調査・報告 学術調査 畜産の情報 2017年1月号
東京大学大学院農学生命科学研究科 准教授 齋藤 勝宏
東京大学大学院農学生命科学研究科 准教授 芳賀 猛
創価大学経済学部 准教授 近貞美津子
東京大学大学院農業資源経済学専攻 博士課程 佐藤 秀保
東京大学農学部獣医学専修 学 生 大川 愛絵
本研究では、乳房炎を念頭におき、生乳生産が減少した場合に牛乳・乳製品の需給にどのような影響を及ぼすかと言う点と乳房炎が生乳生産にどの程度影響を及ぼしているかについてモデルを用いて数値的に検討する。また、ヒアリング結果を要約することで、生産の現場である農家レベルでの乳房炎が所得に及ぼす影響や、乳房炎を防除する手段についても考察を加える。
わが国の食料自給率はカロリーベースで見ると約40%である。これほど低い自給率の理由の一つに畜産部門で投入される飼料の海外依存度が非常に高いことが挙げられている。ある程度の粗飼料生産が北海道で見られるものの、酪農部門も例外ではない。食の安定的な供給の確保という観点から見ると、カロリーの6割は海外に依存しているのだから、安定的な輸入を確保することも重要だが、国内の生産力を高めることも喫緊の課題であることは言うまでもない。
近年、バター不足が頻発していると言われているが、その要因については、2006年や2007年の減産型生産計画、輸入飼料価格の高騰や高齢化による酪農家数の減少、液状乳製品やチーズの需要の伸びによる生乳需要の増加、乳房炎の発生などが挙げられている。これらの要因の中には、安定的な傾向を持って推移している要因もあれば、偶発的な要因によって変動する要因もある。安定的なトレンドをもって推移する要因であれば、将来予測は比較的容易であるため、輸入量や輸入のタイミングを適切に決断することができる。一方で、確率的要因によって左右される場合には、将来予測は容易ではなく、偶発的に需給ギャップが生じる可能性は否定できない。
確率的要因としては、飼料価格の変動(飼料の国際価格および為替レートの変動)と家畜の疾病があるが、飼料価格の変動に関しては配合飼料価格安定制度があり、ある程度の緩和措置が採られている。家畜の疾病については、家畜共済があり、治療費などの補償がなされ酪農所得の平準化にはある程度寄与するものの、生産量の変動を緩和する働きはない。乳房炎によって乳量が増加することはないので、確率変数と見た場合の泌乳量の分布は減少局面のみとなるため、酪農生産基盤が脆弱化している近年においてはその効果が需給に大きな影響を及ぼしうる。
乳房炎を経済的側面から分析した研究はいくつかあるが、そのほとんどは経営段階や全国のマクロレベルでの経済的損失を評価したものである。経済的損失が重要でないわけではないが、食料需給を対象とする分析では、物的側面が重要である。金銭の場合には、足りなければ、ほぼ対称的な異時点間の取り引きが可能であるのに対し、物的には非対称な異時点間取り引きしか行われないからである。現在の生産を将来消費することは可能だが、将来の生産物を現在消費することは不可能であるからである。
そこで、本研究では、乳房炎を念頭におき、生乳生産が減少した場合に牛乳・乳製品の需給にどのような影響を及ぼすか、乳房炎が生乳生産にどの程度影響を及ぼしているかについてモデルを用いて数値的に検討する。また、ヒアリング結果を要約することで、生産の現場である農家レベルでの乳房炎が所得に及ぼす影響や、乳房炎を防除する手段についても考察を加える。
生乳取引価格は指定団体とメーカーの間で年度初めに決定され、年度を通して一定とされるが、年次ベースで考えると、用途ごとの需給を反映して生乳取引価格が決定されると考えて差し支えない。そこで、図1の生乳生産、牛乳・乳製品の生産量、需要量はそれぞれ対応する価格の水準に依存して決定されるようモデルを定式化して、生乳供給が何らかの要因によって減少した場合に牛乳・乳製品の需給に及ぼす影響がどの程度になるかを推計した。推計は二通りの方法による。一つは、指定団体が優先用途販売方式(注1)を用いて、生乳の用途別販売を行う方法、二つ目は、需給を反映する価格に応じて指定団体の売り上げが最大化されるように用途別販売を行う方法である。前者は現行方式、後者は平成27年から検討が始まった用途別の販売価格を入札によって決定する方法にほぼ対応している。シミュレーションでは生乳供給が5%減少すると想定した。
