調査・報告

北海道に新規入植した3人の多様な酪農家の経営と理念
〜ゆとりある生活スタイルとマイペース酪農業を追い求める座談会より〜

畜産・飼料調査所 御影庵 主宰 農学博士 阿部 亮
(座談会参加者(敬称略):大沢憲数、西郷穂高、宮地晋也、
 調査情報部 情報課 江原枝里子、調査課 藤井麻衣子)



1.はじめに

 多くの読者の皆さんは、酪農家の「家」のこと、すなわち経営者が酪農業に従事するに至った経緯を案外ご存じない。一般的には、酪農家には世襲の人と、新規入植の人がいるが、今回、ここに紹介するのは、東京都、千葉県、高知県から、北海道上川郡清水町(以下、「十勝清水町」という)に入植した3人の酪農家である。3人の酪農経営方針は、その規模と形態がそれぞれに異なるが、「北海道と牛が大好き」という点では、一致する。

 我々が酪農について議論する場合、その前提になるものは、酪農家が酪農経営の中で、経営理念や、その経営理念に基づいてどのように行動するかが重要かつ大切なことであると考えている。

 この座談会は、平成21年11月5日に、十勝清水町の筆者宅「御影庵」に、作業の合間にお集りいただき、お話いただいた。
和やかな雰囲気の中で行われた座談会(御影庵にて)
●3人の酪農家のプロフィール●

西郷穂高さん(東京都出身、55歳)


 東京の大学を卒業後、しばらく畜産関係の勤めをし、平成3年に十勝清水町で酪農を始める。

 十勝平野の平坦地に位置し、現在の自家所有地面積は26.9ヘクタール、借地が12.2ヘクタールある。自給飼料生産は、1番草(チモシーとアルファルファの混播)が9.0ヘクタール、2番草サイレージが21.2ヘクタール、サイレージ用トウモロコシが3.2ヘクタール、そして、放牧地が2.5ヘクタールである。

 乳牛の頭数は全体で140頭、その中で搾乳牛は15頭と少なく、育成牛が125頭、和牛の雌が3頭である。平成20年の出荷乳量は105トン、搾乳牛1頭当たりの乳量は6,800キログラムである。

大沢憲数さん(千葉県出身、53歳)

 北海道の大学を卒業して2年後、十勝清水町に入植して酪農を開始する。 自家所有地は日高山脈の日勝峠を清水町側に下る道路に沿って広がる。面積は72ヘクタール、チモシーをサイレージ用に58ヘクタール栽培し、放牧地面積は14ヘクタールである。 乳牛の総頭数は120頭で、搾乳牛頭数は80頭である。平成20年の出荷乳量は580トンで、搾乳牛1頭当たりの乳量は8,000キログラムである。

 平成20年の秋に、隣家の牛舎作業の手伝いをしていた際に、牛舎の半地下で酸欠事故に遭い、入院加療された。奇跡的な回復をされ、平成21年11月現在、仕事に半ば復帰している。入院加療の期間中、そして今も、法学部に進学している子息が休学して、酪農経営を助けている。

宮地晋也さん(高知県出身、48歳)

 東京の大学を卒業して、東京で2年間、地元に戻り高知県で4年間勤めた後、平成3年に十勝の中札内村で酪農ヘルパーを1年間行った。その後、平成4年に十勝清水町に入植。

 日高山系剣山の裾野に45ヘクタールの自家所有地を持ち、放牧と採草に利用している。放牧専用の面積は20ヘクタールである。

 乳牛の総頭数は70頭で、搾乳牛38頭、中に8頭のブラウンスイス種を飼養する。平成20年の出荷乳量は140トンで、搾乳牛1頭当たりの平均乳量は4,000キログラムである。



