特別レポート

豪州の個体識別制度の最近の動向
〜全国的な義務化をめぐって〜

シドニー駐在員事務所 粂川 俊一、井上 敦司
1 はじめに

 
 
NLIS耳標(右耳)を装着した牛


 豪州の電子耳標を使用した牛の個体識別制度である全国家畜個体識別制度(NLIS)は、すでにEU輸出向けとビクトリア(VIC)州での義務化が実施されているが、そのほかは自主的な取り組みである。州ごとにその義務化は検討されていたが、カナダや米国での牛海綿状脳症(BSE)の発生もあり、義務化に向けた動きも活発になってきた感が強い。

 全国的な義務化については、現在のところ2005年7月からの実施が連邦・各州政府間で合意されているが、義務化をめぐりコスト負担などの問題も生じている。

 NLISについては、「畜産の情報(海外編)」2003年3月号などにおいて、制度開始からVIC州の義務化について報告したことから、本稿ではその後の全国的な義務化をめぐる動向について、各州政府の取り組みの状況や業界団体の動向を中心に報告する。

 



2 全国的な義務化に向けた動き

 NLISの義務化は、EU輸出向けを除いてはVIC州が他の州に先駆け、2002年1月以降生まれた牛にNLIS耳標の装着を義務付けることにより開始された。そのほかの州でも、2002年段階において、南オーストラリア(SA)州、ニューサウスウェールズ(NSW)州、タスマニア(TAS)州、それぞれの州政府で資金支援を含め義務化が検討されてきた。

(1)第一次産業大臣会議で義務化に合意

 
各州の牛飼養頭数
  注:牛の飼養頭数は2003年6月30日現在の暫定値(豪州統計局(ABS))。

  豪州合計では2,722万頭(ABSは2,650万頭に下方修正したが、州ごとの内訳は非公表のため当初の暫定値を使用)。


 2003年4月10日に開催された連邦政府と各州(準州を含む)政府の第一次産業大臣による、農林水産および食品産業の振興を目的とした「第一次産業大臣会議」において、次のような内容でNLISを全州で義務化することが合意された。

 (1) 牛の個体識別について2004年7月1日からの義務化を目標とする。(同時に羊の識別制度(NFIS:NLISの羊版)に関しても2005年7月1日からの義務化を目標とすることが合意された。)

 (2) 生まれた牧場から直接、と畜場に出荷される牛や生体で輸出される牛の個体識別は、群を単位とすることができる。

 この合意によって、2004年7月から出生牧場から家畜市場やフィードロット、他の牧場などに移動する牛は、NLISの電子耳標の装着が必要となったが、例外措置として一定の条件の下に群管理も認めることとなった。群管理を認めた背景には、北部準州(NT)やクインズランド(QLD)州、西オーストラリア(WA)州北部など豪州北部は、大規模な放牧飼養地帯で、と畜場や生体輸出直行の牛も多く、このような牛にも電子耳標を個別に装着するのは北部州の生産者に抵抗感がありNLIS義務化の障害にもなっていたことがある。

(2)一部州で義務化延期

 その後、2003年10月2日に開催された第一次産業大臣会議において、一部の州でのNLISの義務化実施時期の1年間延期が合意された。具体的には、NTやQLD州、WA州については導入には時間が必要であるため、実施時期を2004年7月1日から2005年7月1日に延期することとなった。先行して検討していたSA州やNSW州、TAS州では当初の予定通り実施することに変更はなかったが、結果として、全国的な義務化の実現も1年延期されることになった。

 なお、NLISの現在の実施状況について、牛の飼養頭数に対する直近のNLISデータベース登録頭数の割合は約3割と推定され、2002年後半に約2割であったことから考えると、1年半でかなり実施率が高まった。



3 各州政府の動向


 各州政府のNLIS義務化に向けた取り組みは、現時点では流動的な部分や未決定なものも多い。義務化の定義自体、州によってやや取り扱いが異なる感もあるが、おおむね特定期日以降出生の牛に対する耳標装着を起点とし、各施設での読み取り設備などインフラ整備の進捗に合わせ段階的に義務化の実施を進めていくパターンが主流となっている。

