調査・報告  畜産の情報 2017年5月号


自然と地域と育む魅力ある放牧酪農づくり
〜鹿児島県姶良郡湧水町農事組合法人上床酪農組合の取り組み〜

鹿児島事務所 長山 枝里香



【要約】

 鹿児島県あいぐんゆうすいちょうにある農事組合法人うわとこ酪農組合は、戦後の開拓事業の未墾地、およそ35ヘクタールの土地を自ら開墾するところから始まり、現在は、飼養頭数76頭の放牧酪農を経営している。放牧により、低コスト経営と長命連産性の高い牛づくりを実現しているほか、国土と景観の保全、酪農教育ファームなどの体験学習や交流の場の提供にも取り組んでいる。

1 はじめに

飼養頭数の拡大により、酪農経営における労働時間は増加の一途をたどってきた。きつい労働であるというイメージが、酪農から担い手や労働者を遠ざけているとも言われる。後継者不足が問題となる中、農事組合法人上床酪農組合(以下「上床牧場」という)は、放牧を主体として牛の飼養管理を行う放牧酪農により経営の省力化を実現するとともに、放牧地周辺の自然環境保護活動を行い、都市や地域社会と交流を通じて酪農の魅力を発信してきた。酪農はきついというイメージを払拭し、自分が楽しむ酪農、人々が憧れる酪農、そのような酪農の魅力を作る上床牧場の牧場主の竹中勝雄氏の取り組みを紹介する。

2 鹿児島県における酪農生産の概況

(1)酪農生産の概要と課題

鹿児島県における平成27年の酪農の農業産出額は111億円であり、農業産出額全体に占める割合は2.5%と低い〔1〕。乳用牛の総飼養頭数は、昭和60年の2万4200頭をピークに年々減少しており、平成28年は1万5500頭と10年前の18年と比べておよそ20%の減少となっている(図1)。また、飼養戸数も年々減少して197戸となっており10年前と比べておよそ半減している。一方、県内の1戸当たりの飼養頭数は年々増加し、10年前と比べておよそ1.5倍の78.7頭と全国平均と同等である〔2〕

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27年の県内生乳生産量は9万1783トンで、近年は横ばいの傾向となっている(図2)。27年の搾乳牛1頭当たりの平均乳量は9230キログラムである。

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鹿児島県においても全国と同様、高齢化や後継者不足により、酪農家戸数は減少し続けている。また、以前は家族経営の酪農家同士で助け合いがあったが、近年では大規模な経営体も多く、経営相互の協力で助け合っていくことも難しくなっている。そのため、個々の酪農経営の強化を図り、酪農基盤を確保していくことが急務になっている。

(2)放牧酪農の概要と課題

このような酪農の状況の中で、放牧酪農は、通常の酪農と異なるメリットとデメリットを有しており、地域の条件などに照らして、今後の酪農の一翼を担うものと期待されている(表1)。全国で放牧を行っている酪農家数は、平成28年2月1日時点では4920戸であり〔2〕、その大部分が北海道における取り組みとなっている。放牧酪農について見れば九州では16戸、うち、鹿児島県では2戸と少ない。

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九州では、放牧酪農を始めたいと考える新規就農者がいても、手本となる放牧酪農の経営も少なく、技術、ノウハウの蓄積がないことから行政側も二の足を踏んでしまう。経営や飼養管理の技術を確立することが普及に当たっての課題と言えよう。

3 上床牧場の沿革と概要

(1)沿革

鹿児島県における数少ない放牧酪農の中でも、上床牧場は、昭和40年代から放牧酪農に取り組み、長年にわたり技術やノウハウを蓄積してきた九州における先進的事例である。

上床牧場の創立者である竹中氏は、実家が牛乳配達業を営んでいたため、幼少期から家業を手伝っていた。また、生まれ育った集落で牛が飼われていたこともあり、酪農には慣れ親しんでいた。そんな環境で育った竹中氏は、あるとき、スイスの放牧風景写真を見て、このような牧場を経営したいと憧れを抱き、それが放牧酪農を志したきっかけとなった。

中学卒業後の昭和30年、まずは酪農経営を学ぶため酪農の先進地であった北海道に渡り、有限会社金川牧場で実習を始めた。竹中氏が実習を始めた半年後、金川牧場創立者の金川幹司氏は酪農現場で知見を深めるため海外に留学してしまう。金川氏からは、「牛のことは牛から学べ、世の中のことは世の中から学べ」と教えられ、牛の世話をしながら酪農を体で覚えるうちに、もっと酪農を勉強したいという気持ちが芽生えた。実習のかたわら、通信教育を受けて、34年に酪農学園短期大学にやっとの思いで入学した。