2.座談会

阿 部(司 会):本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。今回の座談会のテーマは、北海道に新規入植された皆様方の様々な酪農経営と理念について、お話を進めていきたいと思います。酪農経営の動向につきましては、近年小規模層を中心に減少しており、21年は前年比▲5.3%も減少しており、大規模化が進んできております。そこで最初に皆さんの酪農経営の特徴とこだわりについてお話し願いましょう。西郷さんはいかがですか。

進行役の筆者(阿部)
(1)経営の特徴、こだわり

西 郷:私の所は次第に搾乳牛頭数が減ってきて、子牛の育成と販売の方に力が入ってきています。そのうちの一つは市場から子牛を購入し、育成して種を付け、初妊牛の孕みで市場に再出荷するというのと、二つ目は新潟県が中心なんですが、内地の子牛をお預かりし、大きくして妊娠させてお返しする、いわゆる預託事業をやっています。また、今は和牛の繁殖牛飼養の準備をしています。受精卵を使って、和牛の雌を増やし、それを基盤として黒毛和牛の繁殖を行って行くという仕事です。これは、今、始めたばかりで、勉強しながらというところですが、これからは次第に、そちらの方向へも力をいれてゆくつもりです。
西郷さん
司 会:西郷さん、府県とのお付き合いはどのようなきっかけで始まりましたか。また北海道と府県の牛との違いはどうですか。

西 郷:新潟県の場合には、最初は個人的なつながりから始めたのですが、今は酪農新潟農協経由で決済をやっています。5戸の酪農集団が対象ですね、預託料金は1日あたり500円で、他の所よりも安くやっています。いくら利益を上げるかは、飼料費の工夫ですね。府県から牛をお預かりした時、一番先に感じるのは、粗飼料を小さい時から喰い込んでいないな、ということです。牛が小さいときに粗飼料を飽食できない、それが胃袋や骨格の成長に負の形で効いてくる。そういう意味で、内地の土地面積が狭いところの牛を、北海道にいる我々がお預かりする役割はあるのかなと思っています。

司 会:西郷さんは今後は多角経営の方針のようですが、高度な技術力が必要な受精卵移植はどなたがするのですか。

西 郷:自分自身でやります。人工授精師をやっていましたから、受精卵は上士幌にある全農のETセンターから購入します。乳牛に黒毛和種の精液の人工授精をしてF1を作ったり、受精卵移植をして黒毛和種の子牛を作ったりという酪農家はいますが、私のように、経営的に黒毛和種の繁殖牛を持とうとする酪農家も少しずつ増えてきているようです。今は3頭しかいませんが、乳牛への労働配分を考えながら、20〜30頭はやりたいですね。
西郷さんの牧場牛舎外観
司 会:大沢さんの経営状況はいかがですか。

大 沢:私のところの経営は十勝のほぼ平均的な姿だと思います(酪農家プロフィール参考)。

司会:宮地さんのところはいかがですか。

宮 地:放牧を中心として、基本的には私一人でという形でやっています。夏場ですと、朝の搾乳が終わって、後片付けをして、牛を放し、牧草調製の作業をして、夕方、牛を迎えに行って、搾ってということですね。労働時間はかなり長くなっていますが、それほど苦痛には感じていません。女房には育児や家事の他に、子牛の世話をしてもらっています。他の酪農家とはいろいろ違ったことをやっていますが、「バランス酪農」といって、本来の自然バランスをとるようにし、自然の力を最大限活用するものです。まず、薬は出来るかぎり使わないようにしています。抗生物質は、例えば手術をして化膿する恐れがあるとき以外には使用しません。乳房炎でも抗生物質は使いません。ホルモン剤も一切止めています。基本的には、牛の健康状態を良くすることで免疫力を付けて病気にかからないように、かかっても、自力で牛が治せるように、そういう考えでやっています。未だ、途半ばなので、理屈どうりには行っていませんが、以前に比べると、健康状態は良いですね。産後の第4胃変位(ガスの貯留などにより膨張し、第4胃が正常な位置とは異なる所に位置する)が時々あるくらいで、放牧で健康的に飼っているので疾病は殆どない状況です。乳量的には、4,000キログラムという、今の日本では、ちょっと考えられない低い乳量ですが、これは、別に4,000キログラムでいいと考えているのではなくて、5,000〜5,500キログラムにしたら、経営的にも楽かなと思っています。経営は収支の面では、結構きついですね。
2番草刈り取り後の宮地さんの放牧地
(2)飼料生産