 各州における現時点の義務化に向けた計画などを取りまとめると下表のとおりである。

各州のNLIS義務化実施計画または実施状況
注:QLD州とNTの例外措置については実施計画策定中であるため括弧書きとした。


 牛の飼養頭数からみて、全国的な義務化に対する影響が大きいと考えられる豪州のトップ2州であるNSW州とQLD州の現在の動向に触れたい。

(1)NSW州

 NSW州政府のマクドナルド農相は2004年4月6日、2004年7月から同州でNLISの義務化実施を開始すると公式発表した。同州政府は既にNLIS実施に向け540万豪ドル(4億3,740万円:1豪ドル=81円)を拠出することを公約していたが、関係業界代表で構成されるNSW州NLIS諮問委員会の勧告に基づき以下の3段階に分けて導入し、2006年1月から完全実施となる。

(2004年7月1日以降)

・7月1日以降生まれた牛(直接と畜に向けられる子牛を除く)に出生牧場を離れる前にNLIS耳標の装着を義務付ける。
・NLIS耳標を装着していても、家畜市場で売買される牛またはと畜場に出荷される牛は、現行の取引標識(テールタグなど)の装着が必要である。
・NLISデータベースへの移動記録登録は自主的な取り組みとする。

(2005年7月1日以降)

・年齢に関係なくすべての牛に牧場を離れる前にNLIS耳標の装着を義務付ける。
・家畜市場者やと畜業者、輸出業者に、NLISデータベースへの牛の移動記録登録を義務付ける。
・段階的な制度実施期間中のトレーサビリティ確保のため、取引標識を継続使用する。

(2006年1月1日以降)

・牛の所有者に牧場間の移動記録のデータベース登録を義務付ける。
・取引標識については装着の必要が無くなる予定である。

 以上のように、NSW州は先例となったVIC州での段階的な義務化の導入方法に準じて、(1)特定期日以降に出生した牛に対する耳標装着、(2)出荷牛の耳標装着と家畜市場やと畜場での情報入力、(3)同一経営体内の牧場間の移動情報入力という順に実施する方法を採用する。

(2)QLD州

 牛の飼養頭数において豪州最大を誇るQLD州では、NLISの導入については否定的な意見を持つ生産者も多く、当初からその義務化について困難が予想されていた。同州では2004年3月に、導入推進あるいは導入反対の両方の観点からNLIS関連の会議が開催されたが、出席した生産者の多くはコスト問題をはじめ「NLISを実施しても家畜疾病発生時に市場アクセスの継続が保証されるわけではない」などの意見から義務化に否定的で、財政支援の公約なしに義務化に合意した同州政府が激しく批判されたことが伝えられた。

 このような中、QLD州政府のパラジュック第一次産業・漁業大臣は2004年4月13日、QLD州NLIS実行委員会(QNIC)の設立を発表した。この委員会は、QLD州バイオセキュリティー 諮問委員会の下、食肉・家畜業界と州政府からのメンバーで構成され、同州の環境に適したNLISの実行問題を検討し、義務化の実行が2005年7月に開始できるよう2004年7月までに実行計画を完成させることを目的とする。

 同大臣はその後、NLISの実行を支援する業界のメンバーや反対派の人々と会見を行い、4月22日に次のような内容の声明を発表した。

 まず、現状の方法(農場識別番号(PIC)、全国出荷者証明書(NVD)、州独自の識別システム)で十分であるという反対意見に対して理解を示しつつ、

 (1) BSEの発生国における個体識別制度の重要性の高まりなどを背景に、すべての豪州の政府はNLISの義務的な実行に同意したこと

 (2) QLD州の大臣として、当初予定されていた2004年7月1日からのNLISの実行について地元の業界のためらいを理解し、NTとWA州とともに12ヵ月間の延長を求める努力を行い、それを実現したこと

 (3) 同様に、家畜移動が出生の農場から直接と畜や生体輸出の場合における例外措置に対する支持を持続したこと

など今までの経緯を説明した。

 次に、NLISについては、「必ずしも生産者のためにプレミアムをもたらさないし、外来の病気からの清浄も意味しない」が、(1)第一に重要なバイオセキュリティ−手段であるとともに、(2)家畜と農場マネージメントで潜在的に広範な応用を持つものと述べた。さらに、「豪州は疫病発生に対応し、輸出を再開することにおいて、牛肉輸出のライバル国のいくつかが国際市場で辛抱しているような長期かつ高価な遅れに直面する余裕がない」とした上で、(3)NLISはどんな疫病発生に対しても迅速で包括的な対応を保証し、豪州ができるだけ早く貿易を再開することを確実にすると強調した。