酪農学園短期大学を卒業した36年、竹中氏は鹿児島県へ帰郷し、故郷で放牧酪農を始めるための土地を探し始めた。そんな中、役場に勤めていた知人から、吉松町(現湧水町)内にある戦後の開拓予定地が未開拓のまま残されている、という話を聞き、迷うことなく入植に手を挙げた。しかし、入植した土地は電気も水道もなく、自ら、4キロメートル程の水路を引き、牛を飼える環境を整えていった。39年に同士と親族とともに任意組合設立、41年には畜舎を建設し、子牛8頭を導入し、念願の牧場を開牧した(写真1)。

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しかし、開牧はしたものの数年が経過しても、電気も開通していなかったため、酪農とともに人生も一緒に歩んでくれるパートナー探しも苦労した。何度もお見合いを重ね、48年、千恵子さんという伴侶を得ることができた(写真2)。その後、49年には電話、50年に電気がようやく開通した。

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52年、法人の形態を農事組合法人に変更した。62年には、酪農を活気づけたいとの思いが評価され、鹿児島地方酪農業協同組合の組合長に選任され、地域の酪農を代表する顔となった。また、平成7年には旧吉松町議会議員となり、2期8年を務め、地域の活性化にも取り組んだ。

(2)経営概況

上床牧場は、鹿児島県湧水町の北東部、霧島山系栗野岳の山麓(標高600〜700メートル地点)に位置しており、隣接する陸上自衛隊演習場内で冬季に行われる年1回の野焼きと、上床牧場における牛の放牧により、広大な原野を維持している(図3)。また、霧島錦江湾国立公園とも隣接しており、周囲には極相林に達した原生林が広がっている。豊かで美しい自然と景観を残している日本有数の地域である。

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平成29年2月現在、上床牧場の飼養頭数は76頭で、うち搾乳牛は48頭、1頭当たりの平均乳量は7000〜8000キログラムである。竹中氏と妻の千恵子さん、長女の夫である海江田明大氏の3人で経営している。

上床牧場は、(一社)日本草地畜産種子協会による「放牧畜産実践牧場」の認証を受け、放牧畜産を実践する生産者が順守すべき基準をクリアしている。

上床牧場では、昼夜放牧を行っているが冬季は放牧だけでは飼料が足りないため、採草した牧草を畜舎で給餌している(写真3)。経営土地面積及び設備は表2のとおりである。

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上床牧場では経営方針として、長命連産性の高い牛づくりを目指している。乳量をほどほどに抑えて分娩の回転を良くし、牛の負担を減らすことで、乳牛の生産寿命を延長することができる。産次数を伸ばしながら、長期的に安定した生産を行うことが目標である。

4 上床牧場の放牧酪農の取り組み

(1)コスト低減や所得向上の取り組み

ア 周産期病の軽減

一般的な酪農家では、乳牛は分娩により周産期病を発症することが多く、その予防が重要な課題になっている。上床牧場では、放牧により牛のストレスが軽減されるため、低カルシウム血症や第四胃変位に代表される周産期病がほとんど発症しない。その結果、乳牛の生産寿命が長くなる。一般的な酪農家では、乳牛は3.4産程度で廃用となるが、現在、上床牧場では9産した牛が1頭、8産した牛が3頭いる。これらの牛は、まだまだ現役を続ける予定である。

イ 飼料代の軽減

上床牧場では、粗飼料は購入しておらず、すべて放牧または採草による自給飼料で賄っている。牧草はイタリアンライグラスまたはヒエをしゅしており、種子は鹿児島県酪農業協同組合を通じて購入し、種類にもよるが、10アール当たり500円〜2000円のコストに抑えている。粗飼料にかかる実支出は、粗飼料購入と比べればかなり安いものとなっている。

また、牧草のみでは搾乳牛には十分でないため、購入した濃厚飼料も補足的に給餌しているが、そのほか、地元で発生する焼酎かすやかんしょでん粉かすも利用することで、飼料全体のコスト軽減を図っている。

ウ 区分放牧による管理

平成27年から放牧地を3ヘクタール1区域として4区域に分割し、さらに1区域を電気柵で細分化し放牧している(写真4)。小牧区の放牧により、牧草の食べすぎを防止し、より細やかに牛の体調管理ができるようになった。また、広大な土地に牛を放すと、牛が牧草を踏み潰してしまうため、せっかく生えた牧草が無駄になる。これについても、小牧区に区分することにより、牛が区画の中の牧草をきれいに食べるようになり、牧草の無駄な消費を減らすことができるようになった。

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エ 作業の省力化

現在は海江田氏が主に乳牛の世話を担当している。海江田氏は朝6時半から3時間程度、搾乳作業を行う。昼は休憩を取りながら、飼養管理や牧草の手入れを行い、夕方5時から再び3時間程度、搾乳をして1日を終える。

