調査・報告 専門調査   畜産の情報 2017年10月号


井信行氏の牛肉の生産哲学と阿蘇の畜産への展望
〜褐毛和種やジャージー種牛肉生産への道〜

鹿児島大学 学術研究院・農水産獣医学域 農学系 教授(九州大学 客員教授) 後藤 貴文



【要約】

 近年、長く続いた霜降り牛肉一辺倒の時代から赤身肉をも含む牛肉多様性の時代へと変わろうとしている。また、牛肉生産農家の多くが40%以上もの脂肪をロース芯に蓄積させる必要はないと考え、消費者もタンパク質をたっぷりと食べて、赤身肉を楽しむ文化が広まろうとしている。一方、地域農業は、過疎化から農家が減り、地域文化を維持できなくなろうとしている。その中で、熊本県阿蘇郡で畜産を営む井信行氏は、国産飼料100%にこだわり、褐毛和種の繁殖と肥育を進め、その牛肉は、手作り感満載で” 信行牛“として、人気を高めつつある。井信行氏の独自の取り組みを紹介することで、これからの日本における牛肉生産の道筋を考える。

1 はじめに

霜降り肉が全盛であった日本の牛肉文化が明らかに変わってきた。それは、焼肉といった小片にした牛肉の食べ方から、ステーキといった肉塊、それもこれまでの100〜200グラムではなく、300〜400グラムといったレベルでの本来の赤身肉を楽しむという形で徐々に広まりつつある。店頭で、ロース芯を切り、ステーキを食べさせるチェーン展開をする店も出てきた。すき焼きや焼肉から牛肉の食べ方が変わろうとしている。厚切りの赤身肉は、塩と胡椒、あるいは少しのタレで、肉(赤身)の味を楽しみながら食べることができる。また、昨今健康志向の高まりから、脂肪の多い軟らかい肉より、タンパク質の多い肉を、たくさん食べるという形がトレンドとなりつつある。予防医学の医師たちも、病気を予防する食材として赤身肉や牧草牛に注目している。しかしながら、そのようなマーケットに使用される牛肉は、USビーフやニュージーランドビーフ、オージービーフが主流であり、日本には安定的にそのような肉を提供できる生産体系やマーケットがつくられていない。日本にも比較的霜降りの少ない牛肉もあるが、コスト的に海外の牛肉よりも高く、外食産業で一般に使用されるには、難しい状況がある。そのような日本で、地域の資源を活用しながら褐毛和種とジャージー種を低コストで、おいしい牛肉として生産している農家がいる。熊本県阿蘇郡在住ののぶゆき氏である(写真1)。今回は、井氏の生産する牛肉について紹介したい。

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2 井信行氏の生産する牛肉

九州の中央部には、高原地帯に広大な草原を誇る阿蘇くじゅう国立公園がある。以前は、阿蘇の草原は、夏山冬里方式で、1万5000ヘクタールとも言われる阿蘇の草原をウシとヒトが維持してきた。この地域では、歴史的に、特に放牧に向くとされる和牛の一種、あかしゅを中心に飼養が展開されてきた。熊本県阿蘇郡産山村は、大分県との県境の標高約500〜1050メートルに位置する。今回、紹介する井氏は、そこで生まれ、長年ウシを飼ってきた。昭和10年(1935年)生まれの現在82歳、ますます牛飼いに命を注いでる。牛肉生産において、国産100%の飼料にこだわり、また地域の草にもこだわっており、現代の飼い方からすると、“濃厚飼料の使用が薄い”飼い方である。畜産の情報2016年12月号に掲載した田中畜産の田中一馬氏と同様、自分の哲学を持ち、ウシをしっかり見て、ウシと対話しながら、現在も試行錯誤の肥育を行っている。もともと繁殖農家であったが、現在では、肥育を手掛ける井信行氏の生産する牛肉は、信行牛という自らの名前のついたブランドとして販売される、牛肉の世界では知る人ぞ知る牛肉である。信行牛の牛肉は、霜降り度の高い牛肉ではないが、おいしいと評判が高い(写真2)。