司 会:近年は輸入粗飼料の高騰で、酪農経営は厳しい状況にありますが、続いては皆さんの飼料生産や食品製造副産物の利用について、こだわりや工夫などありましたらお話しを聞かせて下さい。

西 郷:私の所では自給飼料の調製で近隣の5件の酪農家と共同で利用組合を作り、牧草サイレージとトウモロコシサイレージの調製作業をやっています。調製経費は地域のコントラクターを利用した場合の半分くらいで済んでいて、私の経営のコストの面で大きな力となっています。自走式ハーベスターや、その周辺機械は平成12年に国の50%補助で整備しています。また、飼料高で食品製造副産物の利用が見直されているようですが、もともと、私の所ではビール粕や醤油粕、北海道ならではの生ビートパルプを使って来ましたが、来年以降はデンプン粕を使ってみたいなと考えています。飼料価格については、自給飼料では共同作業で調製経費が安くあがっているのと、食品製造副産物の利用によって人並み以下の単価でやってゆけているように思います。

 また、私は、結構広い面積での借地をしているんです。例えば、2番草は要らないよという酪農家もいるんです。1番草は栄養価も高くて牛の嗜好性も2番草よりも良いものですから。そういう人の土地を借りて2番草をサイレージに調製しています。これも私の牧場の飼料生産の特徴かもしれませんね。

大 沢:私は牧草のサイレージ調製は全てコントラクターに任せています。自分でやっていた時には人を雇わなくてはいけないとか、本当に大変でした。コントラクター組織が出来て、その最初からお願いしていますが、この10年は楽になりました。昔は、草の処理で、なりふり構わずという状況でしたから。一人でやっていた時には、一番草の収穫・調製には一ヵ月くらいかかっていたのですが、今は1日ちょっとで終わってしまう。2番草は1日で終わります。1日、40ヘクタールをやってしまいます。刈り取りの希望日を申し込むのですが、希望日に来なかったら、まけさせるんですよ(笑)。仕事はバンカーサイロのシート掛けまでやってくれます。こちらは、何もしなくてもいい。一番草の場合には、前の日に刈って、次の日にロールに巻きます。低水分サイレージですね。

 出来上がったサイレージは、品質が良く、均一ですね、短期間でやりますから、遅刈りになってしまう部分がない。実際に飼料分析に出しても、畑の違いはなく、一緒ですね。それが、牛の栄養管理に対しても効を奏しています。

 食品製造副産物については、トウフ粕(「畜産の情報」2008年12月号〔http://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2008/dec/spe-01.htm〕にて紹介)を使っていますが、私の経営には栄養面で必要不可欠です。限りある物ですから、自分のところのものは確実に確保したい。以前ですが、一度に、他の酪農家がカネにモノを言わせてどんどん持ってゆき、困ったことがありました。

 また、私は栄養設計についてはコンサルタントの方にお願いしています。月に一回来てもらっています。粕類を使うということについて、そのコンサルタントの人も初めての経験だったようです。
大沢さん
宮 地:草地の利用は採草と放牧ですが、放牧は草のある時には一牧区、1ヘクタールに仕切ってやってますが、秋以降、草が少なくなると、4〜5牧区を併せて広くして放しています。放牧で草地を回しながら、採草もやっているのですが、私の所は皆さんの所と違って、一人でやっています。モアコンデショナーで刈って、ロードワゴンで拾い集めて、スタックサイロで貯蔵しています。スタックの良いところは、大きさが自由に出来るという点ですね。雨が降ったら、そこで閉じてしまえばよい。バンカーサイロは目一杯詰めてしまわなければ閉じられませんから。一人ではとても無理なんです。ですから、一人で作業をする体系としては、今の方法が一番良いかなと考えています。

