調査・報告 学術調査 畜産の情報 2017年3月号
那覇事務所 石丸 雄一郎、岡 久季
沖縄県うるま市の山城畜産は、先代から地元の畜産共進会の枝肉部門で実績を残し、地元小売店に枝肉を安定供給することで、県内において「山城牛」ブランドの信頼を築いてきた。250頭の肥育牛を家族と従業員の5人で丁寧に飼養し、年間150頭程度出荷するうち、A 5ランクの比率は45%を占める。子牛価格の高騰が続く中、経営を強化するため、繁殖から販売まで「なんでもできる」体制を目指している。
沖縄県下の畜産は本土復帰以降、宮古・八重山地域を中心に周年で牧草の収穫ができる温暖な気候を生かして、飼料生産基盤の整備が進み、肉用牛の産出額は飛躍的に増加した。特に、放牧飼養による低コスト生産が可能な離島地域において子牛生産が盛んで、沖縄県の肉用牛飼養頭数7万500頭のうち、約6割となる4万1800頭が繁殖牛である。肥育に関しても、平成12年の第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)において振る舞われた「石垣牛」が全国区のブランドに成長するなど、近年、いくつかの肉用牛ブランドが立ち上げられ、輸出も推進されている。
沖縄本島中部のうるま市で肥育経営を行う山城畜産(代表 山城善市氏)は、「山城牛」ブランドを地元小売店を中心に展開し、安定した品質で枝肉を出荷し収益を確保している。本稿では、子牛価格および飼料価格など生産コストが増加している状況下で、父親の代から続く品質の良い枝肉生産により所得向上を目指す取り組みを報告する。
沖縄県の農業産出額935億円のうち、畜産業は426億円(45.6%)を占めており、主要産業である。その中でも肉用牛は187億円で畜産業の43.9%、農業産出額の20.0%を占めている(図1)。
肉用牛の飼養戸数と飼養頭数は、近年減少傾向で推移している(図2)。飼養戸数は、高齢者の離農などを要因として、19年の3130戸から28年には2610戸となり、16.6%減少した。飼養頭数は、22年に8万5600頭まで増加した後、28年には7万500頭まで減少している。23年以降、繁殖雌牛の飼養頭数も減少し、28年には22年比17.0%減の4万1800頭となっている(図3)。飼養戸数、飼養頭数ともに減少しているため、1戸当たりの飼養頭数は、25〜27頭とほぼ横ばいで推移している。28年は1戸当たり27.0頭で、全国平均47.8頭の6割弱の水準である。
経営規模別でみると、10〜19頭が29.5%で最も多く、次いで20〜49頭が24.3%となっている(図4)。100頭以上を飼養する生産者の比率は3.9%であり、全国の8.9%よりも低い水準となっている。本稿で取り上げる山城畜産は、現在、250頭の肥育牛を飼養しており、比較的小規模な農家が多い沖縄本島においても、屈指の規模を誇る生産者であるとともに、平成21年、22年の沖縄県畜産共進会枝肉部門で最優秀賞を受賞するなど、肉質の良い枝肉の生産を行っている。
山城畜産の牛舎は、沖縄本島中部のうるま市郊外の高台に位置している(図5)。代表の山城善市氏の父、善行氏が沖縄市登川で牛舎を構えたのが昭和52年であった。沖縄本島中部は闘牛が盛んで、善行氏も4〜5頭の闘牛を飼っており、善市氏も幼少の頃より牛の世話を手伝っていたという。善行氏が会社を退職し、退職金で沖縄市に牛舎を整備、当初は15頭の肉用牛を飼養していた。
善市氏は、大学で畜産を専攻し、卒業後の平成元年から善行氏のもとで働き始めたが、その頃にはすでに飼養頭数が150頭の規模になっていた。牛舎は、毎年増築を重ねたため、決して働きやすい造りにはなっておらず、畜舎周辺の住宅地造成も進んでいたため、10年に善行氏から経営を引き継いだ頃から、移転を検討するようになった。17年、現在のうるま市石川山城の造園業者の跡地に、自己資金と借入金で牛舎2棟と畜産環境整備リース事業を利用して堆肥舎2棟を新築した。飼養頭数は最も多い時で450頭に上り、県外へも出荷していたが、飼料・子牛価格の高騰への対応が必要になったことから、飼養管理をより徹底し肉質を向上させるため、25年からは新設したうるま市の牛舎のみの経営に移行した。現在は250頭の肥育牛と10頭の繁殖牛を飼養しており、県内の需要が増えたため、県内のみで枝肉を販売している(表1)。年間出荷頭数145頭、そのうちA5ランクの格付けの比率は45%で、年商は1億5千万円(27年実績)に達する。沖縄県における黒毛和種去勢牛のA5ランクの比率が、27年度で30.7%となっていることから、山城畜産が非常に高い品質の牛を生産していることがわかる(表2)。
働き手は、常勤として善市氏、次男、従業員の3名のほか、非常勤として善市氏の妹と、近隣の畜産農家を手伝いながら削蹄などの技術を習得中である三男の2名が手伝っている。