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井信行氏は、平成28年(2016年)に第7回辻静雄食文化賞を受賞た。その受賞理由は、“阿蘇の草資源と水資源を活用した循環型畜産を実践し、地域ぐるみで自然環境を維持しながら持続的な生産活動を行っており、国産飼料による畜産の先進的実践例として注目に値し、その取り組みを主導した功績”が高く評価されたためだ。しかし、ここにるまでに阿蘇における井信行牛の生産には、長い道のりがあった。

井信行氏が子供のころ、阿蘇では、やはり稲作の時代、田んぼをたくさん持つ農家が強い力をもっていた。井信行氏は、大工であった父親を早くに亡くした。母親は朝から晩まで農業を営むが、コメ作りでは、生活は苦しかった。井信行氏は、中学を卒業後、ウシの世界に向かった。昭和30年代、農業機械の発達により、ウシは役牛としての役割を終えつつあり、食用、すなわち肉用としての時代が到来しようとしていた。水田の土地を手に入れるのは難しかったが、放牧地は、共同牧野で、誰でもウシを入牧することができた。井信行氏は、褐毛和種の繁殖農家となった。また、当時、LPガスが普及し始め、井信行氏の住む産山村でも需要が増えつつあった。井信行氏は、いち早くLPガス販売の免許を取得し、販売店を始め、その収入で原野も購入した。

3 繁殖農家から始まった牛飼い

井信行氏は、昭和63年(1988年)に子牛の販売で、阿蘇郡で一番となる。繁殖農家は、繁殖成績を上げなければならない。最近は、産山村も過疎化が進んでいる。ヒトが減ると土地が荒れる。井信行氏は、100ヘクタールの放牧地で発情のチェックをするための当番をやったことがある。当番は、夕方、特に雨風が強い日は、発情を見つけても、そこから人工授精をするのが面倒なため、ついつい見過ごしてしまう場合が多くなる。これでは、繁殖成績は上がらない。井信行氏は、クラクションを鳴らして放牧地のウシたちを集め毎日発情を確認した。繁殖率は98%となり、阿蘇郡で一番となった。井信行氏が当時計算すると、繁殖率が90%であれば、子牛が25万円でしか売れなくてももうかる。繁殖率が70%であれば35万円で売れないともうけがでなかったということだ。さらに雄牛を雌牛とともに牧牛、いわゆる自然交配に任せれば省力化になる。その場合は、熊本県の2番手の種牛で十分だと考えている。IT技術などで管理できれば、もっと楽になるだろう。子牛が高く販売できるのはよいが、まずは繁殖成績がよくなることでコストが低くなる。井信行氏は、これが大事だと言う。この業績が評価され、井信行氏は、昭和63年(1988年)に農林水産大臣賞を受賞た。

4 井信行氏の肥育への道

井信行氏は、規模拡大のための牛舎を建て、牧草地用原野を購入した。その後、平成7年(1995年)ころから肥育も開始した。井信行氏、60歳からの挑戦であった。同時に低農薬米の栽培にも着手した。それは、ウシに与える飼料の米ぬかの基盤にもなっている。井信行氏は、平成9年(1997年)に牛肉直販組織「さわやかビーフ生産組合」を設立した。井信行氏は、その頃から「日本人の嗜好は将来、赤身の時代になる。霜降りはたまに食べるからおいしいのであって、日本人が本格的に牛肉を食べるようになればなるほど、きっと健康的な牛肉を求めるようになる」と思っていた。