優先用途販売方式の下では用途別乳価は固定的であり、供給ショックの影響はすべてバター・脱脂粉乳向け原料乳に表れる。平成26年の生乳供給量は約726万トンなので、供給ショックとして想定する5%の減少分は36.3万トンほど(注2)となり、加工原料乳量は23.6%減少し、1万5000トンほどのバターの生産が減少する(表1)。
次に、用途別原料乳の需給が均衡する取り引きを前提とした場合、乳価は需給を反映して伸縮的に調整され、供給ショックによる超過需要は生じない。乳価はチーズ向けを除き2割程度上昇する。チーズ向け乳価の上昇率は約16%である。用途別原料乳分配量は、チーズ向けが最大で7%を超える減少率であり、残る優先用途の飲用向け、クリーム向け生乳は4〜5%の減少、加工原料乳はおよそ6%の減少となる。チーズ向け原料乳量の減少が大きいのは、供給面からは比較的高価な他の優先用途へ原料乳を分配することで指定団体の収入は増加し、一方需要面からは輸入により供給ショックを緩和することで国産品の供給量が他の生乳に比較してある程度減少する結果であると考えられる(表2)。
生乳の供給量が減少する場合、優先用途販売方式ではバター・脱脂粉乳のみに供給減少の効果が表れるのに対して、用途別生乳需給方式では、それぞれの取引価格に応じて生乳分配が調整されるため、その影響は取引価格の低いチーズ向けが一番大きな影響を受けることになる。指定団体の生乳販売方式が乳製品の需給に影響を及ぼしていることが数値的に明らかとなった。
(注1) 乳製品向け生乳供給の約85%を占める北海道では、ホクレンが「優先用途」販売方式を採用している。用途のタイプは主として指定乳製品向け(バター・脱脂粉乳)と「優先用途」である。優先用途には、飲用向け、はっ酵乳・乳酸菌飲料向け、液状乳製品向け、チーズ向けが含まれている。「優先用途」への販売は必要量分配であり、乳業メーカーが必要とする量をホクレンに申請し、受託乳量全体から先取りする形で優先的に希望数量が販売される(清水池[5])。
(注2) 便宜的に5%の生乳供給減少を想定したが、後述するように乳房炎発症を1割削減すると生乳供給は年間約3.27千トン増加するので、乳房炎という観点からは過大なショックを想定していることになる。結果の解釈には注意を要する。
(1)乳房炎(注3)とは
乳房炎とは、乳房内に侵入した微生物の定着と増殖による乳管系や乳腺組織の炎症のことであり、乳汁の合成機能が阻害され、乳汁を分泌する細胞膜の血管の透過性が亢進して異常乳となり、体細胞数が増加する。乳房炎の原因菌は伝染性病原菌と環境性病原菌に分類される。伝染性病原菌は、本来牛群には存在せず、導入や人の手や搾乳機器で搾乳中に感染を広げる乳房炎原因菌で、黄色ブドウ球菌、無乳性連鎖球菌、マイコプラズマなどがあり、著しく体細胞を増加させる細菌である。保菌場所はおもに乳房であり、分房から分房へあるいは牛から牛へと伝染する。搾乳時の伝染が圧倒的に多い。難治性であることから隔離・淘汰による高度なコントロールが必要となる。一方、環境性乳房炎菌は牛体や牛群環境に存在する細菌で、表皮ブドウ球菌、環境性連鎖球菌、大腸菌群などがあり、これらの細菌は常に存在し、単位体積当たりの細菌数が増加すればするほど乳房炎を発症する確率は高まる。ふん尿に汚染された敷料が主な感染源であり、約5割は環境性乳房炎原因菌によるものであるという。
(注3) 十勝乳房炎協議会[7]より引用。
(2)乳房炎による経済的損失
乳房炎による損失には、生産乳量の減少、乳質の低下、治療費支出、出荷制限期間における生乳廃棄、淘汰更新、体細胞数増加による乳価へのペナルティ、作業上の損失などを原因とするものがあるが、潜在的乳房炎による乳量損失と乳質低下は大きい。乳房炎に罹患すると、治療に抗生物質を使うため治療期間と治療完了後の休薬期間は生乳の出荷が禁止されている。治療完了後も健康な牛と比べ泌乳量が減少することが知られている。図2は、乳房炎による乳量損失の概要を示したものである。点線は健康な牛の泌乳曲線を表している。分娩後から泌乳量が増え始めピークを迎えた後、漸減しやがて乾乳期に入る。この図から分かることは、乳房炎の発症時期と治療期間に応じて出荷制限時の廃棄乳量が決まることと、治療完了後も泌乳量が健康牛に比べて減少することである。
つまり、乳房炎が泌乳量に及ぼす影響は、分娩後のどの時期に乳房炎に罹患し、治療日数が何日かが分からなければ推計することはできない。つまり、乳房炎が生乳供給に及ぼす影響を正確に把握するには、診療カルテ段階のデータを集約する必要がある。これを全国ベースで長期間にわたって調べることはほぼ不可能である。