朝夕に搾乳作業を行う点は、一般的な酪農と変わりないが、放牧により牛が自ら餌を食べられるため、給餌作業が比較的楽でボロ出しの作業がないこと、また、疾病が少ないため、飼養管理が楽であることから、作業の省力化が図られていると考えられる(写真5)。

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オ 付加価値をつけた生乳取引および加工品販売

昨年秋から、霧島市にある高級リゾート地である「天空の森」に自家製造分の生乳を出荷している。放牧による生産という付加価値が認められ、この生乳は一般よりもプレミアを付けた価格で取引されている。生乳は同リゾートでアイスクリームやバターに加工され、宿泊客に提供されている。

また、佐賀県の有限会社ミルン牧場へ委託し加工されたアイスクリームは、上床牧場敷地内で経営する観光牧場「アンの家」で販売している(写真6)。

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カ 低コスト畜舎の建設と技術提供

上床牧場は平成25年の育成舎の新設時に、近くの人工林で間伐された木材を安価で入手し、柱や屋根に利用することで、畜舎建設のコストを下げることに成功した(写真7)。

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湧水町では、近隣の酪農家同士の協力関係が維持されており、新規就農がしやすく、家族経営でも酪農を続けやすい環境が整っている。26年に湧水町で30年ぶりに西ノ村さん夫婦が酪農家として新規就農することになった際は、上床牧場が低コスト畜舎建設について技術提供を行うとともに、近隣の酪農家や関係者も廃材の運搬や乳牛の搬入の作業を手伝うなど、就農にかかる初期費用を抑えるサポートをしている(写真8)。

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(2)国土・景観の保全への貢献

ア 原生林の保護

放牧地の周囲には、タブノキやイスノキ、スダジイなどの照葉樹を主形成木とする原生林が広がっている(写真9)。30年程前に全国巨木(直径1メートル以上を巨木という)調査が行われ、約350本の巨木があり、大きいものでは6メートル以上のものが10本程度あることが確認されている。特に、タブノキの群落は日本に残された唯一の原生となっており、「ヤイロチョウ」という希少野生動物種も生息する豊かな自然が残されている(写真10)。

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竹中氏は昭和61年、この原生林の伐採計画への反対運動を契機に「吉松自然を考える会」を立ち上げ、農業生産だけではなく、国土保全などの農業の多面的機能を守る活動を始めた。

これらの活動により、原生林が守られたこの土地は、平成元年に、常緑広葉樹の遺伝資源を保護する目的で、九州森林管理局により「川添林木遺伝資源保存林」に設定され、現在は、鹿児島森林管理署の管理の下、伐採禁止の取り扱いとなっている。

イ 里地里山の維持

昭和30年頃まで、日本各地の農家は農耕用牛馬を飼育し、牧野では放牧して生活していた。牛馬の堆肥を利用し、草原の草を敷料や茅葺屋根の材料に、山の木を薪として利用することにより、人間と自然、牛馬との良好な関係が保たれていた。しかし、高度経済成長期になり、農耕用牛馬を機械に、堆肥を化成肥料に置き換えたことにより、それらの関係性が失われた。

しかし、上床牧場では、昭和40年代から放牧酪農を続けたことにより、自然と動物、人間との関係を維持してきた。また、「吉松自然を考える会」の活動により地域全体で、それらの理解を醸成してきた。それは環境省にも評価され、上床牧場一帯の吉松地域は、平成27年12月に、環境省により生物多様性保全上重要な里地里山(注1)に選定された。

(注1) 里地里山とは、原生的な自然と土地との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などの環境がモザイク状に存在し、多様な野生動植物が生育する空間のことを指す。      
里地里山では、農作業など人間の暮らしに伴う働きかけを通じて二次的自然環境が形成され、維持されてきたが、高齢化や過疎化による農村維持の限界、産業構造の変化により、里地里山の多くは損なわれつつある。その一方で、国土の保全、水源涵養、教育や福祉、芸術、観光などの文化の伝承といった多面的機能や、ふるさとの原風景、心の豊かさを育む場所として、近年、再評価されつつある。

(3)体験学習・地域交流の場の提供

ア 酪農教育ファーム

上床牧場は(一社)中央酪農会議による酪農教育ファーム認証農場(注2)に指定されていることから、毎年、湧水町の小学3年生の総合的学習の場として、自然を楽しみながら体験できる環境を提供している。子供たちは、フンコロガシの観察や森でのターザンごっこ、草原の散策、やまびこの体験など、力の限り遊ぶことができる。そのほか、採れたての生乳でバター作りやアイスクリーム作りの体験もあり、酪農と身近に触れ合うことができる。この取り組みは10年間続けており、近年では、竹中氏のお孫さんが保育園に入所したのをきっかけに、保育園児の受け入れも開始した。