 なお、同大臣は、「厳しい財政事情であるが、家畜市場やと畜場、フィードロットなどに対してNLISのためのインフラ整備について支援する方法を考えている」と初めて財政支援について言及した(最新の情報によれば、6月中に具体的な支援措置が発表される見込みである)。



4 業界の動向

 
 
MLAとセーフミートによるNLISの普及啓蒙パンフレット


 豪州の肉牛・牛肉業界は、NLISの義務化については、生産サイド、流通サイドともに総論的には前向きな見解である。当初からの主張である何らかの財政支援が必要であることについては共通認識となっているが、第一次産業大臣会議で合意された「出生牧場から直接と畜や生体輸出向けに出荷される牛に対するNLIS耳標の例外措置」(以下「例外措置」という。)の導入に関しては生産サイドと流通サイドでは意見が異なる(QLD州NLIS実行委員会でも現在その是非をめぐって激しい議論が行われている)。

(1)普及啓蒙団体(MLA)

 豪州食肉家畜生産者事業団(MLA)のクロンビー会長は、義務化をめぐる議論が活発化する中、昨年のMLAの年次総会の直前に、NLISの義務化については、州政府の意思決定と市場からの要請の問題であり、MLAの役割は肉牛・牛肉業界の取り組みを支援することであると発言しており、NLISにおけるMLAの役割は、技術的な研究開発とその普及啓蒙にあるという位置付けを強調していた。

 なお、NLISの管理運営の責任については、官民の代表者で構成される「セーフミート」が担うことになっているが、実質的な事務局運営はMLAが実施している。MLAとセーフミートはNLISのメリットを次のようにPRしている。

MLAとセーフミートが強調するNLISによる重要な利益

 義務化に関してMLAは、主導的な立場ではないものの、市場アクセスやプロモーションの観点から個体識別やトレーサビリティに関する米国や日本の動向には敏感である。

 例えば、米国のベネマン農務長官が牛の個体識別制度を導入する意向を表明した際には、豪州産牛肉の最大の輸出先である米国への牛肉輸出を継続していくためには、「個体識別は市場の要請」と豪州での個体識別制度の全州完全実施が不可欠との見方を示した。また、日本における輸入牛肉に対する個体識別義務化をめぐる野党法案提出にも注目しており、「そのような動きには豪州としては官民一体で反対する立場であるが、仮にそうなった場合、最重要市場からの要求でもあり、供給側としては対応せざるを得ないだろう」とNLISの義務化が否応なく強いられる可能性があるとの見方を示した。

(2)生産者団体(CCA)

(1) 例外措置の導入を評価

 豪州肉牛協議会(CCA)では、第一次産業大臣会議で合意された例外措置について、特にNTやQLD州、WA州の北半分では、多くの牛が直接、と畜場や生体輸出に出荷されることから、現行の流通制度のままで対応が可能となり、円滑な義務化が進むため、このいわば柔軟性を示した措置の導入を生産者にとって有益であると評価している。

(2) 主要牛肉生産5ヵ国で個体識別制度検討の連携

 CCAは輸出国の生産者団体との協力体制の構築に熱心であるが、2004年2月初旬にアリゾナで開かれた主要牛肉生産5ヵ国(豪州、ニュージーランド(NZ)、米国、カナダ、メキシコ)の生産者団体による会議で、参加国における牛の個体識別制度やトレースバック・システムの実施について緊密な連携を持ち取り組むことに合意している。

 また、この会議において、生産者にとって可能な限り実践的で経済的な制度を確実にするためには各国での個体識別制度の取り組みに生産者が積極的に関与することが重要であると強調され、個体識別制度に対する生産者の理解を高め、各国の情報と経験の共有を最大限に活用することを目的とした、各国の政府関係者を含むワーキング・グループの設置についても合意されている。

(3) 連邦政府に財政支援要請

 当初から政府の財政支援の有無がNLIS義務化の局面を左右すると主張していたCCAは2004年3月25日、立ち上げ期間の補助として、NLIS電子耳標の経費に3年にわたって2千万豪ドル(約16億円、耳標1個当たり補助換算は75豪セント(61円)相当)を措置するよう連邦政府に要請した。なお、この要請は、豪州食肉産業協議会(AMIC)、豪州フィードロット協会(ALFA)、MLA、豪州酪農生産者会議(ADF)にも支持され行われた。