そこで、治療件数として家畜共済事業の事業成績を取りまとめた農林水産省「家畜共済統計」の基礎データ(家畜共済病傷事故における都道府県別、事故年月別の乳房炎の発生件数)を利用する。このデータは、治療カルテに基づき、治療を終了したものの件数を取りまとめたものである。実際に乳房炎を発症した時期と治療が完了し診療カルテのデータを転記するまでに1〜2カ月のラグがあること、発症は分娩後何日目か、治療期間な何日かは不明である点には留意する必要がある。
図3は乳房炎の月別発生件数と生乳生産量をまとめたものである。点線は乳房炎発生件数の12カ月の移動平均を表しており、平均的には1月当たり3万4000件程度発生していること、梅雨の時期から気温の高い8月〜10月にかけて発生件数が増加するという季節的なパターンが観察されるものの、ピークとなる時期の発生件数は年によってだいぶ変動があることが分かる。家畜共済統計では、乳房炎の最終治療の2週間後に「治療完了」と判断され、診療カルテの情報が転記されるため、発症からデータとして記録されるまで1〜2カ月のラグが生じる。従って、乳房炎発症のピークは6月〜8月で、梅雨の時期から夏にかけてである。集計データを見ると季節変動のパターンが観察されるが、それぞれの月ごとの乳房炎発症の平均を100とする指標を作成し、変動係数を求めると、最小値が5.97(11月)、最大値が10.8(6月)となり、変動が大きいことが分かる。また、全ての指数の変動の幅は75〜127(±25%)であった。
(3)乳房炎の発症と生乳供給との関係
生乳供給量を、乳房炎の発症件数(2カ月ラグ付き)、乳価・飼料価格比、平均気温などを説明変数として回帰分析した(表3)ところ、乳房炎発症件数の係数はマイナス2.1程度であった。これは、乳房炎が1件発症すると生乳供給が約2100キログラム減少することを示している。
ところで、図2によると、平均泌乳量を30キログラム/日と仮定した場合、治療および休薬期間の10日で300キログラム、その後、健康牛と比べて6%泌乳量が減少したとしても最大531キログラム(30キログラム/日×6%×295日)の損失で約850キログラムとなる。ただし、搾乳日数は305日と仮定した。従って、乳房炎の発症1件当たりの乳量損失が約2100キログラムとなる回帰分析の推計結果は明らかに過大評価である。
乳房炎の発症に関する全国レベルでのデータは家畜共済統計しか存在しないため、本研究では、次善の策として、図2に基づき、乳房炎による乳量損失の評価を行う。個体レベルでの発症のタイミングは一様分布に従うと仮定し、治療および休薬期間を10日間、治療終了後の乳量損失は健康牛の泌乳量の6%、罹患は年1回のみであると仮定した上で、1日当たりの平均泌乳量が26キログラム、28キログラム、30キログラム、32キログラムの場合に乳量損失を計算した(表4)。例えば、平均泌乳量が30キログラムの場合、1カ月目の乳量損失は268キログラムとなっている。初日に発症すると、最初の10日間で300キログラムの乳量廃棄、治療終了後は毎日30キログラムの6%が20日間にわたって損失となる。最終日に発症すれば30キログラムの減少にとどまる。これらの平均をとったものが268キログラムとなる。2カ月目も同じように一様分布の下で平均をとると96キログラムとなる。3カ月目以降は乳量損失のみとなる。年間を通すと805キログラムの損失となる。分娩後1〜2カ月目に発症すると、1カ月分の乳量損失54キログラムを免れることができるので、751キログラムの損失となる。以降、1カ月発症のタイミングが遅れるごとに54キログラム損失乳量が減少するので、発症の時期が遅くなればなるほど乳量損失は少なくなる。乳房炎発症の分布を調べた研究はあまりないが、分娩後3カ月ぐらいまでに発症する例が多いようである。個体レベルでの発症のタイミングは一様分布に従うと仮定しているので、ある月の乳量損失は当該月に発症した損失と1カ月前に発症したものの乳量損失など過去10カ月にわたって発症したものの乳量損失の和となり、305日間の乳量損失となる。
分析対象期間の平均生乳供給量が66万2540トン/月、平均乳房炎発症件数が3万3826件/月であるので、平均泌乳量を30キログラム/日とすると、乳房炎の発症が10%引き下げられる場合には約2723トン/月の生乳供給増加となる。これは、全供給量の0.4%に相当する。また、20%削減の場合には5445トンの供給増加となる。
