海外情報 畜産の情報 2017年11月号
調査情報部 国際調査グループ
スイスの農家所得の6割は、景観や環境の保全などに対する補助金が占める。酪農についても、その有する多面的な機能に対する対価が政府から支払われているが、一方で市民の農産物に対する価格低下圧力は強く、生産者の効率化への努力は途切れることがない。
1 はじめに |
スイスは、西をフランス、北をドイツ、東をオーストリアとリヒテンシュタイン、そして南をイタリアに囲まれる内陸国で、人口840万人程の小国である(図1)。
国土面積が九州程度と小さい上に、その6割はアルプスに代表される山間部となり、3割を占める高原地帯に都市が存在している。
主な産業は商工業であるため、農業がGDPに占める割合は0.7%にすぎないが、そのうち酪農は農業のうち最大となる23%の生産高を占め、山間部に見られる乳牛の姿は風景の一部に溶け込んでおり、牛乳乳製品はスイス人の食文化において重要な位置付けとなっている。
しかしながら、酪農は、いわゆる条件不利地と呼ばれる山間部で小規模な家族経営により行われる形態が多いことからコストが高く競争力がない。
スイスは、商工業国として自由主義経済を標榜し、貿易の恩恵を受けてきたが、日本と同様に、農業は保護の対象とされてきた。EU諸国に囲まれているという立地から、比較的安価なEU産品が国内市場へ流入したり、食料品については高い衛生水準や安心感から国産品志向は高いという調査結果はあるものの、容易に近隣諸国まで出かけて安価な商品を買える環境にあることから、国民の国産品に対する価格低下圧力は強い。
スイスは、周囲をEU諸国に囲まれながらもEUに加盟せずに、独自の農業政策を行っている。
物価が高く、規模拡大の難しい環境など日本と似たような条件を抱えるスイス酪農の実態を報告する。
なお、本稿中の為替レートは、1スイスフラン(=100ラッペン)=117円(9月末日TTS相場:117.04円)、1ユーロ=134円(同134.35円)を使用した。
2 酪農の概要と牛乳乳製品の需給動向 |
生乳生産は、26の州(カントン)全てで行われているが、国土を北と南に二分すると、南部は2000〜4000メートル級の山が連なる地域であることから、比較的生産量は少ない(図2)。ただし、ラクレットチーズで有名な南西部のヴァレー州のように、南部においても山岳酪農が盛んな地域もある。
経産牛飼養頭数はキャトルサイクルによる増減はあるものの減少傾向にあり、2016年は前年比1.7%減の53万7528頭となった。これは、2004年と比較すると8.5%の減少となる(図3)。
酪農家戸数は減少傾向にあり、2016年は前年比3.5%減の2万1090戸となり、1996年から20年間で52.5%と大きく減少している(図4)。
2009年4月末での生乳クオータ制度廃止と重なるように乳価が暴落し、酪農家の多くは厳しい経営状況に追い込まれたが、戸数の減少傾向に特段の変化は見られなかった。
山間部と平野部の戸数の割合は、2016年は山間部が47%、平野部は53%となった。1996年はそれぞれ42%と58%であり、平野部の方が減少率は高い。なお、平野部とは、丘陵部を含む平地で、山間部とは、それ以外の急峻な傾斜地の山岳部などの条件不利地であり、地形のみならず気候条件、インフラの整備状況、過去の農業生産の実績などに基づいて連邦政府が毎年定めている。
酪農家1戸当たりの平均経産牛飼養頭数は、2016年に25.2頭と日本の51.2頭(畜産統計)の半分と小さい(図5)。しかしながら、2004年の同17.8頭から41.6%増となるなど酪農家の離農に伴い規模拡大は着実に進行している。
スイスでは、放牧酪農が主体であるため、規模は頭数ではなく農地面積(牧草地を含む)で表されている。離農による農地の集積は進んでおり、平均農地面積は増加傾向にある。2016年の平均農地面積は、前年比2.0%増の26.1ヘクタールとなり、1996年からの20年間で36.1%と大幅に増加している(図6)。
生乳出荷量は2009年までは、生乳クオータ制度に合わせて推移した。クオータ撤廃後の2009年以降は1頭当たり乳量の増加により拡大したものの、2015年以降は、乳価低迷を受けて生産者が生産を抑えたことから、2年連続で減少し、2016年は前年比1.6%減の331万866トンとなった(図7)。
2016年の生乳出荷量の山間部と平野部の割合は、それぞれ32.4%と67.6%となっており、20年間ほぼ変わっていない。