阿蘇の地域も徐々に住むヒトが少なくなってきた。昨今、農業の大規模化が叫ばれるが、個人農家が少なくなると、村組織の存続が厳しくなる。日本に大きな平野は少なく、傾斜もきつい場所が多い。そのような中で、大規模化は難しく、小規模な一軒一軒の農家が必要である。また、野焼きなどによる田舎での山や草原の管理は、ボランティアのビジターではできない。しっかりとその土地に根差し、幼い頃からの人間関係や、一種の勘を備えなければならない。一方で、その小規模な農家がしっかりと暮らしていける経営も必要である。現代は、少数頭のウシで営む個人農家が減り、大型の企業畜産農家へと急速に変えようとしている。井信行氏はこれでよいのかと思っている。井信行氏は、原点に返り、村にあるものを生かし、昔ながらの農業をやってみた。

井信行氏は、現在肥育牛として褐毛和種を20頭(うち17〜18頭が去勢、2〜3頭が雌)、ジャージー種の雌を4頭(取材当時)およびブラウンスイス種を1頭(取材当時)飼養している。また、繁殖牛経営も行っており、褐毛和種(17〜18頭)および黒毛和種(7〜8頭)を飼養している。

肥育牛の出荷は年間16〜17頭のペースであり、その多くは後述する荻澤氏を通じて“信行牛”ブランドを扱いたいレストランなどに販売される。放牧用の原野として20ヘクタールを所有し、2ヘクタールの水田を経営している。最近、地元の上田尻牧野組合の放牧地を一部借りて、放牧肥育も開始している。これらの経営を息子さんと二人で頑張ている。肥育における日々の労働時間は、1日当たり2時間程度ということである。

井信行氏は、国産飼料100%での肥育にこだわっている。これで仕上げたのがいわゆる“信行牛”である。具体的には、(1)地元牧野組合の生産した牧草(2)自家産の飼料米(3)自家産の米ぬか(4)熊本県菊池産の大麦(5)熊本県菊池産の小麦(一部は本州)(6)熊本県菊池産の大豆(7)熊本県菊池産のふすま(8)熊本県菊池産のオカラ(9)熊本県八代産の牡蠣殻(カルシウム補給のため)(10)熊本県天草産の塩を与えられ肥育される。購入した国産大豆は、自動釜で粉にする。牡蠣殻も自分で粉砕機を使って粉にする。

5 ジャージー種肥育の挑戦

井信行氏は、“信行牛”の独自の肥育理論をもって、現在、ジャージー種を用いた阿蘇/小国牛の生産に取り掛かっている(写真3)。ジャージー種を用いた牛乳生産は、小国町では、従来からの産業である。しかしながら、そこから生まれる雄子牛は、生後間もなくと畜される。肥育しても現行の格付制度から産肉性や肉質を考慮すると、肥育するだけ無駄だ、という考えからだ。これは、あまりにも悲しい。これに目をつけた井信行氏は、酪農家に5万円で哺乳期を飼養してもらい、その後、引き取って、独自の肥育を行うという仕組みを構築して、現在ジャージー種版の信行牛生産を模索している(写真4)。また、同様の事情を抱えている日本ではかなりマイナーな品種のブラウンスイスでも同様の取り組みを試している。筆者も、海外出張によく行くが、ジャージー種放牧牛の肉に対する評価はかなり高い。

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井信行氏は、次なる肥育戦略として稲ソフトグレインサイレージ稲SGSにも注目して使用を始めた。稲SGSは、飼料用米(もみ米)を乾燥させることなく、密封保存して、サイレージ化したものである。サイレージ化する前に、圧ぺんや粉砕処理を行うと、消化率が向上する。昨今、注目されている飼料用米を活用したサイレージ飼料だ。行政による米の生産調整が来年に廃止となり、本格的に休耕田が出ないよう飼料用米生産を考える時期となる。しかしながら、国や県の試験場が、稲SGSの使用を推奨してはいるものの、本格的に使用している例はない。肥育時に、この稲SGSを1日当たり1キログラム給与すると出荷が1カ月は早くなると、井信行氏は考えている。飼料の3割を稲SGSに代替できるという研究機関の報告もあるので、かなり利用できそうだ。

