話 題 畜産の情報 2018年6月号

食肉の消化性を見える化
〜タンパク質の加熱状態とpHを同時に判定〜

国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産研究部門
畜産物研究領域 主任研究員 本山 三知代


1 はじめに〜背景と研究の経緯〜

高齢社会の進行とともに高齢者の低栄養状態が大きな問題となっています。食が細い高齢者にとって、適量の食肉摂取は良質なタンパク質を効率的に摂ることにつながり、筋肉量の低下を防いで運動機能の維持につながることから重要とされています。しかし、しゃく力の低下した高齢者は、硬くて咀嚼しにくい食材を敬遠する傾向が見られます。これを受け、加熱しても硬くなりにくいように、食肉の組織に部分的あるいは全体的に手を加えたさまざまな高齢者向けの製品が開発されています。

一方、食肉タンパク質の消化吸収には、調理法やタンパク質への消化酵素の作用のしやすさが関係しています。調理過程で加熱をし過ぎた場合や、加齢などが原因の胃酸不足により胃のpH(注1)が十分に下がらなかった場合には、胃液中の消化酵素ペプシンによる食肉タンパク質の消化性が低下することが知られており、その結果消化に時間がかかって胃への負担が増加する可能性があります(表)。食肉製品の組織に手を加えることは、火の通りやすさや胃液の浸透しやすさに影響し、消化吸収にも違いをもたらしている可能性があります。

そこで、農研機構畜産研究部門とフランス国立農学研究所畜産物品質ユニットなどのグループは共同研究により、消化吸収の優れた食肉製品の開発や適切な調理法の提案に役立つと考えられる、食肉タンパク質の加熱状態とpHを簡単にかつ同時に判定する技術の開発を行いました。

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注1:水素イオン濃度指数。ピーエイチあるいはペーハー。pHの値が低いほど水素イオン濃度が高いことを表し、pHが7より低いと酸性である。

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2 開発した技術の特長

物質には、光を照射するとその物が吸収しやすい波長の光のみ吸収するという性質があります。光にもさまざまありますが、特に赤外線を照射したときの光の吸収パターンは、その物を構成している分子のその構造をとてもよく反映します。今回開発した技術は、この赤外線の吸収を利用しています。

加熱していないタンパク質と加熱したタンパク質とでは構造が異なるため、赤外線の吸収パターンにも違いがあります。同様にpHによってもタンパク質の構造が変わるため、赤外線の吸収が変化します。これらの違いを検出することで、タンパク質の加熱状態とpHを判定します。

具体的な方法を図2に示します。食肉にはタンパク質以外にも脂肪などが含まれますが、タンパク質のみを調べるために、タンパク質が主成分である筋肉の部分をねらって赤外線を照射します。これには赤外顕微鏡(注2)を用いると簡単です。その場合、食肉は顕微鏡観察ができるように凍結して薄く切ります。

赤外顕微鏡など赤外線の吸収パターンを調べることが可能な装置により、筋肉タンパク質の「赤外スペクトル」を得ることができます。1本の赤外スペクトルの測定は数秒で終了し、そこで得られた赤外スペクトルから、実験によって選び出された有用な吸収のみについて数値化することで(詳細は図2に記載)、加熱の有無とpHの両方を赤外スペクトル1本から判定できるようになりました。

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加熱の有無の判定には、熱によりタンパク質が変性したときのタンパク質二次構造(注3)の変化に敏感な吸収を利用しています。またpHの判定には、タンパク質が酸性の環境に置かれることにより、タンパク質を構成するアミノ酸の一つであるアスパラギン酸がプロトン化(注4)することとタンパク質の形が酸で緩むことに伴ってタンパク質の内部にあったアミノ酸の周囲の環境が変化することを利用しています。pHがタンパク質の消化酵素であるペプシンの活性化の目安である約3.9より高いか低いかを判定できます。

このようにして、光を照射するだけで検出できるタンパク質の構造変化から、牛肉の加熱の有無とpHを調べた結果を図3に示します。霜降り肉など脂肪の多い食肉でも、赤外顕微鏡により筋肉の部分を空間的に脂肪と分離して測定することで、食肉を破壊・抽出することなくその場解析(注5を可能にしています。これは、食肉の加熱状態とpHを簡単かつ同時に「見える化」できたことになります。

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加熱前の牛肉を胃での胃酸によるpH変化を模した酸で処理した後、本技術により判定した結果、サンプルの表面から1.5mm内部までpHが約3.9以下になっていること、また加熱変性していないことを正確に判定できました(※プロトン(H)の食肉中の拡散定数から求められる理論値に一致しています)。

注2:マイクロメーターサイズの小さな領域に赤外線を照射して赤外線の吸収パターンを調べることができる顕微鏡。

注3:タンパク質はアミノ酸が連なった鎖でできているが、その鎖の一部がきれいに並んだり折り畳まれたりして作る立体的な構造のこと。α-ヘリックス構造やβ-シート構造などがある。

注4:プロトン(H)が付加すること。タンパク質の水溶液が酸性化するとその中の水素イオンが増え、タンパク質のプロトン化が起きる。

注5:本来存在する場所にあるまま抽出することなく測定を行い、解析をすること。

3 今後の展望

本技術により、食肉タンパク質の胃を模した環境での胃酸によるpH変化や、調理による加熱変化が「見える化」できるようになり、一般の方にも分かりやすく食肉の変化を評価することが可能になりました。

高齢者も食べやすい製品などさまざまな食肉加工品が開発されていますが、それぞれの製品の組織の違いなどが、火の通りやすさや胃酸の浸透しやすさに影響していることが予想されます。本技術を用いてそれを「見える化」して評価することで、消費者の方にも分かりやすく、製品の長所をアピールすることができます(図4)。また、タンパク質の加熱し過ぎは消化性を低下させてしまうことから、各製品に適した調理法の提案にも役立つと考えられます。

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これにより例えば、家庭、レストランのちゅうぼう、食品工場などにおいてタンパク質の消化性を低下させない適切な調理法の選択につながったり、消化機能が低下しがちな高齢者向けの消化されやすい製品の開発や、胃の調子が悪い方に向けた病院食の改善などに結び付くのではと期待しています。

本技術が、やわらかさや食べやすさ重視のこれまでの食肉から、さらにもう一歩先の消化吸収までも改善した製品開発の一助になればと考えています。今後、新しい食肉製品の開発を目指す企業などとの連携や技術移転を進める予定です。

出典
Motoyama, M., Vénien, A., Loison, O., Sandt, C., Watanabe, G., Sicard, J., Sasaki, K., & Astruc, T. (2018). In situ characterization of acidic and thermal protein denaturation by infrared microspectroscopy. Food Chemistry, 248, 322-329.

(プロフィール)

平成17年3月 東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了

同年4月 現農業・食品産業技術総合研究機構採用、畜産研究部門 畜産物研究領域 研究員

平成23年3月 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了 博士(理学)取得

平成26年4月〜現在 現職

平成27年8月〜29年7月 EU Marie-Curie人材プログラムAgreenSkills特別研究員



				

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