【要 約】
1 牛・水牛の導入=生体・精液ともに相対取引が主体
●州政府の家畜登録情報へのアプローチ
◇高能力牛・水牛は州政府畜産部局に登録可
◇牛・水牛の購入希望者は登録情報にアプローチし、所有者と相対取引
●定期的に開催されるローカルマーケット(キャトルフェア)
◇村単位などで月1回、週1回など定期的に開催される家畜市場(基本的に私設)が、全国に2千カ所ほど存在
◇購入希望者は農家や家畜商などが所有する牛・水牛を所有者と相対取引
●精子バンクなどへのアプローチ
◇家畜改良施設や精液ステーションなど、凍結精液の供給元に購入希望者がアプローチ
●取引価格の決定要素は、乳量、品種、血統、年齢など。ただし、あくまでも価格の決定は相対交渉によるものであり、競りを行うヤードや指標価格などは存在せず 2 牛・水牛の供用状況とその後
●牛・水牛の主要目的は生乳生産であり、肉用として改良されたものは、輸出向けに関係各社の契約農家で飼養されているものを除くと極めて例外的
●基本的に搾乳できる限り使用。少なくとも8産(11〜12歳)までは搾乳
●宗教上の理由などから、法令により「公式に」牛のと畜ができるのは、インド南端のケララ州のみ
→ 搾乳・使役などに供用できなくなった牛は、キャトルキャンプへ
●水牛は「牛」ではないため、搾乳・使役などに供用できなくなったものはと畜場へ
→ 水牛肉は国内消費(イスラム教徒、キリスト教徒、シーク教徒など)されるほか、一部は東南アジアや湾岸諸国などに輸出
◇と畜場への販売価格の決定要素は、年齢、品種、体重など
●インドの食肉輸出にはプラント登録委員会の認定を経て、農産・加工食品輸出開発機構(APEDA)への登録が必要。登録証明書の有効期限は1年間 3 インドの食肉関連産業
●宗教上の理由とそれに伴う食性などの関係から、インドの食肉関連産業はいまだ限定的な産業。従事者の多くはイスラム教徒
●食肉関連企業は一般に私企業が多く、州政府などの関与するものは例外的
●食肉の消費習慣に比較的なじみがあるのは、キリスト教徒の多いケララ州など南部諸州
●「鳴き声以外はすべて製品にする」といわれるほど、畜産副産物は有効利用され、皮革などは有力な輸出製品
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1 はじめに
2005年12月、インド共和国において酪農・乳業事情に関する基礎調査を実施した(本誌海外編2006年4月号グラビアおよび同年5月号特別レポート参照)。その調査報告会の席上、畜産関係者から「農家は、乳牛や水牛を新規に導入または更新する際、どのような方法で購入するのか。」と問われたが、明確な回答をすることができなかった。同調査では、そもそもインドの酪農家などで飼養されている牛や水牛が「どこから来て」、最後は「どこへ行くのか」といった基本的な事柄に対する疑問が解けないままであったのである。
その後、2006年10月に関係各位の協力を得て、再びインドを調査する機会に恵まれた。ここでは、懸案の牛および水牛を主体としたインドの家畜・食肉流通などの実態を明らかにしようと努めた。調査の概要を2回に分けて報告するが、前述のような経緯から、前編は本誌海外編2006年5月号に掲載した「巨大な可能性を秘めたインドの酪農」の続編または補論としてお読みいただければありがたい。
今、世界の乳製品市場は、中国をはじめとするアジア諸国などからの強い需要に対して、豪州の干ばつなどの影響もあって供給元が非常に限られてしまい、脱脂粉乳、全脂粉乳などの国際取引価格は史上空前の高値を更新し続けている。このため、競争力が増したEUのほか、米国および南米からの供給も限定的とされる中、乳製品供給国としてのインドの存在感が高まっているという背景もある。
1 牛・水牛はどこから来るのか
インドには、全世界の14%を占める約1億9千万頭の牛と、同じく約6割を占める1億頭弱の水牛が分布している。このうち、一般に雄は牛・水牛とも去勢されて役用に、雌は搾乳用(牛・河川型水牛)または役用(沼沢型水牛)に供されることが多く、初めから肉用として飼養されている牛・水牛は、一部の例外を除いてほとんどないといわれている。
図1 世界の牛の飼養頭数(2005年)
図2 世界の水牛の飼養頭数(2005年)
1.牛・水牛の導入ルート
農家などが搾乳や役用などに供するために牛や水牛を導入する場合、その入手経路として、一般には以下のようなものがあるといわれている。ただし、生体・精液などその形態を問わず、いずれの導入ルートとも、価格決定も含めて相対取引が主体であり、競りを行うヤードや指標価格のようなものがあるわけではない。
(1)州政府の家畜登録情報へのアプローチ
インドは連邦共和国であることから、中央政府=国の任務は政策や方針の枠組みを作り上げることであり、一般的に農政を含め、具体的な施策や実行は州政府の手に委ねられている。
