)」「豪州産Wagyu」、「脂肪交雑(サシ)」が「標準」「かなり多い」、「購入場所」が「高級デパート」「輸入品専門食料品店」の牛肉を購入する場合、「産地」が「米国産アンガス牛」、「脂肪交雑(サシ)」が「ほとんどない」、「購入場所」が「街市」の牛肉を購入する場合よりも消費者の効用は高くなる。また、当然のことであるが、価格の高い牛肉の購入は、消費者の効用を低くするように作用する。

本モデルでは、「どれも買わない」時の効用をゼロとおき、「産地」を「米国アンガス牛」「脂肪交雑(サシ)」を「ほとんどなし」、「購入場所」を「街市」の牛肉を基準としているため、計算される限界支払意志額(消費者が支払っても良いと考える最高額)は基準となる牛肉からそれぞれの商品属性を変化させたときの差額である。また、ASCの係数から計算される価格水準は、基準である「米国産アンガス牛」「ほとんどない」「街市」の牛肉に対する限界支払意志額を表す。

基準となる「米国産アンガス牛」「ほとんどない」「街市」の牛肉に対する限界支払意志額は136.7HK$、それに対して、「日本産和牛」の場合97.2HK$、「日本産和牛(ラベルあり)」の場合138.7HK$、「豪州産 Wagyu」の場合47.5HK$限界支払意志額が高くなることがわかる。「豪州産 Wagyu」よりも「日本産和牛」の限界支払意志額が高いことは、日本産和牛が豪州産Wagyuと比較して、差別化戦略に成功していることを意味している。また、「日本産和牛」と「日本産和牛(ラベルあり)」の限界支払意志額の差およそ40 HK$はラベルに対する支払意志額であり、ラベルを添付することによって、より高価に日本産和牛を販売できることを意味している。「脂肪交雑(サシ)」については、「ほとんどない」と比較して、「標準」は32.4HK$、「かなり多い」は18.2HK$高くなる。「かなり多い」よりも「標準」の方を好むのはやや意外なことではあるが、香港においては適度にサシが入る方が消費者に好まれることを物語っている。「購入場所」については、「街市」と比較して、「高級デパート」で48.0HK$、「輸入専門品店」で44.7HK$高くなる結果で、妥当な結果である。

以上の結果から導かれる含意は何であろうか。

第一に、日本産和牛は確かに差別化戦略に成功しているものの、意図したほどそのプレミアムが高くないということである。筆者らの調査によれば、日本産和牛と豪州産Wagyuの支払意志額の差は、およそ50HK$である。この差についての評価は意見の分かれるところであろうが、日本産と競合する産地がコスト削減に努め、50HK$以上の価格差に成功すれば、日本産和牛から外国産Wagyuへのブランド・スイッチング(切り替え)が起こる可能性がある。

第二に、垂直的な差別化戦略に黄色信号がともっていることである。垂直的な差別化とは、消費者の間で評価が共通している(=垂直)属性を変化させることによって差別化を行う戦略である。日本産和牛を例にすれば、サシの入り具合という垂直属性を追求することで、差別化に成功することを意味する。ただし、筆者らの調査は、サシが必ずしも垂直属性とは限らないことを示唆していた。新たなマーケット・イン(需要に応じた生産・販売)が求められている。

6 おわりに

本研究では、国産畜産物の需要拡大方策の一つとして、牛肉の輸出に着目して、香港における牛肉の消費者評価について検討した。本研究での分析結果を踏まえた上で、今後の畜産物の輸出戦略としていかがなるものが考えられるだろうか。そのヒントは、チャン・キム教授とレネ・モボルニュ教授の提唱したブルー・オーシャン戦略にあると思われる。すなわち、「新しい価値を提供し、市場の境界を引き直す」という戦略である。それは、別の言葉で表現すれば、「文化の開発・輸出」戦略と言えるかもしれない。当然、たやすいことではなく、産地による今後の試行錯誤の中で具体的方向性は見えてくるものであろう。しかし、2013年の和食のユネスコ世界無形文化遺産への登録や2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催は、その実現を加速する契機になるに違いない。

いずれにしても、わが国の農産物輸出拡大のためには、あらゆるステークホルダーの英知を結集させる必要がある。オールジャパンで取り組むべき課題と言って良い。


【参考文献】

Aizaki, H., Nakatani, T. and Sato, K. (2014) Stated Preference Methods Using R, CRC Press.

伊藤久美・西村博昭(2015)「豪州のWagyu生産および流通の現状」『畜産の情報』、305、84〜104.

小林誠・渡邊陽介(2015)「米国のWagyu生産の現状」『畜産の情報』、304、62〜78.

三宅秀道(2012)『新しい市場のつくりかた』、東洋経済新報社.

W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著、入山章栄監訳、有賀裕子翻訳(2015)『[新版]ブルー・オーシャン戦略―競争のない世界を創造する―』、ダイヤモンド社.

大呂興平(2013)「豪州のwagyu産業」『畜産の研究』、67(8)、787〜795.

大呂興平(2015)「オーストラリアのwagyu産業―和牛とwagyuの過去・現在・未来―」『地理』、60(8)、30〜37.


				

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