指定団体の用途別生乳販売が優先用途販売方式であるとすると、この程度の生乳生産量の変動は優先用途への販売量を変化させるほどではないので、指定乳製品以外の乳製品の需要が変わらないと仮定すると、乳房炎の発症が20%抑えられることで年間6万5344トンの生乳供給が増加する。この変化率を平成26年度の生乳販売実績で評価したものが表5である。生乳供給量は同年の販売実績に平均で見た場合の変化率を掛けて推計した。
これを見ると、バター向けの生乳供給は約3.9%増加する。26年度のデータで見ると、バターの国内生産量が約6万トンなので、2400トンの増産となる。乳房炎の発症件数の変動により、影響を受けるバターの国内生産量の変動は±2400トン程度ということになる。25年度のバター輸入量が3500トン、26年度のバター輸入量が約1万3000トン程度であることを考慮すると、フレキシブルな輸入量の決定がなされないという状況のもとでは、乳房炎という生産減少のリスクがバター生産変動に及ぼす影響は小さなものではないことが明らかとなった。
本節では、X県Y家畜診療所において行ったヒアリング調査に基づき、乳房炎が酪農経営に及ぼす影響についてまとめる。ヒアリングで得られた情報は、酪農家数、飼養頭数、家畜共済による治療状況(家畜の病症の概要を含む)など、X県における酪農の概況と、乳質改善グループの研究成果「X県における高体細胞数による被害状況について」であった。乳質を改善するには、生産者の意欲が重要な役割を果たすが、そのためには現状を数値的に把握する必要があるという認識のもとで研究を開始したという。以下では、研究成果の概要についてまとめる。
(1)分析対象酪農家
乳房炎の治療費の高い農家と低い農家の計78戸(成牛30頭以上)を対象に、診断カルテの情報、酪農協より提供を受けた乳質(体細胞数、ペナルティー回数)、出荷量データを用いて、乳房炎による酪農経営の経済的損失の分析を行った。
(2)調査データ項目
データ項目は、治療率(治療頭数/年度初め成牛頭数×100)、診療費、予防費(乾牛軟膏、PLテスターなどの購入費)、バルク乳体細胞数、ペナルティ回数、月別出荷乳量である。
(3)分析結果
分析の前提条件と分析結果は図4にまとめた通りであり、分析結果を要約すると以下の通りである。
・ 年間の平均体細胞数の分布では、ほとんどが基準となる30万個/ml未満であったが、40万個/mlを超える農家も存在していた。
・ 計測したときの体細胞数30万個/mlを超えるとペナルティが科せられるが、年間の体細胞数ペナルティ回数の分布をみると、ペナルティが1度も科されなかった農家が8戸いる一方で、複数回、科された農家もいるという結果になっている。
・ 飼養頭数規模と乳房炎の治療費との関係では、必ずしも飼養規模の大きい農家で治療費が高いという関係は見い出せない。調査サンプル農家の中には、250頭を超える飼養規模の酪農家も2戸あったが、これらの治療費は10万円以下であった。一方、50頭規模の農家での治療費はゼロから約90万円の範囲に分布している。
・ ペナルティ回数と診療率で対象農家を、診療率も低くペナルティ回数も少なく乳質管理が良好な農家A群、ペナルティ回数は少ないが治療率が高く治療に積極的な農家B群、ペナルティ回数は多いが治療率が低く治療に消極的な農家C群、ペナルティ回数が多く治療率も高いが有効な治療ができていないと思われる農家D群に分けて、経済的被害を推計すると、A群は45万円程度、B群は180万円程度(治療廃棄乳の割合が高い)、C群は180万円程度(損失乳の割合が高い)、D群は330万円程度(損失、ペナルティ、廃棄乳、治療費とも高い)という結果が得られ、酪農経営にとって乳房炎対策が非常に重要であることが数値的に明らかとなった。
・ 対応策としては、B群に関しては、発生原因を特定化するとともに、搾乳衛生の見直しを図ること、C群に関しては、原因菌を特定化し、適切な治療を行うこと、D群に関しては、乳房炎発生原因の特定化、慢性乳房炎牛の特定化を行うことが特に重要である。
(4)ディスカッション
体細胞数の高い農家が少なくないのは意外であり、その経済的損失も大きく、今後乳製品の自由化が進行して行く状況を敷衍すると、少しでも効率の良い酪農経営を行うためには、乳房炎を克服することが極めて重要である。
ペナルティ回数も多く、治療率も高いケースの背景には、慢性的乳房炎牛の存在が大きいと推察される。都府県の場合には、飼養頭数に占める経産牛の割合が高く、更新牛を計画的に育成する必要性は大きい。