 ただ、問題は、時間がかかることで、一番草は仕事を開始して終わるまで、約一カ月はかかってしまいます。天気の悪い日もあり、一日中、牧草作業にかかっているわけにもいきませんから。

 私のところは基本的に放牧ですから、牧草では足りない分を食品製造副産物で補っています。ビートパルプ、デンプン粕、酒粕と、近くのエサ屋さんで作ってもらっているカボチャサイレージです。これはカボチャの加工工場で排出されるワタとか、端っこの小さなカット片をミキサーにかけ、これにビートパルプを入れたり、規格外の小麦を入れたりして調製されているものです。キログラム当たり25円と少し高いのですが、栄養価もあり、甘くて牛の嗜好性がいいものです。

 また、私のところでは、輸入モノは使用しないようにしています。そして、人間の食べるものとできるだけ重ならないものということで、トウモロコシとか大豆は使いません。牛が利用できる牧草を中心として、足りないものを副産物で補うという考えです。トウモロコシを給与して、乳量が上がったとしても、それは少し違うのではないかという考えでやっています。草食動物である牛が草を牛乳に変えてくれるところに酪農の価値や魅力があると思います。
大沢さんの牧場牛舎外観
(3)経営状況

司 会:みなさまの経営上の工夫により生産費を減少させたり、飼料へのこだわりなど、各経営において努力されていることががよくわかりました。それではこれらのこだわりを反映した経営状況についてはいかがでしょうか。

西 郷:当初の負債と、それ以降に必要最小限の機械の導入、さらに土地の買い増しによる出費と収入の収支では、酪農を初めて20年近く経とうとしているんですが、経営改善の兆しが見えない。改善の見込みは持っているんですが、厳しい状態が続いています。

 労働配分については、今から7〜8年くらい前になるのですが、女房と、我々は一年間にどのくらい働いているのだろうかということで、調べてみたことがあるんです。日々のルーテンワークと収穫時期の仕事時間を計算していったら、3,500時間くらいになりました。もちろん、牛舎を修理したり、建て増ししたりという時間も入れてですけれど、公務員の実質労働時間の3人分くらいは、2人で働いているという実感がありましたね。今は、搾乳牛が少なくなって、少し事情は変わってきました。

 やはり、一代で農業経営を始めて、左団扇で、花や芝生に囲まれた家で住むというのは不可能かなという感想をもっています。

大 沢:西郷さんの話にも関連するのですが、経営というのは段々と、徐々に良くなるのではなくて、ある時に急に良くなるんですよ。私も入植して20年くらいまでは、それこそ、コントラクターも無かったし、忙しい割には出荷乳量も少なかった。借金が20年経って無くなって、その時にトラクターも買えるようになったし、農機具も中古だけれども買えるようになりました。やはり、借金がなくなると、楽ですね。入植して10年間は返済金も大体300万円くらいだったのですが、本格的な返済が10年後から始まったら、580万円くらいになりました。返済が終わると、その分がまるまる残るわけです。西郷さんも、ある時、急に楽になるんですよ。

 それから、違う話ですけれども、家庭内の働き手の関係ですね。これが重要です。 もう亡くなられた普及所の先生が、昔、よく言っていました。酪農家の夫婦が、カメとウサギの組み合わせが最高に良いと、カメとカメではつぶれる、ウサギとウサギの組み合わせは、喧嘩をしながらもうまくやっていくというんです。それと、私の周りをみていると、息子とオヤジとの仲が悪い所は、つぶれてしまいますね。オヤジが死んで、「ああ、父は大変だったんだな」と分かっても、その時にはもう遅い、間に合わない状態になってしまっているんですね。