経産牛1頭当たりの乳量は、乳量の多い品種の導入、遺伝的改良、飼料の改善などにより2005年から2011年にかけて、ほぼ年率1〜2%で増加した後、横ばいで推移しており、2016年は前年比2.5%増の6171キログラムとなった(図8)。
スイスの乳価は、EUの乳価を1キログラム当たり20〜30ラッペン(23.4〜35.1円)上回って推移している(図9)。
2004年以降、2007年までは下落傾向で推移し、2008年には、原油価格の高騰などにより穀物価格が急騰し、世界的な食料価格高騰に見舞われる中、強い国際需要に支えられて、同年9月には84.3ラッペン(98.6円)まで大きく上昇した。2009年4月末の生乳クオータ制度廃止に向けてクオータが引き上げられて増産体制にある中、この乳価の上昇が酪農家の増産気運を後押しした。しかし、世界金融危機に端を発する需要の減退によって生乳は過剰供給となり、2009年に暴落し、2012年まで低迷した。2013〜2014年は世界的に乳製品需要が高まり、70ラッペン(81.9円)前後まで上昇したものの、2015年は再び60ラッペン(70.2円)近くまで下落した。これは、EUが2015年3月末の生乳クオータ制度廃止を見込んで増産したことや、2014年8月のロシアの禁輸措置などによる乳製品の需給緩和が起因したものと見られる。2016年も前年比2.0%安の60.6ラッペン(70.9円)と低下したが、2017年は減産による上昇が見込まれている。
なお、スイスはロシアの禁輸措置の対象国ではなかったため、ロシア向けのチーズ輸出量は禁輸措置後に2〜3倍に増えたものの、そもそも全輸出量の2%程度でしかないことから、プラスの側面よりも乳製品の国際需給の緩和というマイナス面の影響の方が強かった。
2009年の乳価暴落を受けて2011年1月から、生乳市場の安定化を図るため、Branchenorganisation Milch(以下「BOM」という)が、毎月、用途別の指標乳価を決定し、それに基づいて生産者と乳業で取引乳価を決定することとなった。
BOMは、全国・地方レベルの生産者団体、加工業者、小売事業者などが加入しており、酪農・乳業の発展のためにプロモーション、付加価値の創造、マーケットシェアの維持拡大のために活動する川上から川下まで垂直的に連携した団体である。
指標乳価は、3つの仕向け先市場別に、それぞれの市場価格を反映し設定されている。
Aミルク:国内市場の牛乳乳製品向け生乳
Bミルク:EU市場の乳製品向け生乳
Cミルク:国内およびEU以外の市場の乳製品向け生乳
また、国内市場向け生乳を確保するとともに、生産者に妥当な乳価を保証するため、Aミルクの仕向け割合は60%以上とされている。
なお、2016年の生乳の3区分への仕向け割合は、Aミルク83.0%、Bミルク14.5%、Cミルク2.5%となっており、スイス牛乳生産者中央会が集計を始めた2014年以降、割合はほぼ変わっていない。
連邦農業局は、生産者団体、乳業、チーズ製造業者などから聞き取り調査を行って、A、BおよびCミルクの実際の取引価格(実績乳価)を公表している。全生乳出荷量の約7割がこの調査の対象となっている(図10)。
A、B、Cミルクの価格は市場別の総合乳価であるが、おのおのにおいて加工用途別乳価があり、その実績価格については連邦農業局が、生乳の主な第一次購入者から聞き取り調査を行っている。
2016年の加工用途別乳価のうち最も低価格なのは、チーズ加工以外に仕向けられる通常の生乳で、前年比で最も下落(同4.5%安、同2.57ラッペン(3.0円)安)し、1キログラム当たり54.5ラッペン(63.8円)であった(図11)。
一方、有機用、伝統的なチーズ加工用などは、消費者の需要により通常の乳価に比べて高い。最も高価格なのは有機生乳で、同1.0%高の78.3ラッペン(91.6円)と唯一前年を上回った。次いで高いのは、伝統的チーズ生産向けの生乳で、同2.6%安の同71.3ラッペン(83.4円)であった。
乳価は、地域によって区分されている(図12)。2016年は、フランス国境に近い図12の地域TおよびXが、伝統的な手作りチーズ生産が盛んであることから、全国平均を上回り、それぞれ68.0ラッペン(79.6円)、68.9ラッペン(80.6円)であった。その他の地域は、全国平均を下回った。