井信行氏が肥育したジャージー種は大きい。通常、ジャージー種は、ぽっちゃりとして小柄というのが視察に来る者の感想である。与えている国産100%の飼料は、自ら工夫して組み合わせたもので、それほど栄養価の高いものではないがバランス的には問題はない。栄養価が低い分、良質の粗飼料(乾草)をふんだんに食べさせる。

飼料費のうち最もコストが高いのが一番乾草である。現在は、1ロール8000円で年間約100ロール購入する。1頭当たりおよそ5キログラムの一番乾草を与える。井信行氏のブレンド飼料も1頭当たり4〜5キログラムであり、濃厚飼料の薄い(少ない)飼料である。これで、28〜30カ月齢まで飼養すると、肉にうまみが出るということだ(写真5)。脂は若干黄色味がかっているが、それをジャージー種の特性として理解する販売先を開拓している。また、牧草を食い込ませれば、ジャージー種も大きくなることがわかってきた。

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井信行氏は、信行牛の生産体系を用いて、素畜費を除く生産費が35万円(うち飼料費15万円)となるウシを生産したいと考えている。枝肉重量は400キログラム、1キログラム当たり1350円で販売していきたい。現在、某牛丼大手の会社が草で牛肉をつくるという前提で、阿蘇での生産を考えているそうだ。井信行氏は、“粗放的に草で育てて、トータルコスト35万円ぐらいで生産できるウシをつくれないものか。草で飼ったウシは、おいしいというのが最近分かってきた。これであれば、外国からの輸入肉に勝てる”と目標を見据えている。一般的な肥育経営の飼料費は30〜40万円ほどと考えると、飼料費15万円の生産体系を構築すれば得られる利益は大きい。

ジャージー種を褐毛和種と一緒に肥育していると、体が小さいためか、褐毛和種に遠慮して、牛房で負けてしまい、褐毛和種がひとしきり採食した後に食べることになる。そうすると餌の上には、牛の唾液が混入してしまい、嗜好性が落ちて、結果として採食量が減ることになる。ジャージー種としては、食べたいのに食べることができないのは、つらいだろう。このような観察を重ねて、ジャージー種の生産に日々力を注ぐ。

餌は、濃厚飼料を薄く(少なく)して、長く飼うというのが、信行流である。これによりウシも大きくなる。最近、褐毛和種である信行牛の枝肉単価は、1キログラム当たり2300円で取引してもらえると言う。取材当時に出荷予定であった褐毛和種の枝肉重量は、およそ500キログラムになると見込まれ、また導入時の子牛価格は55万円であったことから、120万円で販売できれば利益は大きい。「これは、もうけすぎだな」と井信行氏はつぶやいた。ジャージー種もこのくらいで取引されれば、他の農家でもきちんと利益をとれる。

6 信行牛を支える流通:東京宝山の挑戦

井信行氏のような生産体系で生産された少量の牛肉は、生産者個人の力だけでは、流通させることが難しい。そこには一人の流通関係者の力があった。東京で、主に岩手・山形のグループ牧場の牛肉を飲食店につないでいる株式会社東京宝山の荻澤紀子氏だ(写真6)。荻澤氏は、慶応大学を卒業後に、飲食店業界に飛び込み、焼肉店の企画を行っていた。その後、店長も経験し、岩手・山形のグループで立ち上げたウシの飼料会社の東京事務所勤務を経て、牛肉の卸業を独立して本格的に始めた。農水省関連の研究所である九州沖縄農業研究センターの中村好徳氏の紹介で、それまで、東北が中心であった牛枝肉の取り扱いを九州でも始めることになった。中村氏らは、平成27年度(2015年度)まで、褐毛和種の放牧肥育に関する研究を精力的に進めていた。以前に福岡市の方で、井信行氏の牛肉を扱っている卸業の方がいたが、当時はまだまだ霜降り肉全盛の時代であり、国産飼料100%での生産というコンセプトは理解するものの、その流通に手をこまねいていた。岩手・山形のグループ牧場では、地域で出る副産物、エコフィードなどを用いた牛肉生産を進めている。そういう意味で、井信行氏の国産飼料100%で生産する牛肉も荻澤氏の心に響いた。荻澤氏は、信行牛を扱うことを決意した。現在では、井信行氏の生産するジャージー種“阿蘇/小国牛”も扱い始めた。荻澤氏は、他にも日本短角種の粗放的な牛肉生産を行う田村牧場の吊るし熟成短角牛や、いわて門崎丑牧場の経産牛の寝かし熟成黒毛母牛といったマニアックなウシも扱う。