 私は、私の事故で、今、息子が帰ってきてくれていて、これから、復学するか、退学して酪農家になるのか、その境目にあるものですから、自分の家のこととして、父と子の付き合いについて考えますね。

司 会:大沢さんのところでは、「経営の視野がパーッと広がった」とおっしゃっていましたが、それは何が原因だったのでしょうか。

大 沢:それまで、300トンくらいの出荷乳量がある時に、400トンになって、乳量が増えたことで、負債の繰り上げ償還ができたのですよ。それで、それまでの580万円の返済分が収入として残るという構造になりました。

司 会:「300トンが400トンになった」というのは搾乳牛の頭数が増えたのですか。

大 沢:頭数も増えたのですが、さっきも言いましたように、飼料の配合などを替えたことも大きな理由だと考えています。

司 会:宮地さんのところは、乳量を今の4,000キログラムから5,000〜5,500キログラムに上げたいとのことでしたが、どのような努力をされていますか。

宮 地:私も最初は放牧をしながら、配合飼料を6〜8キログラムやっていたんですよ。それで、乳量も一頭当たり8,000キログラムくらい搾っていて、40頭くらいの乳牛で、全体で350トンくらいの出荷乳量で、経営にゆとりがありました。

 しかし、自分の酪農理念として、それをやめた。配合飼料をゼロにして、一時、出荷乳量が全体で80トンにまで下がりました。そこから、先ほども話しましたが、今の飼料構造になって、140トンくらいになりました。自分の作った飼料基準で、4,000キログラムくらいになったのですが、それを5,000キログラムくらいにすることは、出来るのではないか、その方法は多分ある、と思っています。今までの過程で、一番こたえたのは、繁殖にくることですね、配合飼料を切ってしまいますと。段々と牛の方が飼い方に慣れてきて、乳量が低くなりながら、繁殖は上向きになってくる。牛は健康なんだけれども、栄養素が牛乳の方に取られてしまうんですね。難しいですよ。
宮地さん
司 会:4,000から5,000キログラムへというのは、単純に計算すると、305日の搾乳日数で、1日当たり3キログラム程度のアップですよね。そんなに無理な話ではない。例えば、一カ月かかっている牧草の収穫期間を短縮して、良質のサイレージを作るとか。

宮 地:それは確かにありますね。確かに、牧草は刈り遅れ気味ですので、その要素は大きいですね。一カ月間も朝から晩までというのは考えなければならないですね。また、収穫機械の維持管理とか、更新にも費用がかかりますからね。

大 沢:コントラクターに見積もりをしてもらって、検討したらいかがでしょうか。



(4)衛生対策


司 会:次に、乳牛の疾病や衛生対策については、現場の抱える課題は何でしょうか。

西 郷:18年間、酪農をやってきて、搾乳牛の疾病、特に乳房炎と周産期疾患には、もうへきえきしています。近い将来、搾乳牛の飼養をやめようかと考えている理由の一つがこれです。一方、繁殖については、私は人工授精師の仕事を長くやってきましたから、いろいろな工夫もしてきて、特に大きな問題は抱えていません。

大 沢・西郷・宮地:体細胞数の問題が、どこの酪農家の問題としてありますね。乳牛の寿命が短くなっている一因だと思います。体細胞数は乳牛のとう汰の第一の要因ですね。そうでなければ、牛はずいぶん長く飼えます。体細胞数を生産調整の手段に使われると厳しいですよ。30万個を超えるとペナルティが発生します。乳等省令にもないそういう自主規制が行われています。体細胞数が厳しいものですから、治療しなくともよい乳房炎にまで抗生物質を入れてしまいます。そして、混入事故があった牛や、抗生物質が効かなくなってしまった牛は廃用になってしまいます。