(1)肉質の向上によるブランド展開
山城畜産が生産する「山城牛」は、親子二代にわたり追求した品質の良さが周囲に認知されて生まれたブランドである。
善行氏が規模を拡大する過程においては、肉質よりも、コストをかけずにいかに牛を増体するかに注力していた。ある時、地元の畜産共進会で、山城畜産の枝肉が「悪い見本」となったことをきっかけに一念発起、善行氏は生産技術・枝肉について再度勉強し、飼料構成から見直した。主にふすまを給餌するようになった結果、出荷体重は減ったものの、肉質は良くなり、平成元年には県の畜産共進会に出品した牛がチャンピオンになった。その頃、生体でセリに出すのをやめ、沖縄県農業協同組合を通じて枝肉だけを販売するようになった。善市氏は、「生体と違って、枝肉はごまかせない。枝肉での販売は、自信がないとできない」と話すが、枝肉で販売するようになってから、利益も大きくなったという。
平成3年、県内のある大手小売業者は、それまで扱っていた県外のブランド牛以外に沖縄県産の高品質の牛肉を販売するため、生産者を探していた。その当時、沖縄本島で、安定した品質でなおかつ一定量を常時出荷できる生産者は山城畜産しかなく、沖縄県農業協同組合を介して取引が始まった。数年後、この小売店で山城畜産の牛肉販売が定着してくると、関係者が自然と「山城牛」と呼ぶようなった。山城畜産としては、「ブランド化を目指した」ということはなく、品質の良い枝肉を納めていたら、いつの間にか関係者の間で「山城牛」と呼ばれるようになったとのことだ。その後、「せっかく名前がついたのだから」と製品に貼付するオリジナルのシールを製作し、ブランドの展開を図るようになった(写真2、3)。
現在、山城畜産で生産された肥育牛は、生体のセリには出さず、すべてが枝肉で取引され「山城牛」として、地元小売店で販売されている。価格は、枝肉の相場を参考に相対で決めているとのことである。枝肉価格が高値で推移しているため、「沖縄市の牛舎を整理せずに頭数を維持していたら、相当な儲けになったのでは」との問いに対しては、「1カ所に集約した後も、同じ人数で飼養管理にあたっているため、以前よりも牛を丁寧に観察できるようになった。むしろA5等級の比率は今が一番よく、肉質が向上してよかったと思っている」とのことである。特に、子牛価格が高騰している状況下で、収益を確保するためには、共進会でトップクラスの枝肉を生産しないといけない。よい牛を育てることに重きを置いてきた結果、牛が小さくなったので、今後はA5ランクの比率を現在の45%より上げることを目標にするのではなく、枝肉1頭当たり平均480キログラムから500キログラムを超えるよう重量を増やしたいと考えている。
(2)子牛価格高騰下で始めた子牛生産
昨今の子牛価格高騰に対し、善市氏は「良い子牛を自ら作るチャンス」と考え、繁殖雌牛の導入に踏み切った。
沖縄県下の子牛(黒毛和種去勢)価格は、平成21年度を底値に年々上昇し、27年度には21年度の約2倍となる70万円に迫る水準になった(図6)。
以前から子牛価格が70万円を超えるようになったら経営的に問題になると考えており、頭を悩ませていた。しかし、「お金をかけずに子牛を育てるのは大変だが、お金をかけて良い子牛を育てても、今なら買うよりも安い。繁殖に挑戦するチャンスだ」と考え、28年に繁殖雌牛を10頭導入し、自ら子牛生産を始めた(写真4)。繁殖のために畜舎を増築してしまうとコストが高くなるため、繁殖雌牛の増頭に向けて、空いている牛舎もしくは近隣で預かってくれる生産者を探しているという。畜舎の目途が立てば、30頭程度まで増頭し、繁殖・肥育一貫で育てた牛の出荷比率を増やしていきたい考えだ。
繁殖雌牛の飼養については、試行錯誤しており、夏場は、畜舎周辺の野草を与えていたが、牛のコンディションが維持できず、種付けもうまくいかなくなったことから、繁殖雌牛に給与する粗飼料は、1年を通して今帰仁村の生産者からロールベール(トランスバーラ、ギニアグラス、ローズグラス)を購入している(写真5)。
なお、善市氏は、沖縄県内の8市場のうち、今帰仁、南部、八重山を中心に、久米島、伊江島など5か所の市場を回り、枝肉を出荷した分だけ子牛を導入するため、年間で150頭前後を購入する。セリ名簿で血統および月齢を確認し、購入したい子牛の目星をつけ、今までいろいろな牛を飼った経験を基に、掛け合わせや生産者を細かくチェックする。最終的に子牛を見て購入したい順にランクを決定し、いくらまで出せるかを見積もってセリに臨む。子牛を選ぶポイントとしては、「大きい牛に人気が集まるが、日齢270日くらいで、280キログラム程度が自分には育てやすい」と話す。特に長年通っている八重山市場の子牛については、「それほど大きくはないが、運動量が豊富で環境変化に強いので、飼いやすい」と評価する。