地域Tは、12世紀頃から、グリュイエール村を原産地として作られているスイスを代表するグリュイエールチーズが生産されており、地域別に伝統的なチーズ加工用乳価を見ても、最も高い(83.1ラッペン(97.2円))。一方、エメンタールチーズを生産する地域Uの同乳価は最も低い(63.6ラッペン(74.4円))。これは、それぞれのブランドチーズの価格が反映されるためである。なお、チーズ加工以外に仕向けられる通常の生乳の価格の地域差はほとんど見られない。
2016年の生乳の仕向け先割合は、チーズ向けが最大で42.2%であり、この割合の高さがスイス酪農の特徴と言える(図13)。次いでバターが16.0%、飲用牛乳向けが11.3%であった。
3 スイスの酪農政策と補助制度 |
スイスの酪農家は、全農家の4割を占め、酪農は同国の主要な農業と位置付けられている。過去2度の世界大戦で食糧難に見舞われた反省から、食料自給率向上のために保護的な農業政策をとってきた。90年代になると諸外国からの批判も高まり、競争原理に基づく改革を段階的に実施しているものの、国内農業を維持するため、国境措置などに加えて手厚い直接支払いを行っており、農業所得に占める補助金の割合は、6割超とEU平均の約4割を上回る高水準にある(図14)。
スイスでは、1993年から段階的な農政改革が始まった。酪農についても段階的に、直接支払いの導入、生乳クオータ制度の廃止、加工原料乳補給金の一部廃止などが行われてきた(表)。
一方、現時点においても、生乳や穀物を原料とした農産加工品に対する輸出補助金が2020年末までの廃止が決定されているものの温存され、粉乳やヨーグルトは高い関税に守られている。生乳クオータ制度については1977年、保護的農業政策の下、生乳生産が過剰となったことから導入された。同制度は、連邦政府が各酪農家に生産割当(クオータ)を設定し、クオータを超過して生産した酪農家には罰則を課す一方、クオータ内の生産には乳価を保証した。
しかしながら連邦政府は2003年6月、周辺諸国からスイスの手厚い農業保護政策に批判が集まるようになる中、国内酪農の競争力強化、 国際乳製品市場における需要拡大、市場の動向に根差した柔軟な生乳生産と配乳などを目的に、同制度の2009年4月末での廃止を決定した。
連邦政府は、制度廃止までの移行措置として、2006年5月1日〜2009年4月30日の間、生乳クオータは暫定的に設立された生産者組織(PO)と生産者・乳業者組織(PPO)が一括して管理し、需要に応じて生乳クオータを増やすことができることとした。
また、生乳クオータ廃止後は、生産者と乳業者は、1年以上の取引を定めた生乳購入契約を締結することを義務付けた。
2017年現在、牛乳乳製品市場は、イエローラインと呼ばれる関税撤廃されたチーズと、ホワイトラインと呼ばれる高い関税で保護された粉乳やヨーグルトなどの乳製品の2つに区分される。国内乳価は、ホワイトラインに対する国境措置による効果に加えて、乳製品の含まれたチョコレートやビスケットなどに係る輸出補助金およびイエローラインに対する加工原料乳補給金により、EUより1キログラム当たり20ラッペン(23.4円)程度高く維持されている。一方、酪農家に対しては、直接支払いによる支援が行われている。
2018年から4年間の次期農業政策では、以下の3点を優先事項に挙げているが、現行の政策からの大きな変更はない。
(1) 生産者の企業家精神の育成
(2) 国際市場(国内での輸入品との競合を含む)での競争力強化
(3) 持続性のある資源の活用と生産方法の推進
今後の競争力強化は、ホワイトラインの関税の削減が課題となる。しかしながら、スイスの酪農は、高い労働費や農機具費などの高コスト構造となっており、国内市場においても輸入品との競合から、生き残るためにはコスト削減に加えて、差別化し、輸出機会を模索することが必要となる。そのため、連邦政府は、次期農業政策(2018〜21年)において、乳製品を含む農産品の競争力強化に向けて、関税削減による価格低下に伴う収入減を直接支払いで補う方向性を示し、新たな自由貿易協定締結により輸出機会を創出することとしている。
2015年12月のWTO閣僚会議の決議に基づき、ホワイトライン向けの補助金のうち、チョコレートやビスケットなどチョコレート法に基づく農産加工品の輸出補助金については、2020年末までに廃止される約束となっている。連邦政府は2017年5月、その対策として牛乳とパン用穀物を対象とした新たな生産者直接支払の2019年1月からの施行を目指すことを公表した。連邦政府は、年6790万スイスフラン(79億4430万円)を予算措置し、財源として、輸出補助金に充てられていた予算を充当するとしている。