これら州政府の畜産部局には、高能力の牛・水牛の登録制度があり、こうした登録牛・水牛の導入を希望する農家などは、各州政府の登録情報を参照し、家畜の所有者にアプローチして相対取引を行う。
高能力の具体的な定義・基準や、登録が義務化されているかなどの点については、残念ながら情報を得ることができなかったが、インドは広大な国土を有し、地域によって自然条件や家畜の種類・品種の分布、能力なども大きく異なるであろうことなどを考慮すると、これらの点についても、州ごとに異なる部分が多いのではないかと推察される。
(2)ローカルマーケット(キャトルフェア)
インドには、村単位などで月1回または週1回などの頻度で定期的に開催される家畜市場が、全国に約2千カ所あるといわれる。運営はローカルボディ(localbody)、すなわち村の有力者からなる委員会(ただし、デリーの場合はデリー市当局)や協同組合組織などが担当し、州政府などは場所の提供など若干のサポートをすることはあるものの、基本的には私設のマーケットである。南印ケララ州パラカッド(パルガート)には、毎週土曜日に7千頭規模で開催されるキャトルフェアがあるという。
この家畜市場は、一般にローカルマーケットまたはキャトルフェアなどと呼ばれ、夜明け前から開催され、朝食どきまでには終了してしまうものが多い。マーケットには牛・水牛を所有する農家や、農家から家畜を買い受けた家畜商、あるいは手数料を得て農家から売買を委ねられた仲介人などが牛や水牛を徒歩またはトラックなどで伴い、購入希望者と売り手との相対交渉によって家畜の取引が行われる。従って、家畜市場といっても、日本などのように、買参人が一堂に会して競り売りが行われているわけではない。
タミルナードゥ州パトゥコッタイ郊外のキャトルフェア
(3)精子バンクなどへのアプローチ
家畜改良施設や精液ステーション(semen station)など、凍結精液の供給元に購入希望者がアプローチする方法である。
インドには、中央政府が統計値として把握しているものだけで、精液生産センター(semen production center)が全国に68カ所(うち州立47)、凍結精液バンク(frozen
semen bank)が同152カ所(うち州立98)、人工授精センター(artificial insemination center)が同5万2千カ所(うち州立3万7千)など、全国各地に繁殖関係の施設が点在している。カルナータカ州都のベンガルール(旧バンガロール)には、農業省直轄の精液センター兼トレーニングセンターであるCentral
Frozen Semen Production and Training Institute が所在する。
インド農業省の関係者によると、人工授精センターについては、実際には全国に約6万5千カ所あるとされ、うち6割が州政府の所有であり、残り4割が協同組合や民間団体、あるいはインド酪農開発委員会(National
Dairy Development Board:NDDB=インドに7つある中央政府関係組織(Authorities)の1つで、NDDB法により65年に設立)などの所有とされる。
ただし、インドにおける牛や水牛の人工授精の実施割合は、地域によっては100%近いところもあるものの、全国平均では牛で3割以下といわれ、農業省の統計から試算した牛・水牛の合計では2割程度と推測される。また、インド農業調査研究会議(Indian
Council of Agricultural Research:ICAR)の関係者によると、人工授精による産子の割合は牛で約2割、水牛では5%程度にすぎないともいわれている。
なお、受精卵移植(embryo transferまたはegg transfer:ET)については、インドではまだ技術的・金銭的に試験段階にとどまっており、現場では、一部を除きほとんど実用化されていないといわれている。
表1 インドの家畜繁殖関係施設数(2006年)
(4)その他
これらのほか、近隣農家で未去勢の雄牛が飼養されている場合に、その雄牛を所有農家から借りたり、あるいは自らが飼養している雌牛を雄牛のいる農家に伴って交配させるケースなどもあり、一部には種雄牛を伴って近隣を巡回し、手数料を得て交配させる業者などもいるという。
2.牛・水牛の取引価格の決定要素
インドでは、牛・水牛飼養の主な目的が生乳生産であることなどから、その取引価格の決定に当たっては、乳量が最も重要な要素となっている。取引の実際に当たっては、時として、確認のために購入希望者の面前で搾乳を行うこともあるという。このほか、品種や血統、年齢なども価格に影響を与える要素となっている。