また、地元の子供たちだけではなく、一般の方からの自然体験や牧場体験も受け入れている。

(注2) 酪農教育ファームとは、酪農家などが、主に学校や教育現場などと連携しながら、それぞれの牧場などが持つ多様な資源を活用して教育活動を行う牧場を指す。

イ 野草鑑賞会

竹中氏は、普段は放牧に携わっていない地域の住民にも自生する美しい野草を知ってもらいたいと、「吉松自然を考える会」で平成23年までの20回、放牧地近くのユウスゲの群落を鑑賞する「ユウスゲを観る夕べ」を開催した(写真11)。ユウスゲの群落が小さくなった24年以降は「秋の山野草を観る会」を開催し、地元の人たちの交流の場を提供することで地域の活性化と連携作りに貢献している。

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5 上床牧場における今後の展望

一般的に酪農はきつい仕事だというイメージがある。もちろん、竹中氏自身も苦しい時代を過ごしたこともあったが、放牧により自然と関わり共生してきたこと、また、問題に直面したとき、自ら考え道を切り開いてきたことは、その苦しさを上回る喜びや、生きがいを生み出してきた。

それに加えて、最近は、ニュージーランドの発達した酪農技術を習得することにより、労働環境の厳しさを改善したいという思いを抱いている。季節繁殖が中心のニュージーランドでは、乳牛の乾乳期をまとめることで、1ヶ月まとまった休みを取ることも可能となっている。日本においても、地域の現状を踏まえて、技術進歩により地域に合った労働環境を改善することで、後継者不足や新規就農者不足を解決する必要があるのではないか。

そのような信念を持ち、竹中氏は鹿児島大学名誉教授の萬田正治氏や酪農家、和牛農家を含むおよそ20人のメンバーで、平成27年7月に「かごしま放牧畜産を進める会」を発足した。同会では普及員とともに各地で放牧についての勉強会を行い、放牧技術の普及に努めている。

また、日本各地で失われた里山の風景を放牧により取り戻し、自然と動物、人間との良好な関係を再構築したいとの思いから、吉松地域で里山を維持してきた経験を生かして、里山再生についての活動も熱心に行っている。牛がゆったりと放牧され、人々が生き生きと暮らせる里山を再生させる可能性が、放牧酪農にはある。

放牧の技術発達により労働改善を図り、また、放牧酪農を行うことで地域の人や自然環境、そして自分自身にプラスとなる価値をもたらすことができる。酪農はきついというイメージを払拭し、自分が楽しめる酪農、人々が魅力を感じる酪農、そういう空気を作り出し、豊かな酪農として位置付けしたい。まだ開拓されていない放牧酪農の可能性を追求し続けていきたい、と竹中氏は話す。

6 まとめ

上床牧場では、粗飼料を自家栽培し、焼酎かすやでん粉かすを使うことで、飼料コストを抑えていた。加えて、放牧酪農を行うことで周産期病が発生しにくくなり、給餌作業時間も減ったため、飼養管理時間を削減していた。その一方で、放牧酪農という付加価値により、一部生乳が通常よりも高い価格で取引されていた。放牧酪農により、生産コストを抑え、所得向上を図ることにより、酪農経営の安定化に取り組んでいた。

また、放牧地周辺の環境を保護し、自然と共生しながら放牧酪農を営むことで、美しい農村の景観を維持するだけではなく、酪農教育ファームや「吉松自然を考える会」のイベントを通して、湧水町の美しい里山の風景を地元住民に広めることで、地域が一体となり、農業や自然の大切さに対する理解が醸成されていた。これは、放牧酪農を行うことで、農業の多面的機能がうまく発揮された事例である。

スイスの放牧風景に憧れた竹中氏は、放牧酪農を学び、試行錯誤を繰り返して経営を確立させた。それと同時に、周囲の自然との共生、地域の人とのつながりを、放牧とともに育んでいった。竹中氏は、九州における放牧酪農の礎を築き、わたしたちに、酪農の楽しさと魅力を伝えてくれる。放牧酪農の経営見本となり、自分が楽しむ酪農、人々が憧れる酪農を作り、酪農の魅力を発信すること、それは、後継者不足に歯止めをかけ、新規就農への大きな道標として酪農の基盤強化の一助となると考えられる。

最後に、今回の取材に快く応じてくださった農事組合法人上床酪農組合の竹中勝雄氏、竹中千恵子氏、海江田明大氏、多大なるご協力をいただきました鹿児島県酪農業協同組合の中馬博六氏、北之園修氏、(公社)鹿児島県畜産協会の鳥越辰朗氏に心より感謝申し上げます。


【参考・引用文献等】

〔1〕農林水産省「生産農業所得統計」平成27年

〔2〕農林水産省「畜産統計」平成28年2月1日現在

〔3〕環境省自然環境局ホームページ「里地里山の保全・活用」


				

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