(5)牛が消耗品になることへの危機感


江 原:牛乳の出荷に関して、消費者目線を意識するようなことについてはいかがですか。

大 沢:宮地さんの牛乳はただ、出荷するだけではもったいないから、チーズを作って出したらいいんじゃないですか。そして、インターネット販売をして差別化をすればいい。

宮 地:それは一時考えたことがあるんですけれど、なかなか、初期投資とか大変なんですよ。自分が食べるだけ作るのはいいんですが、売るとなると、やはり、それだけの施設が必要ですから。

西 郷:宮地さんのところは抗生物質は使わないし、遺伝子組み換えの飼料原料も使っていない。しかし、集乳車のなかで、他の家の牛乳と混ぜられてしまって、宮地さんの努力が報われていない。特色ある牛乳を出そうとしても、それだけを出せない。ブラウンスイスもいるんですしね。差別化が図られずもったいない。消費者もそのようなものを求めている方もいるんじゃないかな。

宮 地:何軒か集まればいいんですが。放牧ということでくくれば、ある程度は集めることはできると思います。また、自分がプラントを持って、牛乳を販売するとなると、1リットルが500円とか600円とかになってしまう。今の経済状況では、そのような牛乳がコンスタントに売れるとは思わない。

 それから、消費者への意識ですけれども、それは当たり前のことではないかと思います。ヒトの口に入るものを生産するわけですから、出来るだけ品質の良いものを、安全なものを安心して口に出来るものを生産する。そこをいい加減にしてやるというのはプロの農家の意識としてはどうかと思いますね。ただ、それが、自分として完全に出来ているか、自問することはありますけれど。

 しかし、一般的に言って、酪農現場からすれば、やはり経営を一番に考えた場合、効率性などを優先するということはあるのかもしれませんね。

 それから、見かけの乳質、すなわち数字が低ければいいという価値基準でやっていますね。体細胞が高い牛はとう汰してしまえばいいと。初産、二産のものはそんなに、乳房炎にはかからないから、そういう牛が多くなって、牛の寿命がどんどん短くなって、そいうことがあるから、多頭化して、回転がものすごく速いですよ今は。そういう状態が酪農の現実の姿としていいのか、という疑問があります。

 参考までに、生乳は高成分・高品質を求めるに従い、乳質改善の向上策として、(1)風味の向上、(2)成分を高めた衛生的な乳質への改善、(3)牛舎や牛乳処理室などの生産現場における環境衛生の改善、(4)乳用牛の健康管理の改善が求められるようになりました。その結果として乳脂肪率、無脂乳固形分、細菌数では世界でもトップクラスの品質を維持していると言われております。その中で体細胞については、ランク1〜4区分に、体細胞数(万/?)が10未満、10−29、30−99、100以上とされています。

西 郷:コストを下げるためには、規模を大きくして、牛は消耗品として不具合があれば廃棄してしまうという流れは、今後も変わらないのではないかと危機感を感じます。

宮 地:見かけの品質というのは、数字を抑えればいいということです。ですから、生菌数でも、器具や乳房の洗浄をする場合、強力な洗剤、強力な殺菌剤を使ってしまう。すると残留の問題や環境汚染の問題も出てきます。我々の酪農に対する思いと、現行制度下での現場対応には、かなりの乖離があると思います。我々の思いを消費者へ伝えることができないもどかしさがありますね。



(6)酪農基盤維持のための方策


司 会:所得補償制度も含めて、酪農基盤の維持についてのお考えをお聞かせ下さい。

西 郷:戸別所得補償というのは、私の経営では非常によいと思っています。ただし、賛否両論があって、大きくやる人の足かせになるというような意見もある。

宮 地:一番心配するのは、やる気のない農家もある程度所得を補償するということになると、適当にやっているところも含まれてしまうという懸念がぬぐいきれないということです。全体のレベルが低くなったり、切磋琢磨というようなことが無くなる恐れがある。ただ、うちみたいに経営が苦しいところでは、所得補償してもらいたいという気持ちはあり、公平性を保つ上で大変難しい。