農業省の関係者によると、インドでは、牛・水牛は1頭5千ルピー(約1万5千円:1ルピー=2.9円)、加算分として1日当たりの生乳生産量1リットルにつき2千ルピー(約5千8百円)というのが1つの大ざっぱな目安とされているという。つまり、日量10リットルの生乳を生産する牛・水牛の場合、5千ルピー+2千ルピー/リットル×10リットル=2万5千ルピー(約7万3千円)というのが目安の価格で、これに品種や血統、年齢などの要素が加わり、取引価格が決定されることになる。ただし、これはあくまでも大ざっぱな目安であり、前述したように、牛や水牛など家畜の指標価格があるわけではなく、すべては売買当事者の相対交渉によって決定されるものである。
なお、一般的には去勢されて使役に供用される雄牛・水牛に関しては、農業省関係者は、ローカルマーケットなどで相対取引されることが多く、力の強いものが好まれる傾向にあるものの、具体的な価格決定要素についてはよくわからないとしている。
2 牛・水牛はどこへ行くのか
1.牛・水牛の供用状況
インドの在来牛であるゼブ牛(Bos taurus indicus)には、国内に30前後の品種が分布するといわれる。しかし、実際にインドに生存している牛のうち、品種と呼べるものは全国に分布する牛の2割弱と見られており、8割以上は系統・品種不明の雑種(Non-descript)といわれ、年間の乳量水準は1頭当たり400〜500キログラム程度にすぎないとされる。
一方、水牛については、東南アジアや中国南部、台湾、日本(沖縄)などに分布する小型で役用主体の沼沢型(Swamp Type:染色体数2n=48)とは異なり、ほとんどが搾乳を目的に飼養されている河川型(River
Type:同2n=50)のものである。国立中央水牛研究所の関係者によると、約3割といわれる雑種を除き、インドではムラー種やニリ-ラビ種など純粋種の占める割合が大きく、年間の乳量水準は1頭当たり1千〜2千キログラムと、在来牛の8割以上を占める雑種牛の2〜3倍以上である。
荷車を引く去勢雄牛(タミルナードゥ州)
これら牛・水牛は、前述したように、インドでは基本的に生乳生産を主目的に飼養されているもので、肉用として改良されたものは、輸出向けの食肉生産のため、関係企業などと契約生産している農家で飼養されているものなどを除けば、極めて例外的であるといわれている。そして、搾乳ができる限りは生乳生産に供用し、少なくとも8産(11〜12歳)程度までは利用されるのが普通であるという。役用の去勢雄牛・水牛についても、6〜8年くらいは使役に供用されるのが一般的とされる。
2.引退した牛・水牛の行方
ヒンズー教徒が8割以上を占めるといわれるインドでは、宗教上の理由などから、法令(Cattle Preservation Act あるいは
Preservation Cows Slaughter Act など州によって名称・内容などに差がある)によって牛のと畜が禁止されている州がほとんどである。このため、搾乳や使役などの用に耐えなくなった牛の多くは、全国に散在する牛の養護施設(キャトルキャンプ)で余生を過ごす。
表2 インドの Gaushala(キャトルキャンプ)数(2006年)
このキャトルキャンプは、現地ではインドの古典言語であるサンスクリット(梵語)読みで Gaushala またはGoshalaと呼ばれている。Gau
または Go はサンスクリット語で牛(特に雌牛)を意味し、Shala は聖域、保護区域を意味する言葉である。経営形態は、州立のものから寄付を募って運営している慈善施設のようなものまで、実にさまざまあるようであり、単なる老廃牛の養護施設にとどまらず、子牛も含め、疾病牛や捨てられた牛、放浪牛・迷子牛などの保護も行っている。統計上は3千余であるが、数値なしとしている州などもあり、インド農業省の関係者によると、実際には4千ほどあるものといわれている。
これに対し、水牛は「牛」ではないことから、搾乳、使役などに供用できなくなったものは、と畜場へ搬送される。水牛肉は、国内のイスラム教徒やキリスト教徒、シーク教徒などによって消費されるほか、一部は東南アジアや湾岸諸国などに輸出されている。
インドにおける牛のと畜をめぐる問題は、単に宗教的な側面だけでなく、政治的要素も大きいといわれる。現在、インドにおいて「公式に」牛のと畜が許可されているのは南西端のケララ州のみであるが、同州ではヒンズー教、イスラム教、キリスト教などが友好的に混在しているとされ、かつ、革新的な政党が強いことなどが背景にあるといわれている。また、ケララ州は、肉食には特に規制のないキリスト教徒が多く、宗教別人口統計がとられた最後の国勢調査である91年時点で、州人口の19.3%(インド全土では2.3%)を占めていることなども要因の1つと考えることができる。現地での話によると、州内最大の都市コーチンでは、大ざっぱな概念として、キリスト教徒が人口の約4割を占め最多であり、ほかにイスラム教徒が約25%、ヒンズー教徒が約35%などとなっているという。