 また、要請した連邦政府の資金負担に対応し、生産者に対する支援の公平性を確保するため、生産者が負担するNLIS耳標代の補助を公約してない州政府(QLD州、NSW州、TAS州、NT)にも応分の負担を求めるとしている。

 CCAのアダムス理事長は「豪州の肉牛生産者は、政府がNLIS関連の経費に対する支援について公平に分担することだけを求めており、永続的な補助金を求めていない」とした上で、

 (1) 他の国々の政府は、牛の個体識別制度の導入に当たって、その経費の全部あるいは大部分を支援していること

 (1) 家畜伝染病緊急対応協定(EADRA)において連邦政府と州政府はコストシェアしており、個体識別制度が深刻な家畜疾病に要するコストとその影響を大きく縮減する重要な役割を担うこと

 から、要請した「控えめな保険料水準の」財政支援を実施することが連邦政府と州政府に最良の利益をもたらすと強調した。

(3)フィードロット業界(ALFA)

 ALFAはNLISの義務化を積極的に支持することを表明している。しかしながら、第一次産業大臣会議で合意された例外措置については反対の立場である。日本における輸入牛肉に対する個体識別義務化をめぐる野党法案提出にも注目しており、この問題については、将来的にも再燃する可能性があるため、豪州北部の政治的な反対を和らげるための例外措置の導入は、豪州の牛肉産業にとってアキレス腱になりかねないとしている。

 なお、フィードロット業界は対日向けのウェイトが高いことから、日本市場の動向には敏感で、業者の中にはNLIS耳標装着牛にプレミアムを支払っている例もある。

(4)流通・生体輸出業界(AMICなど)

 食肉処理加工業者や輸出業者などで構成されるAMICは、NLISについて、ALFA同様、例外措置を設けることなく全州で完全義務化を行うよう求めている。AMICは、輸出先からより洗練されたトレースバック・システムを求められるのは時間の問題であるとし、例外措置の導入を評価している生産サイドの姿勢に対して流通・輸出サイドからの必要性とその条件を主張している。

 なお、豪州生体家畜輸出業者協議会(ALEC)やWA州生体家畜輸出業者協会(WALEA)など生体家畜輸出業界は、NLISの義務化に支持を表明している。

(5)家畜市場業者

 別の観点から例外措置に反対する者もいる。NLIS義務化の姿が徐々に形になってきたQLD州では、QLD州家畜市場連盟が例外措置について支持しない意向を示している。

 同連盟では、例外措置によってコスト面でも操作面でも個体識別制度の実行を避けるための安易なルートが提供され、それが家畜市場取引を避けることにつながり、ひいては市場取引における上場件数が減少し、競争原理が損なわれるなど家畜市場の運営自体に有害な影響を及ぼす可能性があるとしている。

5 義務化をめぐる論点

 義務化をめぐる論点としては、前述した例外措置の導入をめぐる生産サイドと流通サイドの見解の相違を除いて、大きく(1)従来から実施している農場識別番号(PIC)と全国出荷者証明書(NVD)の組み合わせによる家畜のトレーサビリティの確保で十分との一部の生産者の認識の強さ、(2)コスト負担問題とそれに関連する財政支援問題が挙げられる。

(1)従来制度で十分との議論

 従来から行われてきたPICとNVDの組み合わせによる家畜のトレーサビリティ制度とは、具体的には、牛の出荷時にPICが印刷された取引標識(テールタグなど)を牛に装着するとともに、安全性に関する事項を生産者自らが証明するNVDを添付して出荷牛の生産履歴を担保するという方法である。したがって、出荷単位ごとの群管理である。

 一般的に長年実施してきた方法を変更することには抵抗があるものだが、NVD自体は今後も必要なため「群」を「個体」に変えるだけという認識から、生産者の一部には次のような極端とも言える主張がある。

(1) 従来制度は単純かつ安価(テールタグの価格は1個当たり約15豪セント(12円))である(NLIS義務化の移行期間においてはテールタグ併用となるため電子耳標代は追加コストという認識も強い)。

(2) 豪州にとって怖いのはBSEよりも口蹄疫(FMD)であり、個体識別制度はBSEのまん延防止には効果的であるが、FMDの場合、少なくとも感染牧場全体の隔離・処分措置が想定されることから、生産牧場が追跡できれば十分である。