これに対し、スイス農業生産者連盟などは、現行の輸出補助金の予算額から3割近く減額されていることを批判している。また、低価格で製品を輸出してきた事業者も新制度に反発している。
このように、連邦政府はホワイトライン市場の自由化により、競争力の維持・強化を目指しているが、業界との温度差があり、対策は思うように進んでいない。
連邦政府は、2022年以降の農業政策の方向性については、国内外の市場における農業の競争力を強化し、天然資源の効率的利用、農業経営者の経営力のさらなる向上を目指すとしている。
2017年6月9日に実施した2022年以降の農産物市場の自由化に関する検討では、自由化によって他国・地域との自由貿易協定が結びやすくなり、輸出の拡大が見込まれ、消費者の負担軽減が図られることなどから、これをさらに進めることが政府の基本スタンスとされた。2017年秋には「農業政策の中期的進展の状況」を公表し、それに基づいて2022年以降の予算規模などを設定するとしている。
コラム1 スイスの乳製品消費事情
連邦政府が2017年4月に発表した報告書によると、2015年にスイス国民が国外で購入した商品の総額は約110億スイスフラン(1兆2870億円)に上り、国内の小売売上総額の1割に相当する。また、食品は国外の購入総額の15%、乳製品は同2.7%を占めた。国外での乳製品の購入額は、国内の乳製品販売額の約13%に相当する。
国内ではディスカウントストアが増加しており、国外での購買増加は、スイス国民がより安さを求める傾向を示すものと考えられる。
ちなみにスイスにおける2大小売店の一つであるコープと、フランスの大型小売店ルクレールの価格を比較した(2017年7月)ところ、スイスの乳製品の小売価格は、フランスのほぼ2倍であった。
一方、スイス国民の40〜45%は国産あるいは地域産を購入する傾向があることを示す調査もある。80%の消費者は、卵、果物、野菜、肉、乳製品などの生鮮食品は地元産を重視すると回答している。そのため、地域産ブランドの商品も多い。
また、持続性の高い環境に配慮した食品を重視する消費傾向は、小売の売上傾向にも表れている。2015年のミグロおよびコープの同分野における総売り上げは、2011年比で20.3%増(年平均で5.1%増)となった。両者の商品における持続性の高い環境に配慮した食品の割合は9.5%で、2011年に比べ1.2ポイント増となっている。
さらに、有機食品の市場規模は拡大を続け、2015年には食品全体に占める割合は7.7%(乳製品は9.4%)となり、売上は2兆3230億スイスフラン(27兆1791億円)となり過去最高を記録した。国民1人当たりの有機食品の年間消費額は262ユーロ(3万5108円)で、世界的に突出している(図)。
4 競争力強化の取り組み |
連邦政府は、酪農の競争力強化のためには、以下の3つの要素が不可欠としている。
(1)差別化
スイスの乳製品は、優れた品質、世界トップレベルのアニマルウェルフェアなどの高付加価値により差別化を図ることができる。スイスの消費者は、環境に配慮した持続性の高い商品、国(地域)産、自然(添加物の低減)への志向が強く、高付加価値を重視する傾向がある。ただし、生乳は原料であり、高付加価値化の効果は限定的であるため、乳製品にどのような付加価値を付けられるのか生産・加工・小売の各事業者が連携して検討する必要がある。
(2)効率化
スイスの酪農・乳業は、高い労賃、土地代、中間コストのため大規模化が難しく、小規模となっている。このため、適切な技術の導入、経営コスト管理、流通の合理化などの効率化を進めて収益を向上させる必要がある。
(3)市場アクセスの拡大
貿易の自由化は、国内の乳業にとって不利益となる点もあるが、市場アクセスの拡大により、さらなる輸出が可能となる。
一方、スイス生乳生産者中央会は、酪農家が抱えている課題として以下の点を指摘している。
・低い乳価と高い生産コストにより、都市労働者の低賃金とされる水準を3〜4割下回る酪農の賃金
・アニマルウェルフェアや環境への配慮における消費者の高い要求水準
・スイスフランの対ユーロの暴騰による輸出の困難性