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荻澤氏は、最近の井信行氏の生産するジャージー種は大きくなったとコメントした。ジャージー種の枝肉重量は350キログラムあれば大きい方だが、井信行氏の生産する枝肉は400キログラムに達する。井信行氏によると、ジャージー種は晩熟であり、32〜33カ月齢ごろまで大きくなる。通常は20カ月齢で出荷されるので小さいが阿蘇の草を与えながら長く飼養することで大きくする。

7 おわりに

井信行氏は、地域の草資源を活用して、放牧や粗飼料多給で、50頭程度の規模でコストを下げた一貫経営が理想だと考えている。また、地域の草資源を活用することで、餌代金が安く済むことから、褐毛和種の放牧肥育をしていきたいと考えている。日本の多くの村では、過疎化が急速に進む。しかし、村には、最低限の人口が必要である。井信行氏は、もっと村に住んでいる人が誇りを持つべきだと思っている。都会の人々が、潤いを求めてくる場所に住んでいる誇りだ。そういう意味で胸を張ってもよいのではないかとも考えている。

井信行氏は、価格は安いが、おいしい、和牛に代わる牛肉を国内で生産したいと考えている。どうすればできるのか模索してきた。ジャージー種やブラウンスイス種のようなマイナーな乳牛の雄を、ヌレ子でと畜するのはもったいない。土地を利用した省力的な牛肉生産の仕組みづくりが大事かもしれない。将来、何かの形で牛肉の輸入関税が低くなる、あるいはなくなれば、日本畜産は大きなダメージを受けるだろう。安いUSビーフ、オージービーフやニュージーランドビーフに対抗するため、阿蘇の草原を利用した放牧により、低コストでうまみのある牛肉をつくることが、井信行氏の哲学であり目標である。

また、農家も自分で生産物を売っていかなければならない時代となった。そのためには「“ありがとう”という感謝の気持ちを持ち、“ありがとう”と、きちんと言える農家にならなければならない。まじめにつくることが一番大事だ。農家のつくる食料は、国民の命を支えるからだ」と井信行氏は言う。

世界的な食糧難が懸念されている。農業という食料生産業は、地域の環境を保全し、自然環境を守りながら、安心・安全なものを、コストをしっかり計算した上で生産し、それを理解する消費者に届けることができれば、山村地域でも生活できるはずだ。企業農業一辺倒では、日本の農業は成り立たないように思う。限られた平地だけで、日本の食料自給率を上げるのは難しい。サプリメントのような人工的な栄養食で生きられるようになればわからないが、効率性だけの農業での自給率の向上は難しいのではないか。

このため山村農業の仕組みづくりが重要ではないだろうか。平成28年(2016年)の熊本地震は、震度5〜6の大規模な地震であったが、産山村では被害が少なかった。人口密度や効率性が高いだけの地域づくりでは、地震が発生した時の被害は大きくなるおそれがある。田舎で、地盤のしっかりとした土地を探し、家を建て、しっかりとした農業を営むことができれば、被害も少なくなるだろう。今後、自家発電、水車の発電などの発達により、日本の隅々まで、電気が行き渡れば田舎での生活や営農も快適となる。井信行氏のように、地域に根差し、地域の草資源を活用して、低コストでもおいしい牛肉を生産する仕組みづくりが、地域の畜産を再構築する基盤的道であろう(写真7)。

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