(3) NLIS実施にコストをかけるなら検疫強化に その資金を投入した方が効果的である。

 総括すると、コスト問題も背景にあるが、個体識別自体を否定した主張である。

 家畜のトレーサビリティの確保という観点から、最低限生産牧場が分かれば良いというのであれば、従来制度でも対応は可能と考えられるが、移動記録自体その都度さかのぼって見ることとなり、何か問題が生じた場合、時間もかかる可能性が大きい。

 例えば、2002年のQLD州における牛炭そ病発生時には移動記録の把握に数日を要したとされ、下のMLAの見解にあるように、NLISの完全義務化に向け導入が進められていたVIC州における2003年の同病発生の対応と比べると、BSEに限らず家畜疾病のまん延防止という点ではNLISは優れていると言える。

 なお、ほぼ実質的に義務化が完了したと言えるVIC州においては、導入推進は過去のものとなり、現在の州政府機関やMLAによるNLISの普及啓蒙の主眼は枝肉データのフィードバックなどに移行しており、NLISデータの活用による飼養管理面でのメリットが多くの生産者に認識されれば、個体識別の効果に対する理解も深まる可能性も考えられる。


(2)財政支援問題

(1) 州政府の財政支援

 NLISの義務化については、州単位での取り組みとなるため、州によって財政支援のあり方にも濃淡がある。特に生産者が負担することとなる耳標代(3〜4豪ドル(243〜324円))に対する支援の有無が「公平感を欠く」としてCCAの財政支援要請の背景にあった。

州政府の支援計画または支援状況
資料:CCA''NLIS Federal Funding Proposal''(2004年3月)
注1:以上のほか、一部の州でNLISの推進費を計上している。
 2:QLD州とNTは2004年5月末現在、具体的な支援措置について公約していない。


 例えば、先行して義務化されているVIC州では、州内の生産者が2.5豪ドル(203円)で取得できるよう補助を行っている(具体的な補助額は非公表だが1.2豪ドル(97円)を上限)。また、同州では読み取り装置などのインフラ整備に対する補助も行っている。そのほかの州では、SA州とWA州が、NLIS耳標に対する1豪ドル(81円)前後の補助に加えて所要のインフラ整備を公約する一方、NSW州とTAS州はインフラ整備主体の補助のみ公約している。

 また、CCA以外にもNSW州農業者連盟は、2004年4月にNSW州政府がNLISの義務化導入計画を公表した際、州内の生産者の意見を集約し、すべての生産者に対して実行可能な導入と最小限のコストの両方を確実にするよう州政府に働きかけていくとの声明を発表した。その声明の中で、「輸出中断で米国牛肉業界が甚大な損失を被っている現状を指摘する流通サイドからの導入の必要性の意見に対して、輸出依存度の高い豪州で同様のことが起これば、米国以上の影響を被ることを十分理解しているが、NLISは生産者の支持なしには実行不可能であることから、州政府だけでなく連邦政府からも生産者のために財政支援を求め続ける」としている。

(2) 連邦政府の財政支援

 豪州は連邦国家であり、連邦政府の権限も限定的なことから、NLISの義務化については、輸出規則であれば連邦政府、国内規則であれば州政府の権限ということになる。したがって、現在進められている州ごとのNLIS義務化に関しては、全国的な政策展開における調整の場でもある第一次産業大臣会議の合意が重要なものとなっている。

 連邦政府は他の産業に対する支援と同様にMLAの研究開発事業に対する支援を行ってきているため、間接的にはNLISにも支援を行ってきた経緯はある(320万豪ドル(2億5,920万円))。しかしながら、現在進められているNLISの義務化は、州政府の権限によって州における取り扱いを義務化するという位置付けにあるため、連邦政府は義務化について直接的な財政支援を行っていなかった。

 CCAの財政支援要請から2ヵ月を経過した2004年5月28日、連邦政府のトラス農相はNLISの支援に200万豪ドル(1億6,200万円)を実施する方針を発表した。その目的として、NLISの技術的な改善や向上とその義務化の支援を挙げているが、電子耳標に対する支援問題についてはあくまでも州政府の責任という基本的なスタンスは変えておらず、全国的な義務化の実行におけるデータベースなどインフラ整備に対する特別な支援という位置付けである。

 CCAでは、耳標代に対する支援を主眼に置いた2千万豪ドル(約16億円)の要請額には及ばないものの、連邦政府の初めてのNLISに対する直接的な支援として高く評価している。ただし、耳標代に対する支援については、今後とも連邦・州政府に対する働きかけを継続する方針である。