これらの課題を克服するため、すべてのステークホルダーとのコミュニケーションの強化、新たなマーケティング、規模拡大に対する支援が必要とし、そのためには、生産者に対する専門教育、新たなマーケティング、法的環境の整備が必要であるとしている。
また、伝統的な家族経営、世界トップレベルのアニマルウェルフェア、自給飼料による放牧酪農、手作りによるチーズ製造、高品質なイメージといった特徴を付加価値として全面に押し出し、国内外の牛乳乳製品のマーケティングにおいて活用していく必要があると指摘している。
そのためには、共通のビジョンや戦略を酪農・乳業界全体で検討する必要があるとし、価格競争力が限られる中、差別化が成功の鍵となり、スイス乳製品の付加価値を高く評価し、相応の価格で購入する顧客層をターゲットとすべきであるとした。
コラム2 スイスの酪農家を訪問して
スイスの酪農家を2件訪問した。スイスの酪農は山岳酪農、平野部での酪農など多様であるが、平野部の酪農家2名の訪問からスイス酪農の課題を考える。
(1)マイヤー農場(ツーク州)
1件目は、チューリッヒ州の南に隣接するツーク州の酪農家マイヤー氏を訪ねた。
マイヤー氏は曽祖父の代からの4代目であり、経産牛頭数は30頭と全国平均をやや上回るものの、ほぼ平均的な年間150トン(1頭当たり5000キログラム)を生産者団体のムー(Mooh)に出荷している。ムーは、中部・東部の約4000戸の酪農家を会員に持つ生産者団体であり、会員の生産した生乳を集荷・販売する。
飼養する乳牛はブラウンスイス種に加えて、数年前にジャージー種を1頭導入し、少しずつ増やしている。ただし、特段の戦略があってジャージー種を増やしているわけではなく、子供がジャージー種を好きだからという理由であり、2品種の生乳は合わせて出荷している。
種付けは人工授精で対応している。これにより96%の確率で雌雄産み分けができるが、後継牛以外は子牛肉用として出荷するため、優良な肉牛の精子の場合は雄を希望している。
出荷用の子牛は、母乳または代用乳のみを与えて5〜6カ月で240キログラム程度にまで仕上げる。後継牛は18カ月齢程度で種付けし、5月下旬から9月中旬ころまで100日程度、業者に預託してアルプスに放牧する。預託業者には、1頭1日当たり2.2スイスフラン(257円)を支払う。業者は100〜120頭程度の育成牛を複数の生産者から集めている。
マイヤー氏の経営では、損益分岐点の乳価は1キログラム当たり60ラッペン(70.2円)というが、2016年は同55〜57ラッペン(64.4〜66.7円)で赤字であった。現在(2017年9月)は60ラッペン(70.2円)であるが、季節変動で年末に向けて下落することから、再び赤字経営になるという。
この赤字経営を支えているのは、副業のペンション経営であり、ペンション経営があるから酪農業を営むことができるとのことである。
労働力はマイヤー氏の1名で、2014年にフリーストール・ミルキングパーラーを導入後、労働はかなり軽減されたという。父親からの継承時や、牛舎改築時に銀行から融資を受けているが、収入が補助要件を満たしていなかったため政府の利子補給制度の補助金は受給していない。
マイヤー氏の4人の子どもは全員成人しているが酪農を継承するかは未定である。
(2)ヒュブシャー農場(チューリッヒ州)
2件目は、チューリッヒ州北東部のトゥールガウ州との州境で酪農を営むヒュブシャー氏を訪ねた。同氏は1998年に新規就農した。25ヘクタールの農地で経産牛25頭のブラウンスイス種から始めて、現在は55ヘクタールで75頭にまで拡大している。
農地のうち32ヘクタールを使って牧草、トウモロコシ、小麦、豆、大麦を輪作している。飼料は、政府系農業研究機関であるアグロスコープと共同で14種類を試して、最も適したものを選択した。また、アグロスコープが開発した経営分析ツールを使って低投入・高出力の経営改善に成功し、放牧主体でありながら1頭当たり8500キログラムの乳量を達成している。
後継牛以外の子牛は1カ月齢で育成業者に引き渡し、5カ月齢以上の後継牛は、夏は預託してアルプスに放牧している。
労働力は夫妻に加えて1名の従業員を雇用し、さらに職業訓練学校の生徒2名を研修生として受け入れている。
ヒュブシャー氏は、年間600トンの生乳を生産者団体ムーに出荷している。ムーとの契約は、3〜5月の出荷量は1カ月当たり48トンまでとされており、超過分には契約乳価の1割というペナルティが課される。7〜10月の需要期には1カ月当たり最低48トンの出荷が求められ、不足分にはペナルティが課される。6月と11月〜2月は、生産した全量を契約乳価で引き渡す。