西 郷:所得補償とは違う問題ですが、土地を集積してゆく場合の農地の所有の問題があります。とうの昔に営農を止めているのに、農地を所有している。その周りの人達が規模拡大するには借りるしかない。貸しておけば、毎年一定の借地料が入る。売って一時金を得るよりもいい。土地は目減りしないんです。

宮 地:買いたいけれど売ってくれないから、毎年払って、何年かすると、購入する以上の賃貸料になってしまう。

西 郷:そういうことが、この国の農業をどうするかということを考えていく場合の根っこにあると思います。

宮 地:我々のように新規に入ってきた人間というのは、土地を持ちたいという気持ちはそんなにない、農業をやれれば、ということで土地を所有したいという事ではありませんでした(他の二人も同感)。だから、農地というのは、農業をやりたい人が利用しやすい形であればいいんです。売ったり、買ったり、所有したりということが、難しいでしょうけれども、なくなるといいなあと思います。

 例えば、土地が高い所であれば、入植するときに2000万円とか、3000万円とかが必要になってしまう。その分だけでも無くなれば、もっと入りやすい。大抵の場合、サラリーマンから入ってくるのですから。最初に借金ありきが入植する時の最大のネックになるんですよ。また、適正な価格で売ってくれればまだいいんですが、離農した人の残債に見合う価格で買ってくれとか、そういう話しもでてきますよ。

司 会:新規入植者にとって、多額の借金を抱えての経営スタートは苦しいですね。土地を貸してくれる制度的なものはないのですか。

宮 地:いや、あります。北海道ではリース牧場事業というのがあって、入植する場合、土地とか、牛や、建物を5年間、貸し付けてくれます。開発公社が買ってくれたものに対してリース料を5年間払い、5年後に残存価格で買い取るという仕組みです。

 しかし、私は、先にも言いましたように、基本的には土地の所有というのがなくて、農業をやりたい人が自由に入ってこれるという仕組みがあればいいと考えています。

司 会:その場合、農協や自治体が土地をプールしておいて、農業をやりたい人が来た場合には、 安い価格で貸してあげて、農業勢力を維持するというような形ですか。

宮地:そうです。



(7)酪農の将来について


司 会:農業全般に言えることですが、農業者の高齢化が深刻な問題となっております。みなさん、まだお若いですが、将来のことを考えて、後継者についてはいかがお考えですか。

宮 地:後継者の問題ですが、私がそうで、多分、西郷さんもそうだと思うんですが、自分たち夫婦が望んで始めた仕事を、子ども達に継がせるという気持ちはないです。

大 沢:最初は私もそうだった。だけど、今、息子が私の事故で、大変だと思って帰ってきて、学校へ戻ってもいいんだけれど、楽しいと言い出しています。

西 郷:最近、「農家になりたい」という新書版を読みました。いくつかの例をルポしているのですが、野菜、花が主で、畜産なんかないわけです。読んでいてヒントになることも多くて面白かったんですが、裏返して考えると、家畜は非常に難しい。土地依存もあるし、カネの回転がものすごく遅いわけですね、特に牛の場合は、未来永劫、畜産はこの本のようにはならないのでは、と思いましたよ。

 北海道に新規に入った私も、ここにいる二人もそうですし、同じような知り合いが道内には何件もあるのですが、事業で「一儲けしたい、一旗あげたい」、というのではなくて、「北海道が好きだ」とか、「誰もいない所で牛を飼って生活したい」という、そっちの方向に軸足を置いて始めた人が多い。でも、事業を始めたら、やっぱり起業家としての方向に進んで行く人もいますけれど。それでも、この本のように、それで儲けて、立身出世ということには、畜産はこれからも、ならないと思いますね。

宮 地:「生活スタイル」ですよ。私もそうだったのですが、「北海道のような広い所で、牛を飼いながら生活したい」、そういうことが最初にあって、始めたものですから、「そこそこに生活が出来ていれば、その生活を楽しむ」という人が、多分、多いと思います。