(3)生産者のコスト負担問題

 州によっては耳標代に対する支援が実施されているが、その多くが完全義務化までの経過措置的なものと考えられ、いずれはランニングコストとして生産者が負担することになる。生産者のNLIS実行に要するコストに対する懸念に応えるために、MLAはコスト分析を調査会社に委託実施し、2004年5月7日にその結果を発表した。

 それによれば、NLISのコストは、大きく耳標代(耳標損耗費も考慮)、耳標装着費、耳標読み取り費の3コストで構成され、QLD州における生産システムをベースにして、例外措置のある場合について6例、例外措置のない場合について6例、計12例について分析された。

 結論としては、NLISを採用しても、販売牛1頭当たり6豪ドル(486円)以上のコストはかからないとされた。ただし、例外措置がある場合、繁殖基盤を自家保留で対応し、販売はすべてと畜場に直接出荷という例においては、コストはゼロと分析されている。このことが前述した家畜市場業者の懸念の背景にある。

MLAによるNLISのコスト分析例
 
資料:MLA("Cost analysis of NLIS compliance for beef producers" Alliance Consulting & Management)
注1:飼養規模900頭(繁殖牛500頭)の生産者で、牛の牧場間の移動を伴い、去勢牛をと畜場に直接出荷、とう汰繁殖雌牛を家畜市場、若齢雌牛をフィードロットに出荷と想定した場合の試算。
 2:例外措置がない場合、初年度と次年度以降のコストは、と畜場に出荷される去勢牛の素牛の牧場間の移動などが反映するため異なる。
 3:第三者の読み取り・データ転送費は、家畜市場業者や家畜エージェントなどから手数料を要求された場合を想定。
 4:計欄は必ずしも整合しない。


 MLAでは、QLD州をベースにしているものの、(1)どの生産者にもガイドとして応用可能であること、(2)州によってNLIS義務化の運用が多少異なること、(3)個々の生産者によって経営実態は異なることから、「同じ企業が2つはないように、すべての生産者にこの分析結果を検討するよう奨励する」としている。



6 おわりに

 以上のように、問題を抱えながらも豪州の個体識別制度であるNLISは全国的な義務化を目指し進んでいる。

 コスト問題に対する理解が生産者に得られたとしても、実際の運用面において州によって異なる可能性もある。このようなことに対処するためと考えられるが、2004年5月19日に開催された第一次産業大臣会議において、調和のとれたNLIS義務化導入に向けた全国的な実施基準の策定とNLISに対する理解の向上を図るための全国的なコミュニケーション戦略の策定について合意された。

 豪州の業界団体関係者の間では、輸出国であるカナダ、米国でのBSE発生によって迅速かつ正確な牛の生産追跡の重要性が改めて強調されるとともに、輸入国である日本におけるトレーサビリティに対する関心の高まりから、牛肉の国際貿易における最近の傾向に合致していくためには、トレーサビリティの根底をなす個体識別制度の確立は避けて通れないものとなってきているとの認識は多い。

 ただし、個体識別制度は生産現場における「個体識別=耳標装着」が基本であることから、生産者の積極的な取り組みがなくては円滑な実施は不可能である。今日的な個体識別の主眼は、まず「家畜疾病のまん延防止」、そして「飼養管理のグレードアップ」ということが言えようが、生産者のコスト負担に見合った何らかの飼養管理上、農場経営上のメリットが発現されないと、本当の意味での円滑な個体識別制度の義務化は困難なように思える。

 しかしながら、万が一に備え、その被害を最小限にとどめる措置としての全国的なNLISの実施は、牛肉純輸出国である豪州にとって必要不可欠であるのも事実である。

(参考資料)

"NLIS Federal Funding Proposal" Cattle Council of Australia
"Cost analysis of NLIS compliance for beef producers" Alliance Consulting & Management
 そのほか、各州政府およびMLAのウェブサイトなど
 また、NLISに関する経緯などついては、次のレポートを参考にされたい。
・「豪州の家畜個体識別制度の概要と現状」(「畜産の情報(海外編)」2000年6月号)
・「豪州の全国家畜個体識別制度(NLIS)の最近の動向について〜ビクトリア州の義務化を中心に〜」(「畜産の情報(海外編)」2003年3月号)
 なお、NFISについては、「豪州における羊の識別制度」(「畜産の情報(海外編)」2003年12月号グラビア)を参照されたい。



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