なお、ペナルティは、生産者単位ではなく、ムーが集荷した生乳全体で過不足が生じた場合にのみ該当する生産者に課される。
このように生乳クオータ制度の廃止後であっても、酪農家は上限なしに生産できる契約にはなっていない。
契約乳価は、生乳の仕向け割合の予測に基づきムーが決定するが、同氏はムーの役員でもあることから生産者受取乳価の決定に関与していると言う。ムーとの契約期間は1年で、ムーまたは生産者のいずれか一方から半年前に契約破棄の通告がない限り自動的に更新される。
同氏の経営分析ツールを使った経営改善は優良事例として、スイス中部・東部酪農連合の会報誌に取り上げられている。研究熱心で結果を出しているが、酪農経営は脆弱であると言い、農地の3ヘクタールはリンゴの果樹園として年間90トンのリンゴを出荷し、収入源にしているという。
(3)考察
スイスの農業生産者の所得に占める補助金の割合は6割を超えるが、今回訪問した両者とも10〜15%程度であるという。両者とも主な補助金は直接支払いになるが、平野部で景観維持などの支払いが少ないためと考えられる。
前者の経営には改善の余地があると思われるが、後者はスイス平均の3倍、オランダ並みの規模を有し、効率的な生産にも余念がなく結果を出している。それにもかかわらず厳しい経営を強いられているのは、乳価が低いためと言える。
常にEU産乳製品と比較された価格圧力は、2009年7月からのEU産チーズの関税撤廃によりさらに強まっている。構造的な高コスト体系にあるにもかかわらず、スイスの乳価に対する価格低下圧力は強く、酪農家の経営効率化の追求にゴールは見えない。
一方、条件不利地の山岳酪農における所得に占める補助金の割合は、全国平均の6割を大きく上回るものと考えられる。2016年の平野部の酪農家の戸数は2000年比で51.4%減となっているのに対し、山間部の酪農家は41.2%減と減少率が低い。補助金が手厚い分、合理化が進んでいないものと考えられる。
5 おわりに |
スイスは、国土面積、人口、経済規模(GDP)が日本の10分の1前後となる小国であるが、世界有数の先進工業国として、世界貿易の恩恵を享受してきた。ただし、農業は競争力が低いことから保護の対象とされてきたものの、金融・商工業で経済を潤すスイスにおいてその大きな恩恵を被る世界貿易で農業を別枠にし続けるわけにはいかず、農業の競争力強化に向けた農業改革が順次行われてきた。
スイスはEUより早く生乳クオータ制度を導入し、制度廃止もEUより6年早いなど先進的な取り組みを行ってきた国であるが、生産の合理化についてはEUに後れを取り、EUとの価格差を埋めようと努力しているもののなかなか差は縮まらない。隣町に行くように国境を越えられる地域では、乳製品が半額で手に入るために越境買い出しが行われるなど、この価格差に対するスイス国民の厳しい圧力がある。物価の高いスイスでは生産者の努力を超える範囲のものも少なくないが、効率的な経営に向けた不断の努力を止めることはできない。
しかしながら、山岳地を多く有するスイスの酪農は特別な意味を有する。食料供給という面だけではなく、国土の保全と有効活用、分散的な居住も重要である。また、観光立国でもあるスイスでは山間の景観保持といった役割も提供している。これらに対する対価が補助金として酪農家に支払われることにスイス国民も納得している。そして、その方法としては世界的に認められているマーケットを乱さない直接支払いが講じられている。
もちろん酪農家のすべてが山間部に存在するわけではなく、半分以上は平野部で営んでおり、彼らに対する補助金は少なく、厳しい経営が強いられている。
コラムで紹介したようにスイスには政府機関が開発した経営分析ツールがあり、普及度は必ずしも高くないようだが、経営改善のために自分の経営の現状分析をすることは必要であり、特に客観的な指標は有用である。酪農家が自ら経営分析に取り組むため、経営分析ツールの普及が望まれる。
スイスの酪農は家族経営の小規模生産者が主体で、国土に占める山岳地帯の比率が高く、減少する酪農経営者数、乳製品の高い関税水準など日本と共通する点も多く見られる。そのような中、自由貿易の推進、適切な農業保護、消費者への適切な価格での食料品の提供といった困難な命題に取り組むスイスの酪農から参考となるものはあると考えられる。
(中野 貴史(JETROブリュッセル))