 今、北海道でも、もうやりたくない、離農しようという人も多いと思うんです。一方で、北海道で酪農をやりたいという若い人達もいます。農家の数で言えば、今メガファームとかギガファームという大きな所もありますが、小さな農家がたくさんあった方がいいと思っています。多様性ですよね。出荷乳量が大きく伸びなくとも、その中で生活が出来て、それなりの生活水準で、生活にゆとりがあって、飼い方はそれぞれに工夫をしながらですね。皆が見て、「農家っていいなあ」、っていう、そういう生活ができればですね。やる人間が少なくなる産業って駄目だと思うんです。いくら集約化・大規模化してもですね。やる人がどんどん増えてゆく、そして活気があって、ゆとりがあって、傍から見ていると「楽しそうだなあ」と、それが理想かなと思います。



(8)仲間との情報交換

藤 井:
みなさん、大変仲が良く日頃から交流を行っているんだなと感じますが、他の酪農家同志の交流というのはどんな形でありますか。

大 沢:青年部とか親交会とかが、年に2〜3回ありますが、情報交換・情報交流というような形ではなく、親睦会ですね。それから、講習会というのがやはり、年に2〜3回ありますね。

宮 地:情報交流ということでは、改良普及センターには、得意な問題には解答するが、不得意なものについては、分からないではなくて、情報の収集、情報の整理を多面的に行って、全ての問題に対して広く対応する、あるいは、得意な所を紹介する、というような、機能を強化して欲しいですね。



(9) 北海道から都府県への粗飼料供給について


司 会:最後に北海道酪農には、都府県酪農に対して草資源の支援を行う余力があるかどうかをお尋ねします。

西 郷:北海道から内地へ牧草を供給する方法ですが、外国から来るようなビッグベール(400〜600キログラム/ベール)の体系ではなくて、北海道ではロールベール(およそ300キログラム/ベール)体系ですから、輸送コストのことを考えると、ちょっと、懐疑的になります。

宮 地:余力ということでは、今は、私は足りないくらいです。北海道も全体としてどんどん多頭化していて、粗飼料はその分だけ必要量が増しています。頭数を増やしている所では、自分の畑だけでは足りなくて、よそから買っているんですよ。よそからというのは、道内の余力のある所からとか、牧草だけを作っているところからですね。道内では、ある程度、流通しているけれども、内地までという余力は今のところはないとみています。

司 会:本日はみなさまの本音の気持ちをお話をいただきありがとうございます。またお忙しい中座談会にご参加くださりどうもありがとうございました。




3.座談会を終えて

 平成20年2月の日本の酪農家戸数は2万4千戸である。平成15年には3万戸であったものが、5年間で6千戸減少している。おおまかに言うならば、大規模で経営基盤が強固な所か、小規模でも個性的で、特徴的な経営を行っている所が経営を維持しているが、努力をしながら、汗をかきながらも、胸突き八丁で、苦労されている所も多いという状況にある。

 筆者は常々、どのような産業も「多様性を持つ」ことが大切であると考えている。例えて言うならば、何百年の風雪に耐えながら、美しい姿を保つ城の石垣は、大中小、様々な石の組み合わせからなり、その石の一つ一つが、それぞれの役割を担いながら、石垣という総体を堅固ならしめている。

 今回、座談会に参加していただいた3人の酪農家のみなさんは、経営の理念・規模・方法をそれぞれに異にしているが、その語り口からは「精神的なたくましさ」が共通していると感じた。3人は日々の仕事に追われながらも、日常的に交流を持ち、お互いの経営についてざっくばらんに言いたい事を言い、常に刺激しあうことで結束している。

 たくましい人達が切磋琢磨しながら、仲のよい酪農環境を作りあげていく、このような環境が全国的に醸成されていけば、酪農家の減少に歯止めをかける大きな基盤になるのではないかと感じた。


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