乳房炎の経済的損失がどの程度で、それを回避するにはどの程度の努力(労働投入、費用)を投入すればよいかを把握し、合理的に行動した結果として乳房炎対策を行っていないのであれば致し方ない(注4)が、経済的損失を知らないが故に、対策を立てないままであれば、乳房炎による経済的損失の額を酪農家が知ることは次のステップとして酪農経営を効率化していくためには必要不可欠であるし、それを進める何らかのフレームワークを確立する必要がある。
農家は乳検データをはじめ詳細な個別データを保有しているので、農家レベルで必要なデータを入力することで乳房炎の経済的被害を評価できるソフトウエアのようなものがあれば有用であろう。
(注4) 家畜共済に加入しているが故に乳房炎対策を怠っているとすれば、モラルハザードを回避するようなメカニズムを導入することも重要である。
生産にそれほど大きな影響を与えないとはいえ、国内の生乳生産の非効率性を解消するには乳房炎の防除が不可欠である。乳房炎は乳牛で最も問題となる家畜疾病で、経済的損失も大きい。しかしながら、その原因がさまざまであることから、単純な対策は困難である。
病原体が明確な場合はワクチンが有効である。平成28年6月8日付けの日本農業新聞には乳房炎ワクチンの販売が開始されるとの記事が紹介されたことであり、ある程度の乳房炎の抑制は期待できそうである。
また、乳房炎の経済的被害がどの程度なのかを個別の農業経営で自己評価し、そのインパクトを数値的に認識することで、環境性乳房炎対策を行うことも有用であろう。乳房炎のインパクトを自己評価できるソフトウエアの開発や、家畜改良事業団による診断サービスの提供が役立つかも知れない。
さらに、作業手順を確認するHACCPの手法を農場レベルで応用した農場HACCPは、乳房炎を含めた家畜疾病予防や、畜産物の品質向上にも役立ち、経済性の向上につながる可能性がある。生産物品質保証の観点から、フードチェーンの最上流を担保する意味で、農場HACCP導入は重要である。しかし現時点ではわが国の認定農場の数は限られている。普及を進めるためには、導入のメリットを明示するための調査やインセンティブを付けるための工夫が必要であろう。
農場HACCPは乳房炎対策として有効な手法になりうると考えられるが、構築段階から、乳房炎対策を考慮する必要がある。農場HACCPの認証にはコストもかかるためハードルが高いが、認証の有無にかかわらず、HACCPの手法を用いた乳房炎対策は、効果が期待できる。
現時点では農場HACCP導入と乳房炎減少についてのデータはまだ限られている(注5)。因果関係を示すためには、データを蓄積していくことに加え、バイアスをかけないための解析手法の検討など、さらなる研究が求められる。今後、農場HACCPの普及が進められる過程で、より効果的な乳房炎対策が示されることが期待される。
いずれにせよ、生乳需給管理の不確実性の減少、生乳生産の効率化、農家所得の向上が期待されるという意味で乳房炎対策は極めて重要な課題である。
(注5) 例えば、赤松[1]参照。
【参考文献】
[1] 赤松裕久「農場へのマネジメントシステム導入とその効果」『家畜診療』60巻5号、2013年、pp.259-263。
[2]赤松裕久「国内初、生乳生産施設におけるISO22000 (HACCP)正式認証」臨床獣医第27巻8号、2009年、pp.21-25。
[3]齋藤勝宏・佐藤秀保・芳賀 猛「乳房炎の発症が生乳・バター供給に及ぼす影響について」フードシステム研究、印刷中。
[4] 佐藤秀保・齋藤勝宏「生乳供給ショックが用途別取引に及ぼす影響」2016年度日本農業経済学会報告論文、印刷中。
[5] 清水池義治『生乳流通と乳業』デーリィマン社、2015年。
[6] 近貞美津子・齋藤勝宏「我が国におけるバター不足の供給要因分析」フードシステム研究第22巻3号、2015年、pp.305-310。
[7] 十勝乳房炎協議会「Mistitis Control II」、2014年。
[8] 日本乳房炎研究会監修『乳房炎の防除』ディリー・ジャパン社、2012年。
[9] 芳賀猛・大川愛絵「乳房炎の現状と対策-文献調査と農場HACCPの可能性-」2016年、未定稿。
[10] 福田竜一・齋藤勝宏「わが国酪農部門の政策評価モデルについて」『2000年度日本農業経済学会論文集』、2000年、pp.74-78。