(3)飼養技術向上のための情報収集
現在の牛舎は、高台で非常に風通しがよく、亜熱帯の沖縄県には欠かせない暑熱対策にも工夫が施されていた(写真6、7)。牛舎内の温度の上昇を防ぐため、屋根のトタンの下にベニヤ板を取り付けている。ベニヤ板は、排せつ物から発生するアンモニアが結露して、金属部分が錆びるのを防ぐ効果もあるという。
風通しが良い一方で、沖縄の牛舎で活躍する噴霧器は、一部導入したところ、風に霧が飛ばされて効果が限定的だったことから、現在は扇風機だけを使用している。
また、沖縄市に牛舎を構えていた頃から牛に与える水にこだわっており、ミネラルが豊富であるといわれる地下水を利用している。地下水を利用するようになって肉質が安定したことから、移転した際も、2回チャレンジして地下水を掘り当てた。
善行氏、善市氏ともに枝肉の共進会で何度も入賞経験があるが、飼料設計の工夫などは、「特段行っていない」とのことであった。
肥育牛に給与する濃厚飼料はとうもろこし、麦とふすまで、粗飼料は輸入わらとオーツヘイを与えている。沖縄で稲わらを自給するのが難しいため、九州から稲わらを取り入れたこともあったが、国産は価格が高く、コストが高くなってしまうため、今のところ輸入稲わらを使っている。
給餌は1日2回、午前と夕方に行う。濃厚飼料を先に与え、粗飼料はいつでも食べられるように飼槽を満たしておく。配合飼料を先に与え、粗飼料を後から与えることで、体も大きくなり、上質な霜降りが入るという。これは、宮崎の畜産農家を訪ねた際に学んだ方法である。このように、善市氏は他県や同じ離島である鹿児島県徳之島の畜産農家を訪ね、意見交換をすることで、常に飼養技術について考えている。
また、こまめに竹ぼうきで飼槽を掃きながら、牛の観察を欠かさないようにしている。特に、導入後半年に満たない子牛は、環境に慣れるまで注意深く観察しなければならない。
年間の飼料購入量は、粗飼料が200トン、濃厚飼料が700トンで、飼料費は4500万円にのぼる。
善市氏は今後の経営について、「枝肉価格、子牛価格および飼料価格などの影響に柔軟に対応できる経営にしていきたい」としている。例えば、枝肉価格が低迷した際には、コストを削減したり、繁殖に力を入れたりするなど、「うまくいくところで、うまくいかないところをカバーできる」ように、対応する手段を多く持ちたいということである。その中で、課題とされたのは、飼料の生産と販売力の強化である。
(1)飼料の生産
沖縄県は、飼料作物の作付面積が限られているため、大家畜1頭当たりの飼料作物作付面積は、北海道を除く都府県(14.8アール)と比べても、非常に少ない(7.6アール)。
善市氏は、「子牛生産を増やしていくためには、飼料の生産が急務だ」と考えており、機械化を視野に入れ、一定程度まとまりをもった土地を探しているが、貸し手が見つからないという。沖縄では周年で飼料作物を生産できるため、貸し手にとっては「返してもらうタイミングを逸してしまう」との危惧が生じるようである。
今年、沖縄本島中部地区の和牛改良組合長に就任したことをきっかけに、自治体と話し合いを続けながら、同じ悩みを持つ地域の繁殖農家と共に農地の確保を進めていきたい考えだ。
(2)販売力の強化
近年は枝肉が高値で販売されており、販売先も決まっているため、現在は特に販売促進の必要はないが、今後の需要・価格動向に左右されないためにも、山城牛のPRの重要性を感じている。このため、増加する県外からの観光客にPRし、インターネット上で販売するなど、自らの手で直接「山城牛」を発信・販売し、新たな需要を掘り起こしたいと考えている。
一方、「沖縄県産牛肉を沖縄の人に食べてもらう」ため、地元でのPRにも力を入れており、小売店にパッケージまでを委託した山城牛の精肉を自らセリ市場などで来場者に販売している。そこには「少しでも多くの人に自分が育てた牛肉を知ってほしい」との思いがある。
繁殖から販売までの一貫体系が軌道に乗ったら、再度、規模拡大にもチャレンジしたいと意気込む。
善市氏は二人の息子も就農し、後継者ができたことで、一層やりがいが大きくなっている。「次世代につなぐために、もうかる基盤をしっかり作って、格好良く畜産をやりたい。」と話す。善市氏は、父から経営を受け継いで以来、BSE、飼料や子牛の価格高騰などさまざまな困難に立ち向かってきた。どんな時も山城畜産の肉質への評価が経営を支えてきたことから、今後も品質を追求しつつ、「これしかやらない」というこだわりよりも、繁殖から販売まで「なんでもできる」体制づくりを目指していきたいと考えている。
最後に、お忙しい中、取材にご協力いただいた山城畜産代表の山城善市氏に、この場を借りてお礼申し上げます。