このため、インドで唯一、公式に牛のと畜ができるケララ州には、近隣各州などから牛や水牛が毎日トラックなどで運び込まれ、食肉あるいは食肉加工品となって州内外へ流通、消費されている。
ケララ州へと搬送される水牛(タミルナードゥ州)
しかし、インド農業省の統計において、公認のと畜場数が5千5百カ所余であるのに対し、非公認のと畜場数がその5倍近くの2万6千カ所弱にも上ることからもわかるように、実際には、全国で非公式に行われる牛や水牛などのと畜もかなり多いといわれる。この農業省の統計数値についても、国内で唯一、牛の「公式な」と畜が許されているケララ州(州政府の関係者によると、同州内には51カ所のと畜場があり、すべて州政府系のものとされる)をはじめ、州などによっては数値なしとしているところもあり、特に非公認のと畜場数に至っては、7割近い州および直轄領が数値なしとしていることから、非公式に行われていると畜については、実際には相当数に上るものと思われる。
表3 インドのと畜場数(2006年)
例えばカルナータカ州の州都ベンガルール(旧バンガロール)では、ステーキハウスで同市のローカルミートが堂々と卓上に供され、しかもそのステーキハウスが市内でも人気の店としてにぎわっているほか、市内の食肉小売店でも、同市のローカルミートが加工・販売されている(本誌海外編2007年4月号グラビア参照)。
また、首都デリーやタミルナードゥ州の州都チェンナイ(旧マドラス)など大都市では、「バンガロールビーフ」がインドのおいしい牛肉の代名詞となっているなど、広大な国土を有し、多種多様な人種・宗教などが混在しているインド国内では、食肉に関しても建前と実態との間にかい離が間々見られるのである。
なお、農業省によると、と畜場への売渡価格は、年齢や品種、体重などが重要な要素となっているという。 3.死亡牛・水牛の処理
死亡した牛や水牛については、処理施設の整った都市部と農村部とでは、自ずと処理方法が異なってくるので、以下それぞれについて記述する。
(1)都市部
大きな町には死亡獣畜処理場(Carcass Utilization Center または Dead Animal Hygienically
Treatment Center)があり、一般の死亡牛・水牛などについてはここで処理される。ただし、感染症またはその疑いがある場合などは、焼却センター(Incineration
Center)で処理される。
もっとも、インド農業省の統計では、公表されている死亡獣畜処理場の数が全国で17カ所しかない。もちろん、インフラ整備が途上にあることも一因であろうが、そもそも不完全ながら数値が報告されているのは7州・直轄領のみにとどまり、8割もの州などが数値なしとしていることから、その設置の実態については不明な部分が多い。
表4 インドの死亡獣畜処理場数(2006年)
(2)農村部
インド農業省によると、近隣に処理場のない農村部では、死亡牛・水牛を村の外など非居住区へ運び、そのまま放置してハゲワシ(vulture)などに食わせているという。その際、水牛の場合は皮をはぎ、副産物として別途利用するが、牛の場合は宗教上の理由などもあって、はく皮せずに放置するという。放置後、およそ30分程度で骨だけになるということである。
ただし、感染症またはその疑いがある場合などは穴を掘り、消石灰(水酸化カルシウム)を散布して埋却される。
インド・デリー市内のミルク販売
1‘Mother Dairy’(インド酪農開発委員会=NDDBのブランド)直営販売所
所在地:Chanakya Puri, New Delhi
直営販売所には自動販売機と対面販売コーナーの両方がある。
自動販売機によるToned Milk(乳脂肪率3.0%、無脂乳固形分8.5%)のバラ売り価格は500ミリリットル当たり8ルピー(約23円)、対面販売所でのポリ袋入りPasteurised
Full Cream Milk(乳脂肪率6.0%、無脂乳固形分9.0%)の販売価格は同11ルピー(約32円)、同じくポリ袋入りFlavoured Milk−UHT
Sterilized Double Toned Milkは同18ルピー(約52円)であった。
2 乳牛、水牛からの生乳等直売店(ミルクスタンド)
所在地:Kotla, South Delhi
デリーの下町のミルクスタンドでは、オーナーがスタンド前の川原など周辺で水牛や乳牛を飼い、直接搾った生乳、自家製ヨーグルトを販売している。購買者は容器持参で量り売りしてもらう。ミルクの販売価格は1キログラム当たり17ルピー(約49円)であった。周辺環境はかなり不衛生。
(以上、国際情報審査役付上席調査役 河原 壽、調査情報部調査役 廣垣幸宏による2007年2月16日調査)
(以下、次号に続く) |
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